ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔14 七五の読後〕  【歴史の愉しみ方】 磯田 道士 中公新書

2014年03月05日 | 〔 14 七五の読後 〕
【歴史の愉しみ方】 磯田 道士 中公新書

● 古文書の地震読むため浜松へ
古文書の速読ができるという著者。「歴史時代の地震を研究する大学の人は東海地方にはまだ一人もいない」という3・11以後の自負。

加賀藩士が付けた家計簿をもとにした「武士の家計簿」という映画があったが
その家計簿を読み込んで面白い本にしたことで著者を知る。
この人、33歳まで定職もなく全国を股に古文書を求め読み漁っていた。

だが3.11巨大地震から1年後の2012年4月、津波常襲地の浜松に職を得て移住している。

■■ 忍者など 歴史の愉しみ方


● ネットにて忍者実名知ることに
ペリー来航時に忍者は10人。
(1613年には61人 が1850年には10人と激減)

● 分け目には狙撃兵として用いられ
関が原、大坂の陣含めて火器に明るかった忍者が重宝された。

● 懐は今なら年収900万
万治3年 甲賀忍者の棒禄は玄米30石。
時価換算なら今の900万。


● 明治2年 評定所にて廃止令
忍者廃止令が正式となった。


● くの一の存在まだ謎の中
未だ歴史古文書の中にその記録がないらしい。
「風神の門」「梟の城」「果心居士の幻術」など司馬遼作品を思い出す。

● 由緒書に見る忍者の合戦史
天正11年(1582)から元和元年(1615)までに出動した忍者数は200人、そのうち討ち死にしたものが75人。
特に天正11年から12年にかけて戦死している。
ちなみに秀吉と織田信雄・家康間で小牧・長久手の戦いは、天正12年。


● 伊賀者は時価換算で壱百万
伊賀忍者は石10であり、年収100万円程度。
甲賀はこれに比べ40~70石と高給だったようだ。
伊賀者では喰えないから領地を耕して口に糊をした。
この地が現在の原宿の表参道だったというから笑える。

一方甲賀忍者は火器火薬の扱いに長けていたのだが江戸城正門の警備の任を負って不満だった様子。
彼らが住んでいた青山甲賀町というところは神宮球場ライト側。
甲賀忍者頭の家はいまのヤクルト球団クラブハウス辺りと著者の推定。



● 小楠は船中八策生みの親
龍馬構想は横井小楠の受け売りだと著者。
小楠という人とその生き方に以前から関心があったので何れ類書を読んでみたい。


● 日本史は山陽、蘇峰、遼太郎
われわれ国民へ歴史影響を与えた著作の流れは 
頼 山陽の日本外史、徳富蘇峰の大著「近世日本国民史」、司馬遼太郎の
『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など戦国・幕末・明治を扱った作品と著者は言う。

近世日本国民史と司馬著作は若い時に私も読んだ。


● 反軍演説を為して除名された人

吾言即是万人声 (吾が言は、即ち是れ万人の声)
褒貶毀誉委世評 (褒貶毀誉〈ほうへんきよ〉は、世評に委す)
請看百年青史上 (請う百年青史の上を看ることを)
正邪曲直自分明 (正邪曲直、自ずから分明)

磯田は昭和15年に反軍演説を帝国議会で行った斎藤隆夫の色紙を市で入手。

斉藤は刀も送りつけられテロも覚悟した議会人だった。
政府軍部の大陸政策を批判。この演説で国会を追われた。 
除名賛成 296 棄権 144 反対 7 


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● 公卿日記 立って居られぬ揺れ10分
東海地震 震度6-7 
立っていられない揺れが10分程度続いていたことが当時の古文書から解るそうだ。
15メートルの津波は数分後にこの地域に襲来しているが東日本3・11の時は津波到着は45~60分。この違いは大きい。
東海道新幹線は常時3分間隔で離発着しているのが現状。
古記録で津波常襲の浜名湖付近を走る新幹線は海面近くを走行。





● 3・11 住処を浜松にして生きる道
3・11発生。
著者は日本列島が地震活動期に入ったという自覚を強める。


「立派な現場、駄目な指揮、とんでもない兵站」「想定は外、情報は内」という相も変らぬこの国の姿」を見た著者。


1150年前、今回の東日本大震災とおなじ規模の貞観地震がありその18年後に仁和南海地震、東海地震と巨大地震が相次いだ。
巨大地震を探るには古文書の研究と情報が必須となる。
8年間の茨城大学の教鞭から浜松の県立大に移ることを決意。

私の勝手な想像だが
磯田氏は文中に残した諭吉の「学問のすすめ」一節に強く心を動かされ決意したようだ。

「今の学者たる者は決して尋常学校の教育をもって満足すべからず、その志を高遠にして学術の真面目に達し、不羈独立をもって他人に依頼せず、或いは同志の朋友なくば一人にてこの日本国を維持するの気力を養い、もって世のために尽くさざるべからず。」

(福沢諭吉 学問のすすめ 十編)  

● 原発は鬼の居ぬまの洗濯か
だが鬼はいる。
南海地震、東海地震という鬼が。
巨大地震が及ぶす原発事故の恐ろしさは3年前の福島で体験している。

寺田寅彦のことばが引かれていた。

「地震や津波は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやってくる」
「自然は過去の習慣に忠実」であり、「科学の法則とは畢竟“自然の記憶の覚え書き”なのである。」


と寺田が「津波と人間」に書き残していると著者は強調。













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