僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(10/3)F1富士日本GP(テレビ観戦)で思ったこと。

2007年10月03日 13時51分22秒 | F1
富士スピードウェイには行ったことがない。
地理的にこちら東北から見れば
いつも行っていた三重県の鈴鹿よりは
近いから
行くには楽であろう、と
行かない自分はつい思ってしまう。

しかし
その考えは甘かったようだ。
鈴鹿よりずっと東にあり
近い距離であるはずが
ずっと遠い遠い、と
思わせた一連の「F1富士観戦記」である。

ここ毎日
ずっとそれらの記事を読んでいた。
普段なら
F1を観たあとは
公式のF1関連ページぐらいしか
覗かない自分は
今回はあちこち個人のブログなどを観て
立腹したり、泣きそうになったりと
そんな気持ちにさせる記事が
多かった。



せっかくのモータースポーツの大きなイベント、お祭り。
どんなに帰りの道路が混雑しようとも
雨が降ろうとも
それなりに
レースの感動の余韻の方が大きいはずだ。
が、
高い金額を払って
一年に1回の日本のレースを楽しみに
していたのが
その余韻も吹っ飛ぶような
杜撰さがあった今回の富士F1。

注目されていることがレースの内容よりも
大きな企業の運営のあり方や
インフラの不整備、トイレの問題等
十万人単位の人間を移動させるには
最低限クリアしていなければならないこと。
それらが真っ先に問題になっていること自体
大問題だと思ってしまう。
レースが始まっていながら、チケット払い戻しなんていう
ことは前代未聞ではないか。
雨で中止なら払い戻しというのは当然だが
現地で観ていながら、払い戻しになるほどの
コースが観えない座席。
不満以上の気持ちを抱えてそこにいただろう。
NHKのニュースでも取り上げていたし
こちら東北の一般新聞でも取り上げていた。
むしろもっと大きく取り上げてもいいほどの
失態だと思う。


その予兆。
土曜日の予選をテレビ(スカパー)で
観ていて
このお天気では明日の決勝はどうなるのだろう、と
チラチラとあちこちを
ネットで検索し始めた。
テレビで観ていてもわからない
問題が出始めていたことがわかった。
翌日のお天気は
関東地方は
午前午後とも70%の雨。
確実。
山の天候。
日本一高い富士山の天気。
前日の帰りのトラブルで
体力、精魂尽き果てて
決勝当日観戦をあきらめた人もいた。
何万円という金額がパーである。
それほど前日は過酷だったらしい。
身体や精神の方が大事である。
帰りのことを考えると
萎えてしまうほどの運営って
どうなのだろうか。
鈴鹿を体験していればこそ
その比較もしたくなるのは
当然だろう。
それでなくても
鈴鹿から富士に変わったことに
反対の人が多かったのだから
比較は自然な流れだと思う。
あきらめるには高すぎるチケット代。
だから、前日の大変さに懲りても
何とか前日のようにならないように
自分で工夫して観に行こうと
思って強行した人も多いに違いない。
工夫とは
レースの途中で退席して
バス列に並ぶことである。
それからして
本来の楽しみ方ではない。
そしてどんなに自分が工夫しても
運営側が何も前日のトラブルを
生かしていない限り
同じ過ちの繰り返しになっている。

鈴鹿は
白子駅に着いたとたん
F1一色の雰囲気がある。
町が歓迎してくれている雰囲気。
レース場の外のショップも充実している。
私は
トイレの心配がいつもあった。
何度か行っているうちに
どこのトイレが混まないかもインプットさせておいて
レース本番前に何度も行くようにしている。
雨が凌げる所もあるし
遊園地もあるし
問題はなかった。
自分のような東北の人間も
日本中の人たちが
このお祭りに鈴鹿に集まってきているという
連帯感に心躍った。
セナが亡くなった年のF1は
雨だった。
あの時は確かに、寒くてバスの待ち時間も
長くてつらかったけれど
1歩1歩進んでいく感覚はあった。
あれは許容範囲だったと思う。
今回のはそのような問題とは違う。
この並んでいる列がどの列に並んでいるのか
わからないほど混乱していたようだ。
降りて歩くことも禁止されているようだった。
待つより、どんなに時間がかかっても歩いていくほうが
気持ち的に少しは救われるかもしれないのに。
先のわからないものに
雨と寒さと泥ぬかるみの中で立ち続けるつらさは
想像するだけで、悲しくなってしまう。
トイレに行きたくなっても行かれない、そのあと
どうなるかなどと想像すると、悲しくなってしまう。
とても、世界的なイベントとは思えない
お粗末という言葉では足りないほどの杜撰な運営。
本来なら
鈴鹿以上に、立派にやり遂げなければならない運営なのだ。
それでこそ
鈴鹿と均衡して富士(トヨタ)が日本のGPを
盛り上げていくということになるはずが
二度と富士には行きたくないと思わせたことに
世界に誇る大企業は
恥ずべき運営だったと反省するべきだ。
お詫びの声明も出していたが
厳しく言えば
その声明自体が恥ずかしいことなんだよね。

