ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【菊池 寛】半自叙伝 文藝春秋

2005年08月22日 | 2005 読後のひとりごと
【菊池 寛】半自叙伝 文藝春秋



素顔の菊池寛には以前から関心があった。一高時代にマント事件で友の身代わりを買って退学、真珠夫人など通俗小説書きを自ら自認、生活するためにものを書くと言い切る男っぽい魅力もあった。
寛が時事通信や大阪毎日の記者を体験していたことをこの書で知る。

当時の文壇交友録で芥川を「交遊10年 後事を託すべし」直木を「交遊5年 アテになるようでアテにならず、アテにならざる如くしてアテになる。このごろ、段々アテになってくる」と紹介。
寛は35歳で文芸春秋を創刊、昭和10年477歳で「芥川」「直木」賞を設定した。
また関東大震災で虐殺された平沢計七を「あんなに落ち着いて思慮のある人がああした天災のとき乱暴を働いたとはどうしても思われない」の発言を確認できたことも発見のひとつだった。
 菊池寛は親交のあった作家・吉川英治のご子息英明さんの名付け親で、英明さんは馬主席で「双眼鏡を胸にタバコの灰をぼとぼと膝や胸にこぼしながら絶えず上着のポケットから南京豆を出して食べたている」と寛の横顔を見ていた。【父 吉川英治】吉川 英明 講談社
 

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定年1年後の盛夏の夕べ。
庭先で恒例のバーベキューを行う。
午後から南風が強く少し心配だったが風もやんだ。
孫の4人が庭内で走り回り、さきごろ生まれた花菜ちゃんだけはお部屋でスヤスヤ。
近くの団地から盆踊りの歌が聞こえる。
どうも花火師がいるらしく、お祭りのあとの打ち上げ花火は壮麗、豪華のそのもので、みんなが楽しんで散会。


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