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11月23日
2日目。
高尾の神護寺に向かう。
紅葉狩りのシーズンピークとあって京都はどこでも人の波で溢れている。
そのためバスの発着場所の時間確保も容易ではないらしい。
神護寺は空海が東寺や高野山に向かう前に一時住んでいた寺だとのことで、仏教史上重要な寺院とのこと。
6万坪有余の山内は紅葉の名所として有名と聞いた。
参道は思ったより長いので、交わす言葉がとぎれるほど、きつい石段となっている。
だが、小雨で濡れた石段に紅葉が敷かれ、慰めとなっている内15分ほどで山門に着いた。
寺堂の周囲の紅葉は愛でられるが、中の文物にお目にかかる時間はない。
帰路、境内西の地蔵院で「かわらけ投げ」をしてみようということになった。
山間の谷に向けて2枚100円の素焼きの円盤を投げて厄除けを占う。
一枚は飛んだが、一枚はごく手前に落ちた。
とても落語「愛宕山」の若旦那のようにかわらけを数多く豪勢には飛ばせない。
急いでバスに向かうが、約束の発着所がなかなか見つからず、途中で出合った添乗員さんも困惑したようで一緒にバスを探し、ようやく時間ぎりぎりセーフとなる。
紫野・泉仙(いずせん)で精進会席の昼食となる。
鉄鉢料理ということから
鉄鉢の中にも霰 山頭火
の句が浮かんだが、こちらは朱塗りの鉄鉢に盛り付けられた精進会席だった。
なかなか結構な味でした。
山門が緑の苔に覆われた大徳寺・高桐院に入る。
ここは大徳寺の塔頭のひとつで、建立した細川忠興は利休七哲の一人とのこと。
奥方は光秀の娘で後の細川ガラシャ。
石田三成の人質となるを拒み享年38歳でその世を閉じた悲劇の美女。オルガンティノ神父が細川屋敷の焼け跡を訪れてガラシャの骨を拾い、堺のキリシタン墓地に葬ったとのことだが、この高桐院にも墓所があるとのことだった。
出雲阿国の墓もあると聞いたが、それをゆっくり確かめる時間的な余裕はない。
ゆっくり歩いてくださいといわれた「哲学の道」の逍遥も、のんびりできない急ぎ足となってしまった。
銀閣寺も人、人、人。
本堂の襖絵なども見たかったが到底無理。
境内から寺を眺めて少年の頃に来た修学旅行を思い出す。
次の法然院は法然の草庵とのことで、ここに河上肇や谷崎潤一郎の墓があるとのことだがこれも次回の楽しみとしよう。
再びバスに乗って平安時代から東山随一の紅葉の名所とされた永観堂へ。
山上に多宝塔があって、京都市内の眺望がいい。
本堂の回廊を歩むと山気だろうか、そぞろ寒くななる感じだ。
本堂の阿弥陀如来は、顔がななめ後ろに向かっていて「みかえり阿弥陀」と呼ばれているそうだが、人気絶大と見えてなかなか近寄れない混雑振りだ。
苔むした石の階段や岩肌の紅葉もある一方で、まだ緑色が勝っている初紅葉も光に透過されると実にきれいだ。
雑踏を縫うようにしてバスが進む。
清水寺近くの順正で湯豆腐の夕食。
湯がゆずの香りがして中の豆腐もきめが細かく大きい。
美味しかった。
冷えた身体があたたまり京都には湯豆腐がよく似合う。
夜はライトアップされた清水寺へ向かう。
闇の中に押し寄せた観光客は初詣の混雑に似ている。
これだけの人がシーズンには清水の舞台に日夜乗っている。
堅牢な作りと解っていても木造りだけに少し恐い。
容易に身動きができない中でタイムアップの問題もあり舞台へ向かう途中の石段を降りて出口へ向かう。
帰路、堂塔伽藍がライトアップされて闇夜に浮かぶ。
同行のMは盛んにシャッターを切っていた。
清水の舞台からもっと写真を撮りたかったようだが早めの帰還を提案して申し訳ない感じだ。
だが一日の行程もこれだけ密度が濃いと少し疲れた。
3日目。
バスは市営の駐車場を探したが無理で天竜寺のそれを使った。
大きい禅寺の天竜寺は久々の眺めだ。
遠い昔の新婚旅行の時も、あーちゃんの快気祝いの旅行の時もここには来た。
数々の歴史を刻んできた禅寺だが、幕末の京都にあっては蛤御門の変で長州藩浪士隊3000名の出撃拠点ともなったはずだ。
