ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

昭和家庭史 光男編 (6) 「文芸交錯」との出会い

2006年01月09日 | 昭和家庭史
昭和2年の4月。高見順は一高の同人誌「廻転時代」から川田正道、新田潤らと同人誌「文芸交錯」の発刊準備をすすめていた。「文芸交錯」は浦和高校系の同人誌である。すぐ上の歳に、今日出海がおり左翼系の演出家になった佐野碩もいた。この「文芸交錯」が光男たちの同人誌「嘴」に合併話を持ち込んで来たのはキミが光男から聞いた話によると「並木」という浅草の喫茶店だという。


 双方の代表数名が集まったが同人誌名を「文芸交錯」に統一するということから話がこじれ、結局はもの別れに終わったという。
  娘の順子(ジッタンの姉)は
 「昭和22~23年ごろだったと思う。父(光男)が樺色の新日本文学全集の高見順全集を手にし、著者の略歴や写真に目を通し高見が『文芸交錯』同人だったことを知り、 『ああ、あの時の話に彼もいたのか』と声高に言ったことを覚えている。浅草に近い小料理屋であったということで、『文芸交錯』側のねらいは、どうも『嘴』の書き手で、光男と信長吉という人を引き入れたいとの思惑があったらしい」
 とその記憶を語っている。
キミは「並木」娘は「小料理屋」と場所の記憶は錯綜しているが、同人誌間の一交流があったことは事実として記憶しておきたい。
  この話し合いが持たれた年の7月24日、芥川龍之介が田端の自宅で、ヴェロナールを飲んで自殺した。
35歳の彼の死は大正文学の終焉ともなった。
彼の遺書とも言える「或る旧友に送る手記」に書いた

 「少なくとも僕の場合は、ただぼんやりした不安である。なにか僕の将来に対するただぼんやりした不安である」

 という一節は、当時のあらゆる文芸同人誌作家にとっても、共通の時代認識としての暗喩とも考えられる。
平野謙は
 「彼の死の原因ともなった『ぼんやりした不安』を自意識上のそれとして追及するか、社会的意識なそれとして克服しようとするかが、昭和初年代の文学の内包する最大の命題ともいえるのである」 (現代日本文学全集 別巻一 筑摩書房)
 と語っているし、高見順も「ぼんやりした不安」を「不断の歯痛」と言い換えた片岡鉄兵のことばを引用しながら
 「社会的矛盾に対する『不断の歯痛』はそれを結局、文学外のこととして否定するにしろ、肯定した上で無視するにしろ、またあるいは、何よりも根本的なものというふうな肯定をするにしろ、とにかく昭和期の作家の一度は必ず対決を迫られた問題である」(前上 昭和文学盛衰史)
と述べている。
 この「ぼんやりした不安」の中で「文芸交錯」を主宰した川田正道が同年秋に山中湖畔で心中した。
川田らは”純潔”のまま死んだらしく、立ち会った警察医が「珍しい心中」と語ったという。
 「行き詰れば自殺するのみです」という川田のことばを紹介した高見の言こそ、当時の「不安の意識」をよく物語っている。
 当時の同人誌作家たちの思想に影響を与えたものにマルクス主義がある。
間断ない「不安」の意識に光明を投げかける灯火としてそれが語られ、誕生間もないソ連邦が、プロレタリア祖国として捉えられはじめていた。
毛沢東が井岡山に革命根拠地を建設したのもこの秋である。
国内では陸軍大将・田中義一内閣が成立し、第一次山東出兵が行われるなど、「不安の意識」を駆り立てる材料は多い。
 同人誌をはじめとする文学運動が、こうした世相を離れて成り立つことはありえない。
「いろいろ出ていたその同人雑誌の過半数が昭和3年の春の終わりころ、いっせいに廃刊した。それは『帝大同人雑誌連盟』に所属していた『辻馬車』『創造』『鍛冶場』『青空』『擲弾兵』『文芸交錯』『文芸精進』の七誌で、それらが大同団結して、ひとつの雑誌を創刊することになったのである。昭和3年7月創刊の『大学左派』がこれである」
 帝大同人誌の左派に対して浅草仲見世界隈の同人誌「嘴」がどのような道を選んだか。
 彼らには商家の息子たちが多い。商家の学生がいたにしても、決然と「不安」に対峙しにくい小市民的環境にその立場があった。
前記の「文芸交錯」と「嘴」同人誌連が膝をまじえて語らいが持てたつすれば、思想の色合いということではなく「浅草」という場への共通の共感、愛情といったものではないだろうか。
 昭和8年、小林多喜二が虐殺されたあと、高見は治安維持法で検挙されるが、のち昭和12年、プロレタリア文学運動のいっさいが終わった時、浅草のアパートで綴った高見の一文はそんなことを考えさせる。

 「------(おお 浅草よ。)  私は感動に胸を締め付けられながら、浅草というものに、  -------その実体は分からない。漠然としたものだが、浅草というものに手を差しのべたかった。差しのべていた。 (やっぱり 浅草だ) 思わず、そう心の中で呟いた。何か宙に浮いたような、宙で空しく藻掻いているような私を救って くれるのは、浅草だ。やはり浅草に来てよかった。そんな気がしみじみした」 (「如何なる星の下に」)



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