僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(3/11)あれから3年

2014年03月11日 21時18分31秒 | 東日本大震災


あれから3年。
今日も朝から雪がうっすらと積もり
寒い1日だった。

自分に自由な時間がある限り
この日は
毎年、県庁に出向いて
記帳し、献花をしていくつもりである。
この先も。

そして今日
仕事が休みで、去年のようなギリギリの駆け込みをせずに
余裕を持って出かけることができた。

あの日を忘れない。
これからも語り継がれていかなければならない。
たくさんの命の犠牲を教訓に
あの日の地震、津波を知らない世代に受け継がなければならない。

今日は自分の当時のブログを眺めていた。
それぞれの家庭に、いろんな事情があるんだ。
うちだけじゃない。
ブログに書いていないことを
今日は書こうかと思ったりもしたが
やはり躊躇した。

あれから明るく生きているかと言えば
実はしんどい。
地震がきっかけではないけれど
大いに関係のあることでもあった。

とにかくもう少し生きてみよう。

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6 コメント

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鎮魂 (しゃちくん)
2014-03-11 23:00:57
さよならも言えずに亡くなられた人々の分まで精一杯生きてみましょうね。

車を路肩に停めて黙祷。

あの日、東京では震度5強の都市型の災害に直面し決して忘れることのできない日となりました。

未だ多くの人が地震に対して神経質になっているからそう簡単には風化しないと思います。

日本を信じましょうよ!必ず復興させましょう。。。
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Unknown (JMC)
2014-03-11 23:16:44
うん。
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Unknown (しゃちさんへ)
2014-03-12 21:31:35
しゃちさん今晩は。
せっかくの命、生きなくちゃなりません。
あの日、日常を営む市井(しせい)が
死を考える暇もなく、命を落としていった。
一寸先の死を受け入れることができないくらいに
あれよあれよと波に飲み込まれていった。
それを自分にあてはめると、怖くてなりません。
自分の居場所が海の傍だったら、自分も波に飲み込まれていたわけです。
ちょっと足を伸ばせば
まだまだ津波の爪あとが残る東北。
復興するにはほど遠いけれど
(いつも仮設住宅の傍を通って、名取という町に買い物に出かける。そこの人々の生活をしみじみとした気持ちで眺める)、なんとか復興してほしい。
普通の生活を営めるようになってほしい。
そう思っています。

ブログ、毎日観ています。
行方不明になったネコちゃんのことが心配。
数ヶ月で戻ってくることもあるので希望を。
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Unknown (ジャスさんへ)
2014-03-12 21:34:43
仕事は順調ですか。
こちらに仕事ありますよ、だんなさん。
夫の勤める会社。アルバイト、募集しています。
よく働く人を望んでいます。
年齢は関係ないと思います、だって
うちのだんな、勤めていますからね、最年長者。
返信する
元気ですか (JMC)
2014-04-07 15:20:37
大丈夫かな。
携帯のメールは生きてますか?
パソコンはこのgooのアドレス……よく使ってる?
本気で崖です。
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Unknown (ジャスさんへ)
2014-04-08 18:04:46
何とか生きていますっていう感じかな。
きっかけを作ってブログを書こうと思っているけれど
ズルズルと。
明日には何とか書けそうです。

崖って、どういうこと?
こっちに戻ってくるの?

携帯のメール、大丈夫ですよ。
gooのは、何もしなかったので消滅。
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