バスガイドさんから嵯峨散策コースの提案を受けて天竜寺参道脇の竹林に沿いながら 常寂光寺へ。
常寂光寺は、ちょうど小倉山の中腹斜面にあたるそうで日蓮宗の寺。
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
いまひとたびの みゆきまたなむ 貞信公
あまり数は知らないのだが百人一首の歌が浮かぶ。
全山紅葉。
2日間、それぞれの紅葉が楽しめたが、ここの閑静な紅葉を見ていると心が落ち着く。(写真)
常寂光寺のすぐ近くに落柿舎があった。
蕉門十哲のひとり向井去来の庵。
以前訪れたときに裏庭だったか路傍に「去来」とだけ書かれた見過ごしてしまうような小さな墓があったことを思い出した。
今回は中に入らず表門の撮影だけとした。
昼食は渡月橋畔の数寄屋づくりの店「錦」で京弁当をいただく。
土瓶蒸しの味、結構でした。
振り返る嵐山の紅葉も一段と深まっている。
二日来て紅葉やゝ濃し嵐山 虚子
その後バスは東福寺へ。
後日、娘から
「4チャンネルで東福寺を紹介していたよ。人がまばらで紅葉もきれいで よかったでしょう」
と言われたが事実は左に非ず。
堂から通じる廊下がそのまま屋根付きの橋となった「通天橋」は凄い賑わい。
ここの付近は特に紅葉の名所らしいのだが人、人、人の背後からようやくシャッターを切る感じだ。
この東福寺は臨済宗本山の寺院で、寺名は奈良の東大寺、興福寺から1字ずつ取って「東福寺」としたそうだ。
この東福寺の紅葉が今回旅行のフィナーレとなったがそれにふさわしい見事さは確かにあった。
クラブツーリズムの「選りすぐりの紅葉にたゆとう錦秋の京都周遊」の参加代金は往復新幹線を使い2泊3日で一人8,9800円也。
これを高いと見るか安いと見るか、評価はまちまちとなろうが庶民の”大名紅葉行”としてはまず満足。
企画旅行を誘ってくれた旧友に深謝。
「足らぬは余るよりよし」ともいう。
今回は紅葉。
神社、仏閣、伽藍、襖絵などの京の旅は次回にとっておこう。
2日目。
高尾の神護寺に向かう。
紅葉狩りのシーズンピークとあって京都はどこでも人の波で溢れている。
そのためバスの発着場所の時間確保も容易ではないらしい。
神護寺は空海が東寺や高野山に向かう前に一時住んでいた寺だとのことで、仏教史上重要な寺院とのこと。
6万坪有余の山内は紅葉の名所として有名と聞いた。
参道は思ったより長いので、交わす言葉がとぎれるほど、きつい石段となっている。
だが、小雨で濡れた石段に紅葉が敷かれ、慰めとなっている内15分ほどで山門に着いた。
寺堂の周囲の紅葉は愛でられるが、中の文物にお目にかかる時間はない。
帰路、境内西の地蔵院で「かわらけ投げ」をしてみようということになった。
山間の谷に向けて2枚100円の素焼きの円盤を投げて厄除けを占う。
一枚は飛んだが、一枚はごく手前に落ちた。
とても落語「愛宕山」の若旦那のようにかわらけを数多く豪勢には飛ばせない。
急いでバスに向かうが、約束の発着所がなかなか見つからず、途中で出合った添乗員さんも困惑したようで一緒にバスを探し、ようやく時間ぎりぎりセーフとなる。
紫野・泉仙(いずせん)で精進会席の昼食となる。
鉄鉢料理ということから
鉄鉢の中にも霰 山頭火
の句が浮かんだが、こちらは朱塗りの鉄鉢に盛り付けられた精進会席だった。
なかなか結構な味でした。
山門が緑の苔に覆われた大徳寺・高桐院に入る。
ここは大徳寺の塔頭のひとつで、建立した細川忠興は利休七哲の一人とのこと。
奥方は光秀の娘で後の細川ガラシャ。
石田三成の人質となるを拒み享年38歳でその世を閉じた悲劇の美女。オルガンティノ神父が細川屋敷の焼け跡を訪れてガラシャの骨を拾い、堺のキリシタン墓地に葬ったとのことだが、この高桐院にも墓所があるとのことだった。
出雲阿国の墓もあると聞いたが、それをゆっくり確かめる時間的な余裕はない。
ゆっくり歩いてくださいといわれた「哲学の道」の逍遥も、のんびりできない急ぎ足となってしまった。
銀閣寺も人、人、人。
