goo blog サービス終了のお知らせ 

僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2/10)雪が降ってきた・・・伊藤整詩集

2008年02月10日 00時44分58秒 | 文学/言葉/本
日付が変わってしまいました。
きちんと
その日のうちに書こうと思っていたのに。

映画(シュガー&スパイス)を観て
そのあとの
小山君の主演のロスタイムライフを観て
この時間。


そうそう
外を見ると

雪です。
雪がしきりに降っている。

うっすら積もっています。
ドカ雪にはならないでしょう。
でも
ようやく
地面真っ白の
融けない雪を見ることができました。
明日の朝は
少し積もって
午後あたりには
はかなく消えそうです。
長靴が履けます。

冬の雪には
役割がある。
雪が山々に降り積もって
地面にしみわたり
ダムに雪で水を補い
それなりの役割を果たしている。

人間の都合ばかりで
雪が降ると大変とか
梅雨が鬱陶しいとか
言うけれど
雪、雨には潤いの役割がある。

私の昨日の
雪乞いが届いたような
気持ちです。

雪が降ってくると
伊藤整の詩を思い出します。


    山々に雪が降った
       ・
       ・
       ・
    ああ 山々に白く 肌につめたく
    とほくから
    雪がこの国にやって来たのだ
    恋人よ 目と目だけを
    二人胸をおどらして おどらして
    燃えるように見合わせていようね


小樽で育った彼には
雪の詩がたくさんある
もう
黄ばんだ詩集だが
決して難解な言葉を使わなかった詩を
好んで読んだ私の高校時代

酷寒の北国で
恋人達は
目と目だけで燃えるように
見つめ合って
その瞳の輝きと
吐く息の白さが
容易に頭に浮かんでくる

雪はやっぱりいいなあ
郷愁だなあ
私の北国

(10/28)広辞苑改訂版。

2007年10月28日 22時20分26秒 | 文学/言葉/本
今朝の新聞のコラムに
広辞苑について書かれてあった。
10年ぶりの改訂。
この10年間に定着した
新語が広辞苑に登場した。
イケメン
うざい
ブログなど。

イケメンが広辞苑に載るということは
今後も
平成に生まれた言葉として
普通に使われていくことになるのだろう。
どうも
一時的な用語にしか思えないのだが。

うざい、という言葉も
よく使われている。
私は未だに使っていない。
「なにげに」はどうなのだろう。
これも文法的におかしいと思っているので
使っていないが
職場の若い人たちは普通に使っている。
新語として使っているという
意識があるならいいが
昔から存在する言葉だと思って
使っているというのが
怖い。
言葉は変遷するからしかたないか。


こんなことがあった。

味を濃い目につける
味を濃目につける

のどちらが正しいかという
論争をしたことがある。

今なら軍配は
濃い目に上がるのだろう。
その頃は
まだ
濃い目というのが
定着していなかったと思っていたが
既に
定着していたのかもしれない、
濃目はおかしい、と言われた。

私は
いや、濃い目というのは
定着しつつも
文法的には
「形容詞の語幹+接尾語・目」
が基本だから
本来、「濃目に」が正しく
しかし
言葉の座りが悪く
濃い+目が
次第に言葉の流れとして
定着した、と解説するならばいいが、
濃目にはおかしいとして
否定することがおかしい、
などと反論した。
その決着がつかずに
その相手は死んだ。
自殺した。

現に
濃目に
と使う人はまだいる。
少数派になっているかもしれないが
「濃目に」を使ったときに
それを笑うことはできない。


こんなこともあった。
「高校生で、一所懸命、って書いている人がいるのよ。
一生懸命だよね、トモロッシさん。」
と笑いながら私の所にやってきた40代。

「いや、もともと
一所懸命が正しい使い方、それが
一生懸命が誤用され、今では後者が
通用しているけれど、一所懸命を笑うことはできない。」
彼女は顔を赤くして「え、そうなの!」と
席に戻っていった。

