【慕いつづけた人の名は】随筆随談選集 ③晶文社 小沢 昭一
江戸文学や芸能などで知られている作家として正岡容は安藤鶴夫とよく比肩される。
少年時代に三木のりへい役の映画・灰神楽三太郎シリーズがあった。
銀幕に流れる「あの次郎長に子分はあれど~い 強いのばかりが揃ちゃいない。なかにはトボケタ奴もあるう~ 馬鹿で間抜けでおっちょこちょいでぇ~」の浪曲が小気味良かったが、この作者が正岡であったとは知らなかった。
正岡には「荷風前後」「円朝」という大著作があり、寄席の随筆も書いていたが、これを読んで正岡宅を訪問、話を伺っているうちに気に入られて弟子となったのが学生の小沢昭一。
あの吉原の見返り柳の前で撮ったという正岡師匠と小沢の記念写真が添えられていた。
小沢もやはり若かった。
もう一人の小沢の師匠格が映画監督の川島雄三。
なんといっても川島といえば映画「幕末太陽傳」を思い出す。
小沢は「品川心中」の貸本屋金造役で出演、顔中にあばたを作っていた怪演が忘れられない。
小沢が演じたり、アイデアを出すと「それです」と言って川島は賛同したという。
あの金造の扮装も川島に「それです」とうなづかせたのではないか。小沢は胡散臭い役どころがはまり役で、必ずものにし作品に強い印象を残していた。
今村昌平は川島の助監督を経て「にっぽん昆虫記」「赤い殺意」で話題をあつめた。東北のドロドロとした習俗を描いて日本の原風景をと訴えたが、恐山のふもとで育った川島は「あんなところに何もありません」と助監督だった今村を「なんてもののわからないやつ」と軽蔑した。
一方の今村は「都会のことをわかったふりでわかっていない人」と批判したというが、見逃せない面白い挿話だ。
幕末太陽傳は昭和32年の作品。いまでも邦画喜劇の最高傑作と思う。
なかでも「居残り佐平次役」のフランキー堺は絶品だった。
肺病を病む佐平次が市村俊幸の杢兵衛大盡に「顔色が悪い」と言われ、セキをしながら 「べらぼうめぇ」と啖呵を切って東海道を走りぬく姿に小沢は「そこにジャズが流れていく。そのシーンがそのままフランキーの人生の幕切れを象徴している」「幕末太陽傳の役は彼以外にできる人はいません」と追悼した。
37年前から続いている「東京やなぎ句会」がある。米朝、小三治、扇橋といった落語家に江國滋、矢野誠一らのものがきがいて、永六輔と小沢昭一が加わればこれは楽しい句会だろう。
永六輔の俳号は住んでいるところからとって「六丁目」。小沢は六丁目を「歳時記を捨てるという枷をかけて、句作を楽しむ」と紹介、その人柄を大人の「子供電話相談室」のような人と形容した。
いつまでも絶える事の無い素直な好奇心を持った人の意味であるらしい。
小三治の俳号は「土茶」。
志ん朝と肩を並べる噺のうまさと独特のフラを持っている落語家で昔から私も大好きだった。
本名は郡山剛蔵(ゴウゾウ)という強情そうな名前で、お父さんは校長先生。
小三治のできちゃった婚に「どうも倅がとんだ粗相を」と挨拶したとある。
いま落語が若い人のブームになっているそうだが小朝、正蔵、鶴瓶らが先導役として有名となり、小三治の名前はない。活躍ぶりも余り聞かない。
少し寂しい気がする。
渥美清も句を寄せていた。俳号は「風天」。
彼の作品は
貸しぶとん運ぶ踊り子悲しい
好きだから強くぶつけた雪合戦
なんとなくこの句、寅さんの匂いがしてくる。
■■ジッタン・メモ■■
<<備忘録>>
【小沢 昭一 わた史発掘 】戦争を知っている子供たち 文春文庫
バイプレーヤーとして強烈な魅力を持ったフランキー堺、加藤武、小沢昭一らが、麻布中学の出身で、のちに早稲田でも同門となっていたことは知らなかった。
ましてや、小沢が海軍兵学校の繰上げ入学生だったことも。「幕末太陽伝」で貸本屋の金造を演じた小沢とフランキーの味わいは、終生忘れられない強烈なもの。
