ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔昭和家庭史〕光男終戦日記(10) 昭和21年1月

2007年01月30日 | 昭和家庭史
昭和21年1月元旦
 兎も角も、一家五人無事で、新春を迎へた事は、考えると奇蹟のやうだ。
 順子も今年は十七だ。
君子の藤色の着物に、当選記念の羽織をやる。
 英生も智生も新調の着物を着せてやれたのは、ほんとに意外だ。
 二階で、雑煮を祝ふ。
 午後、鈴木達と、八坂神社から赤池へ行く。
 風が出て寒い。
夜、十時まで将棋をする。

1月2日
 今日は風が無く、暖かで実に気持ちが良い。
朝の内、智生と英生を連れて散歩に行く。
 午後子供達や鈴木と”歌へ太陽”を見に行く。
 帰途”いのちの初夜””冬の宿”を買ふ。
 夜読書。

1月3日
 智生を負って英生を連れてサーカスを見に行く。
午後、沖さん来る。
鈴木と三人で将棋を指す。
夜、鈴木の家でご馳走になる。

1月4日
 店も、會社も仕事始め。
會社は晝迄仕事をやって、午飯が出る。福引で、みかんとリンゴの大当たりを取る。
 店を帰ってから手傳ふ。廿七円。
「冬の宿」読了。
霧島嘉門夫妻の窮乏のどん底に落ちて行く迄を、「私」から見て描いてある。
しっかりした寫実で、しかも、文章は詩のやうに美しい。
「私」の主観が完全に藝術的に燃焼してゐる。
それ故にこの作品は面白いものになっている。若しもこの作が、宇野浩二のやうな作者に描かれたとしたら、かく迄香気の高い藝術作品とはなり得なかっただらう。

1月6日
 朝から、小野さんと一緒に霞ヶ浦へ鮒釣りに行く。
最初はコツが解らなかったが、次第に分かって来て、半日で二十匹釣る。
帰ってから店を手傳ふ。

1月7日
 午前中、酸素の調節器の具合悪しく、クサクサする。
午後、稍良し。
寒さのために、故障するらし。ボロ切れを巻く。
 午後から頭押しのやり方を変え、ヒゲを引っ張らずにやる。ハネはこうすると少い。
馴れヽば、このやり方が早いであらう。
待望のナタを買ふ。
海軍コートをジャンパーに仕立て直しを頼む。
今日税務署から調査に来た由。

1月9日
 二十瓦頭部三百本。酸素を強くするとヒゲを引かずに、首を延ばすことに依って、大分作業が早くなった。
今日は風無くとても暖かだ。
會社の帰りに湯に行く。

1月20日
 日曜日。
薄曇りだが風なく、とても暖かだ。
半日、店をやり、午から釣りに行く。
ドックでは一回も食はず、帰途桜川で、少しの間に六匹釣れた。
かう云ふ暖い日は必ずしみ「穴」で無くともよい事を知った。
但し、竿はもう一間位い長いのが欲しいと痛切に思った。

1月25日
 「森鷗外集」讀了。
”鶏”
 ”金貨”
 ”金毘羅”
 ”妄想”
 ”雁”
 ”阿部一族”
 ”佐橋甚五郎”
 ”堺事件”
 ”二人の友”
 ”ぢいさんばあさん”
 ”高瀬舟”
 その他------------
 "雁”は矢張り鷗外の代表作であらう。
鷗外の作--珍しくも情緒に富んだものであり、鷗外にしてよく是迄に観察出来たものだと云うやうな、他の作に見られぬ世界を描いてある。
心理描寫も精緻を極めてゐる。
 先ず、岡田を紹介し、岡田とお玉を会わせ、それから、お玉と末造の関係を現はし、次いで末造と妻の関係、お玉と父との気持ち-----そして、岡田と蛇とのいきさつ、お玉の心理的發展、そして「鯖」が下宿の夕飯に出た爲に、お玉の冒険は、哀しくも空に終わるまで、実に鷗外の筆致は、冴へに冴へてゐて息もつかせぬ。
この”雁”と”阿部一族”私小説的のもので”鶏”の三つを一番面白く思ふ。

1月27日
工場と店とが休み。
どんより曇ってゐるが夜来の雨は上がった。
鍋と土釜の蓋を作る。
十時頃からドックへ釣りに行く。
六、七匹釣る。今日はやヽ形が大きい。どうしても長い竿が欲しい。
空腹と寒さで帰って来る。
間もなく雨になる。
製材所から薪を一車五十円で買ふ。

1月30日
 今日から、三十瓦短の頭押しをやる。
午前十時頃からやって二百本。一日やれば二百三十本は出来る。
1日三十七円とれば、兎も角も生活出来よう。

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