F1のファンは、子供もいる。年輩の人もいる。
親の影響で車好きの子供達がいるし
古くから観てきた人たちが年を取っても
長く観ていきたいと思う世界。
若い10代20代30代の人たちだけではない。
その若い人たちがこれからもF1を愛し続ける限り
年を取っても観に行きたいと思っていることだろう。
連綿と受け継がれていくファンの流れ。
だからこそ何十年と続いてきている。
そのファンが支えているということをよく
わかってほしい。
お客様は神様、なんて古い言葉だけれど
そのお客が
雨でも観に来た甲斐があった、と
帰ることができれば
本当の運営の成功だと思う。
バス待ちの所にトイレをたくさん設置せよ、
と言いたくなる。
切実な問題だ。



さて
レース。
ハミルトン優勝。
アロンソの焦り、クラッシュ。
あの雨のしぶきで前が見えない状況で
よく
怪我人が出なかった、と思うほどに
テレビ画面は水しぶきの連続。
もっと強く
安全性を考えてあのレースは中止すべきだと
言えるドライバーはいないのでしょうか。

非常に詳しく載せている観戦記












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4 コメント

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F1 (pp)
2007-10-04 17:51:26
こんばんは
トモロッシさんのF1のブログで思い出しましたよ。
私も一度鈴鹿でのF1行った事があるんです。

2005のF1です。最後の鈴鹿と言う事でしたが、また鈴鹿でもあるようですね。
ゲストに永井大さんがいらっしゃってました。
3日間通しの立ち見のチケットを息子から貰ったんで、思い切って行きました。
私が行ったのは準決勝の土曜日と決勝日でした。
近いので日帰りして、翌日も行く日程でした。
でも白子駅でのバスに並んでる人はハンパなかったです。
土曜日は雨で大変でした。特に帰りのサーキットから白子駅までのバス。
若い夫婦と幼い子ども連れもけっこう多かったです。
日曜日の決勝は快晴で最高。
佐藤琢磨はリタイヤでしたよね。
そのとたん多くのお客さんが帰って行きました。
一瞬、目の前を何台もの車がブルルーゴオーってすごかった。
初めて観る私は、その迫力に仰け反る感じでした。
ブースも色んな物があって楽しめました。
赤い手提げ袋を何枚か頂いて友達にあげましたよ。
詳しいことはあんまり知らない私ですが、鈴鹿で開催されたら、また行きたいです。
指定席から見えないなんて最悪ですよね。
高いのにね。
長いコメントですみませんでした。

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鈴鹿へ。 (ppさんへ。)
2007-10-04 21:46:08
ppさん、コンバンワ。お久しぶりです。またブログをサボっちゃいました。
その間に、Pちゃんのいろいろな情報がたまっているのに、それは後でもいいかなと思い、ここ数日、あの悲惨な富士F1のブログなどを見ていました。
波紋は大きいようです。次々と当日の悲惨さを述べている方がいらっしゃいます。
ppさんはもしかして名古屋周辺の方にお住まいですか。私も鈴鹿に行く時は2泊名古屋に泊まります。
再来年、また鈴鹿で開催です。いろんな所を覗いているうちに、鈴鹿への気持ちが再熱してきました。
ネコにかまけて、どこにも行けないと思ってきましたが、何とかして行きたいと思ってきました。
会えたらいいですね。いっしょに観戦したいですね。
希望が出てきましたよ。
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いいですね (pp)
2007-10-04 22:48:09
こんばんは
いっしょに観戦っていいですね。
トモロッシさんはF1に詳しいから一緒に観戦したら
何倍にも面白くなるでしょうね。
名古屋に2泊でしたか。
私の住んでる所は鈴鹿まで車で40分弱ですよ。
F1の日は道路が混みますので電車で行きました。
もしも次の鈴鹿での開催に行かれるなら、是非一緒にお願いします。
その時は是非我家に泊まってくださいね。

返信する
お誘いにすぐ乗りたがる私。 (ppさんへ。)
2007-10-06 00:17:02
ppさん、コンバンワ。夜中のお返事です。
鈴鹿に近い所に住んでいらっしゃるのが羨ましい。
私にとっては、鈴鹿は夢の聖地(大袈裟)のような所。こちらからは遠いし、はるばる来たよ鈴鹿、という気持ちになります。
いろいろなグッズを買いながら、あれこれ食べながら
熱い日ざしを受けて(10月でも暑い時があった)、F1を語り、Pちゃんのことを語りたいですね。
泊まってもいいんですか~もう1人いいですか~
なあんて、考えるだけでも楽しくなりますね。

話は変わって。
今日、女子高生に名前をまちがって「生田さん」と呼んでしまったんですよ。似たような苗字の子。
言ったあとでも気づかなかったのですが、クスクス笑われて、「とうまだあ。」「とうま、知っているの?」と言われる始末。
知るも知らないも、語りたかったけれど、「知っていますよ。」と返答したぐらい。
私の年齢では、斗真君のことを知っているというのは
考えられないのが、常識かも。
そんなことがありました。
Pちゃんの台湾到着の映像、観られました。
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