軍歌は麻薬と嫌い、平和憲法を渇望した彼の自分史が「わた史発掘」となった。小沢は昭和4年生まれ。(2001年10月読む)
【俳句旅行のすすめ 】江國 滋 朝日文庫
「まず俳句を作ることである。句のよしあしなど気にすることはない。だいいちあなた よしあしを言えた身分ですか。はじめて作るのに、よしあしなぞを口にするのは僭越というものである。結果なんぞは考えないでやみくもにとりかかることが先決である。」落語の好きな江國節だ。
著者は慈酔郎とした俳号を使って作句を楽しんでいる。
月から肉眼で見える地球で唯一の建造物は万里の長城だそうだが、彼の中国の地で「冬時や のっぺらぼうの大広場」と12万坪の天安門広場の大きさを読み、サービス精神皆無の中国人の旅人の扱いを「険悪な顔、声、態度 そぞろ寒」とした。
海外俳句のコツが紹介され、「あらかじめ作っておく。旅行案内、カラー写真は好材料。季語と単語も抜粋しろ」と大胆な案を披露。
季寄せ、歳時記からも書き抜きをしておくのだそうだ。
こうしてドイツで「ゲーテの宿の秋思かな」があらかじめ作られていて、現地では「天高くゲーテの宿の暗さかな」と実際の体験、体感と重ねる。
これは、ある程度詠みなれた人の採る方法で、素人がやる方法ではないと多くの俳句ファンからの叱責が聞こえてくるようだ(200310月16日 読了)
【1996年6月4日の日記】から
連日職場の歓送迎会で飲み疲れる。
梅雨模様の中、佳子は書道展の手伝いで栃木へ。
留守番を兼ねて、ビデオに取っておいた幕末太陽伝を観賞。
フランキー堺の追悼を兼ねた。
かってこれほどの喜劇映画はあったろうか。何回見ても、味わいがあり、楽しさが残る。フランキーが絶妙でこの人は落語家になっても大成したに違いない。 豪華な脇役陣が競いあって楽しく、川島雄三のメガ捌きも見事なものだ。
【ドキュメント 綾さん―小沢昭一が敬愛する接客のプロ】 新潮文庫 トルコ嬢との真面目対談(1994年9月 読む)
江戸文学や芸能などで知られている作家として正岡容は安藤鶴夫とよく比肩される。
少年時代に三木のりへい役の映画・灰神楽三太郎シリーズがあった。
銀幕に流れる「あの次郎長に子分はあれど~い 強いのばかりが揃ちゃいない。なかにはトボケタ奴もあるう~ 馬鹿で間抜けでおっちょこちょいでぇ~」の浪曲が小気味良かったが、この作者が正岡であったとは知らなかった。
正岡には「荷風前後」「円朝」という大著作があり、寄席の随筆も書いていたが、これを読んで正岡宅を訪問、話を伺っているうちに気に入られて弟子となったのが学生の小沢昭一。
あの吉原の見返り柳の前で撮ったという正岡師匠と小沢の記念写真が添えられていた。
小沢もやはり若かった。
もう一人の小沢の師匠格が映画監督の川島雄三。
なんといっても川島といえば映画「幕末太陽傳」を思い出す。
小沢は「品川心中」の貸本屋金造役で出演、顔中にあばたを作っていた怪演が忘れられない。
小沢が演じたり、アイデアを出すと「それです」と言って川島は賛同したという。
あの金造の扮装も川島に「それです」とうなづかせたのではないか。小沢は胡散臭い役どころがはまり役で、必ずものにし作品に強い印象を残していた。
今村昌平は川島の助監督を経て「にっぽん昆虫記」「赤い殺意」で話題をあつめた。東北のドロドロとした習俗を描いて日本の原風景をと訴えたが、恐山のふもとで育った川島は「あんなところに何もありません」と助監督だった今村を「なんてもののわからないやつ」と軽蔑した。
一方の今村は「都会のことをわかったふりでわかっていない人」と批判したというが、見逃せない面白い挿話だ。
幕末太陽傳は昭和32年の作品。いまでも邦画喜劇の最高傑作と思う。
なかでも「居残り佐平次役」のフランキー堺は絶品だった。