もともとの正しい使い方が
否定されてしまうことが悲しい。
一生懸命は
もう制覇している。
私も使う。
が、かといって
一所懸命を「一生懸命」に直すことはしない。

同じく新聞に
「阿部次郎記念賞」に入賞した高校生の文章の全文が
幾つか載せられていた。
その中のエッセイに
「広辞苑みたいにまっすぐな先生の声」という
表現を見た。
まっすぐ、正しい、という表現を
「広辞苑のような」という使い方をしているその
高校生の将来が頼もしい、と思った。

できれば
言葉を正しく伝えたい。
正しく伝えて
それを理解して
その上で
テレビ等の流行言葉、新語を
使うのなら
それはそれでいいだろう、と思う。
しかし
書くべき論文等に
うざいとか
なにげに
などを正しい言葉として書いてしまうことは
避けたい。
それは言わなければならない。


さてその広辞苑改訂版に
「ローリングストーンズ」が掲載された。
既に
ビートルズ、ツェッペリンは
載っているらしい。
自分の持っている広辞苑には
あまりに古くて
ビートルズが載っているかどうかわからない。
調べたことがない。
ストーンズが載る、ということが
嬉しい。
ストーンズの歴史は長い。
その長さから行けば
歴史人物として載ってもおかしくない。
ところで
ストーンズは音楽の教科書とかで
取り上げられているのだろうか。
ビートルズは取り上げられていると
聞いていたが
どの曲が取り上げられているのだろう。
私は
小学生の時から
ストーンズ派でした。

