昭和20年4月の空襲によって東京小石川の家は全焼。土浦で新生活を開始、真夏の玉音放送などを経て1年。
この間綴られた光男の終戦日記は昭和21年5月12日をもって筆が擱かれた。
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東京大空襲の余波を受け罹災し1年後の春。工場出勤前の早朝に桜川や霞ヶ浦などに釣りに行く記録が多い。釣り味を楽しむこともあったろうが、釣果はそのまま生活の中の貴重な蛋白源でもあった。
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恐ろしいインフレだ。自分達のやうに二つの職業を持ち、一家中で働いてゐてさへ是だ。世間の多くはどんな暮しをしてゐるのだらう。あゝ遂に飢餓は眼前に迫った(昭和20年 12月31日 日誌より) . . . 本文を読む
11月1日 昨夜から、今日にかけて、鮪のさしみ、煮付けを食ふ。 実に何年ぶりかで、待望の鮪を食った。
11月3日
明治節で工場休。店多忙。晴天で、店、明るく暖かく気持良し。
11月4日
今日も晴天。日曜で店をやる。今日も多忙。夜、家中で、鈴木と一緒に映画へ行く。 11月5日 今日、やっと、店の営業許可書下りる。
11月6日 衣 . . . 本文を読む
光男終戦日記6月で触れられた安藤鶴夫さんが書いた記事。その直後、光男から安藤氏に礼状をだした。安藤さんからは勤め先の都新聞被災と埼玉桶川での疎開生活、出勤風景、当時の読書内容などが記された書簡が光男宛に返信された。これは昭和20年6月26日付けのものだった。
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東京の空襲で戦災にあって一家は土浦へ。光男41歳は家族4人を抱えて理髪、注射器工場勤めと、ふたまたの生活を送る。都新聞(東京新聞)記者の安藤鶴夫は、そんな光男を紙面で激励。一方、警察は営業罷り成らぬと圧力をかける。
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昭和20年4月の空襲を受け東京小石川の我が家は燃えつきた。友の助言もあって、光男一家は土浦へ。光男家族にとっては土浦が移住の地となった。光男にとっては、ここでの12年の歳月後が、終焉の地ともなった。昭和20年4月14日から1年余になる光男の終戦日記を紹介してゆく。
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