僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(3/12)震災8年目。

2019年03月12日 21時30分23秒 | 東日本大震災

今年で8年目だ。
8年も経ったのか。
昨日は雨。
震災以降、この日はいつも追悼に出席する。
例年県庁で献花追悼をしてくるが、
この雨の中、あえて市役所前の市民広場の会場に出かけた。
前に1度、ここで皆と追悼している。
街の真ん中にあるので、買い物帰りの人々も多く参加する所だ。
冷たい雨のために、おそらく大半の人々は県庁の方に出かけたかと思うが(私も最初はそのつもりで向かっていた)
急に県庁前に来て、そうだ、市民広場に行ってみようとなった。
案の定、時間的にもまだ早いからか、寒いからか、人影もまばらだった。









時間があるので、献花をした後、テントの中で催されていた、3・11の当日の記録を読み、写真を観たりしていた。

午後2時46分、追悼。
各地で、それぞれの場所で、仕事をしている人たちも、きっと心の中で。


そして台湾からいつも励ましのメッセージを受けての、こちらからの御礼のメッセージを書いたフラグの説明を聞き、私も書き込んできた。




敢えて、ここに来てよかった。

あの日も寒かった日だ。
しきりに雪が降った。
地震後に、激しく急に振り出した。空が大粒の涙をボロボロと流したようだった。

8年という歳月で、随分と環境が変わった。
夫も私も、これまでとは分野の違う仕事に就いた。職を失った夫は、「震災特需」で仕事にありついた。
あの時たくさんいた我が家の猫たちは昨年のダイジローを含めて8匹亡くなった。
寿命といえば寿命であるが。
義母はまだしっかりしていた。
義母より若い私の母は当時は脳梗塞の後遺症があっても身体は元気だった。
私の家に避難してきた地震パニックの母を支えていた義母だった。
父は相変わらず、あの時と変わらない強運の持ち主である。
その犠牲になった母が一昨年亡くなった。
義母がボケた。
私も年をとった。
でも、もっと生きようと思う。







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