このごろ
ずっと
自分の名曲を取り上げていない。
すっかり
CDから遠ざかっている。






(7/13)詩集「初夏に父死す」

2007年07月13日 23時35分11秒 | 文学/言葉/本
電灯がチラつく。

気にしながらも
明日にやろう、と
思っている。



私に

逃れられないもの
逃れたいもの
忘れられないもの

がある


それらを今日
思い出してしまった

現実に
それらは存在し
私の人生の課題だと
常々思ってきた

母は

人間の生活の方が
大事だから
ネコなんて
捨ててしまえ

と言った

その言葉を
聞いた時点で
私は
この人と相容れない
ものを感じていた

何も今に始まったことではない
今更驚く言葉でもない
その心は
形を変えて
いろんなものに
出てくる





私が
両親のことを考えるとき
時折
手にする詩集がある

8、9年前に
手に入れたものである
絶版になっていたが
作者に直接
在庫があればぜひとも
手に入れたいと
手紙を書いた

その詩集を知る過程も
詳細に書いた


手にした
詩集は

「初夏に父死す」

である。

その後
もう一冊買った。

「短かった少年の夏」

である。

その作者が
昨年
「丸山薫賞」
を受賞していたことがわかった。

その2冊しかないが
今でも精力的に
詩を書き
出版していることも知る。

私が詩を書いたり
読んだりするのは
中学生の頃からだが

高校生の時は
よく
好きな詩を暗記していた。
暗記して
答案の裏にソラで書いたりしていた。

伊良子清白の「漂泊」をよく書いた。




そして
井上靖の散文詩「詩集 北国」

そして
伊藤整の詩

そして
この「初夏に父死す」の作者
山本博道氏


この三者は偶然にも
北海道出身である。

それはたまたまのこと。
今自分の好きな詩人、詩を並べてみたら
そうなっただけのこと。

今夜は
その詩を読みながら
床に就こうと思う。





(7/12)四字熟語。

2007年07月12日 23時22分47秒 | 文学/言葉/本
コンバンワ。
雨が降っていますねえ。
ずっと。
しょうがないですね。
きのこが増えそうです、庭。


ドラマを立て続けに
2本見てしまった。
こりゃ、いかん。
せめて1本にしておけば
時間ができたのに。


これからお風呂に
入って
また勉強。

自分には珍しく
時間があれば
テキスト問題をやっている。
でも
ドラマを観たり
ネコ漫画を見たり
するほうが
長いかな。
まだまだ甘さがあるようね。

ようやく
躊躇という漢字を
なめらかにペンを走らせ
書けるようになった。

いつも使う言葉なのに
いざ
ペンを持って自分で
書こうとしても
正しく覚えてこなかった私。

一念発起。
なめらかに書けるようにした。

四字熟語。

ヘイイ破帽

バンリョク一紅

ケイセイ済民

メンペキ九年

マンゲン放語


を学ぶ。

意味がわからないと
全然見当もつかない言葉。
大体
普段使わないし。

そして何でもない
普段使い慣れているような
四字熟語さえ
いざ書くとなると
出てこないものあり。

(7/8)漢字の勉強。

2007年07月08日 21時55分47秒 | 文学/言葉/本
探偵学園Qを
録画しておいたので
今頃観ているが
少し前にF1が始まったので
途中で止める。

ハミルトン、ポールポジションだった。
先週はライコネンが優勝。



明日から通常の時間の仕事に戻る。
先週は楽といえば楽な週間だった。
おかげで
自分の勉強もできたと思う。
しかし
なかなか覚えられない自分。

本当に
ドキッとする。
字がわからなくなるんだ。

皆さんも
このようにPCを駆使していると
いつも書けていると思っていた
漢字をいつのまにか忘れているかと思いますよ。

キーを打てば
自分が正確に覚えていようが覚えていまいが
正しくPCは印字してくれます。

昨日の
必殺仕事人で
「画竜点睛」という言葉が出てきた。
そして
今日のクイズ番組で
漢検1級書き取りとして
「画竜□□」の問題が出てくる。

書けそうで書けない。

私が勉強していて
出てこなかった問題。

野菜や魚の市場のセりのセという字。
あれ、どうだったっけ、と思い出せない。
いつも見慣れているような文字なのに。

そして何といっても
部首がわからない。

部首をしっかり勉強したことある?
体系的に。

部首で四苦八苦しています。
あまり部首なんてやらないままに
人生来てしまったけれど
今それを勉強しています。

あとで
皆さんに問題出しますね。
たまに付き合ってくださいね。
それにしても
今はPC時代。
辞書が傍になくても
PCが辞書代わり。
本当に便利な時代になった。
PCを重宝しています。


先ほどの
市場のセリは

競り

と書きます。

競争とは書けるのに
競りとなるとすぐに出てこない。
なんとまあ・・・・
トホホですなあ。


(5/9)言葉の変遷。

2007年05月09日 17時53分24秒 | 文学/言葉/本

夕日の時刻です。
今買い物に出かけて帰宅。
西の方は美しい空。
そして飛行機雲かな。
まもなく消えたけれど、
まっすぐに南の空に伸びていた。

これからお風呂に。
ネコのごはんをやる前に。

結局今日も
プロポーズ大作戦をリピできずに。

胃の具合は今ひとつかな。
そうそう、私は
「イマイチ」という言葉を使えないんですよ。
使ったことないなあ。
いつから流行っているんだろう。
今一つという言葉から派生したのかな。
小学生が「一つ」と書けないと、ついこの間
取り上げられていましたね。
もう、言葉もどんどん変わり行く。
イマイチというのが定着してきているんですね。
定着してもう何年も経っている。
それと

「なにげに」という言葉も。

これも抵抗ある。

10年近く前に同僚が使っているのを
聞いて
「それっておかしい。文法上は・・・」と
言ったことがあるけれど
今はそれも空しい。
若い人は、抵抗なく当たり前のように
使っているけれど
例えば、言葉を教える職業に
ついているなら
公の場では使わないほうがよい。
飲み会とかならしょうがないけどね。
そのうち
若い作家も「なにげに」などと
当たり前に使うようになるのだろうか。
若い作家の作品を読んでいないので
今の言葉の変遷はさっぱりわからない。

文字を大きくしてみました。