肺病を病む佐平次が市村俊幸の杢兵衛大盡に「顔色が悪い」と言われ、セキをしながら 「べらぼうめぇ」と啖呵を切って東海道を走りぬく姿に小沢は「そこにジャズが流れていく。そのシーンがそのままフランキーの人生の幕切れを象徴している」「幕末太陽傳の役は彼以外にできる人はいません」と追悼した。
37年前から続いている「東京やなぎ句会」がある。米朝、小三治、扇橋といった落語家に江國滋、矢野誠一らのものがきがいて、永六輔と小沢昭一が加わればこれは楽しい句会だろう。
永六輔の俳号は住んでいるところからとって「六丁目」。小沢は六丁目を「歳時記を捨てるという枷をかけて、句作を楽しむ」と紹介、その人柄を大人の「子供電話相談室」のような人と形容した。
いつまでも絶える事の無い素直な好奇心を持った人の意味であるらしい。
小三治の俳号は「土茶」。
志ん朝と肩を並べる噺のうまさと独特のフラを持っている落語家で昔から私も大好きだった。
本名は郡山剛蔵(ゴウゾウ)という強情そうな名前で、お父さんは校長先生。
小三治のできちゃった婚に「どうも倅がとんだ粗相を」と挨拶したとある。
いま落語が若い人のブームになっているそうだが小朝、正蔵、鶴瓶らが先導役として有名となり、小三治の名前はない。活躍ぶりも余り聞かない。
少し寂しい気がする。
渥美清も句を寄せていた。俳号は「風天」。
彼の作品は
貸しぶとん運ぶ踊り子悲しい
好きだから強くぶつけた雪合戦
なんとなくこの句、寅さんの匂いがしてくる。
■■ジッタン・メモ■■
<<備忘録>>
【小沢 昭一 わた史発掘 】戦争を知っている子供たち 文春文庫
バイプレーヤーとして強烈な魅力を持ったフランキー堺、加藤武、小沢昭一らが、麻布中学の出身で、のちに早稲田でも同門となっていたことは知らなかった。
ましてや、小沢が海軍兵学校の繰上げ入学生だったことも。「幕末太陽伝」で貸本屋の金造を演じた小沢とフランキーの味わいは、終生忘れられない強烈なもの。
軍歌は麻薬と嫌い、平和憲法を渇望した彼の自分史が「わた史発掘」となった。小沢は昭和4年生まれ。(2001年10月読む)
【俳句旅行のすすめ 】江國 滋 朝日文庫
「まず俳句を作ることである。句のよしあしなど気にすることはない。だいいちあなた よしあしを言えた身分ですか。はじめて作るのに、よしあしなぞを口にするのは僭越というものである。結果なんぞは考えないでやみくもにとりかかることが先決である。」落語の好きな江國節だ。
著者は慈酔郎とした俳号を使って作句を楽しんでいる。
月から肉眼で見える地球で唯一の建造物は万里の長城だそうだが、彼の中国の地で「冬時や のっぺらぼうの大広場」と12万坪の天安門広場の大きさを読み、サービス精神皆無の中国人の旅人の扱いを「険悪な顔、声、態度 そぞろ寒」とした。
海外俳句のコツが紹介され、「あらかじめ作っておく。旅行案内、カラー写真は好材料。季語と単語も抜粋しろ」と大胆な案を披露。
季寄せ、歳時記からも書き抜きをしておくのだそうだ。
こうしてドイツで「ゲーテの宿の秋思かな」があらかじめ作られていて、現地では「天高くゲーテの宿の暗さかな」と実際の体験、体感と重ねる。
これは、ある程度詠みなれた人の採る方法で、素人がやる方法ではないと多くの俳句ファンからの叱責が聞こえてくるようだ(200310月16日 読了)
【1996年6月4日の日記】から
連日職場の歓送迎会で飲み疲れる。
梅雨模様の中、佳子は書道展の手伝いで栃木へ。
留守番を兼ねて、ビデオに取っておいた幕末太陽伝を観賞。
フランキー堺の追悼を兼ねた。
かってこれほどの喜劇映画はあったろうか。何回見ても、味わいがあり、楽しさが残る。フランキーが絶妙でこの人は落語家になっても大成したに違いない。 豪華な脇役陣が競いあって楽しく、川島雄三のメガ捌きも見事なものだ。
【ドキュメント 綾さん―小沢昭一が敬愛する接客のプロ】 新潮文庫 トルコ嬢との真面目対談(1994年9月 読む)