本堂の襖絵なども見たかったが到底無理。
境内から寺を眺めて少年の頃に来た修学旅行を思い出す。
次の法然院は法然の草庵とのことで、ここに河上肇や谷崎潤一郎の墓があるとのことだがこれも次回の楽しみとしよう。
再びバスに乗って平安時代から東山随一の紅葉の名所とされた永観堂へ。
山上に多宝塔があって、京都市内の眺望がいい。
本堂の回廊を歩むと山気だろうか、そぞろ寒くななる感じだ。
本堂の阿弥陀如来は、顔がななめ後ろに向かっていて「みかえり阿弥陀」と呼ばれているそうだが、人気絶大と見えてなかなか近寄れない混雑振りだ。
苔むした石の階段や岩肌の紅葉もある一方で、まだ緑色が勝っている初紅葉も光に透過されると実にきれいだ。
雑踏を縫うようにしてバスが進む。
清水寺近くの順正で湯豆腐の夕食。
湯がゆずの香りがして中の豆腐もきめが細かく大きい。
美味しかった。
冷えた身体があたたまり京都には湯豆腐がよく似合う。
夜はライトアップされた清水寺へ向かう。
闇の中に押し寄せた観光客は初詣の混雑に似ている。
これだけの人がシーズンには清水の舞台に日夜乗っている。
堅牢な作りと解っていても木造りだけに少し恐い。
容易に身動きができない中でタイムアップの問題もあり舞台へ向かう途中の石段を降りて出口へ向かう。
帰路、堂塔伽藍がライトアップされて闇夜に浮かぶ。
同行のMは盛んにシャッターを切っていた。
清水の舞台からもっと写真を撮りたかったようだが早めの帰還を提案して申し訳ない感じだ。
だが一日の行程もこれだけ密度が濃いと少し疲れた。
3日目。
バスは市営の駐車場を探したが無理で天竜寺のそれを使った。
大きい禅寺の天竜寺は久々の眺めだ。
遠い昔の新婚旅行の時も、あーちゃんの快気祝いの旅行の時もここには来た。
数々の歴史を刻んできた禅寺だが、幕末の京都にあっては蛤御門の変で長州藩浪士隊3000名の出撃拠点ともなったはずだ。
バスガイドさんから嵯峨散策コースの提案を受けて天竜寺参道脇の竹林に沿いながら 常寂光寺へ。
常寂光寺は、ちょうど小倉山の中腹斜面にあたるそうで日蓮宗の寺。
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
いまひとたびの みゆきまたなむ 貞信公
あまり数は知らないのだが百人一首の歌が浮かぶ。
全山紅葉。
2日間、それぞれの紅葉が楽しめたが、ここの閑静な紅葉を見ていると心が落ち着く。(写真)
常寂光寺のすぐ近くに落柿舎があった。
蕉門十哲のひとり向井去来の庵。
以前訪れたときに裏庭だったか路傍に「去来」とだけ書かれた見過ごしてしまうような小さな墓があったことを思い出した。
今回は中に入らず表門の撮影だけとした。
昼食は渡月橋畔の数寄屋づくりの店「錦」で京弁当をいただく。
土瓶蒸しの味、結構でした。
振り返る嵐山の紅葉も一段と深まっている。
二日来て紅葉やゝ濃し嵐山 虚子
その後バスは東福寺へ。
後日、娘から
「4チャンネルで東福寺を紹介していたよ。人がまばらで紅葉もきれいで よかったでしょう」
と言われたが事実は左に非ず。
堂から通じる廊下がそのまま屋根付きの橋となった「通天橋」は凄い賑わい。
ここの付近は特に紅葉の名所らしいのだが人、人、人の背後からようやくシャッターを切る感じだ。
この東福寺は臨済宗本山の寺院で、寺名は奈良の東大寺、興福寺から1字ずつ取って「東福寺」としたそうだ。
この東福寺の紅葉が今回旅行のフィナーレとなったがそれにふさわしい見事さは確かにあった。
クラブツーリズムの「選りすぐりの紅葉にたゆとう錦秋の京都周遊」の参加代金は往復新幹線を使い2泊3日で一人8,9800円也。
これを高いと見るか安いと見るか、評価はまちまちとなろうが庶民の”大名紅葉行”としてはまず満足。
企画旅行を誘ってくれた旧友に深謝。
「足らぬは余るよりよし」ともいう。
今回は紅葉。
神社、仏閣、伽藍、襖絵などの京の旅は次回にとっておこう。
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