ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔読後のひとりごと〕【小泉純一郎を嗤う】佐高 信 毎日新聞社

2006年04月05日 | 2006 読後のひとりごと
【小泉純一郎を嗤う】佐高 信 毎日新聞社 
 佐高が俳優の三国連太郎と対談をしてその時は引き出せかなった話があった。
三国連太郎は
 「親父は棺おけを作っていましてね。
あるとき、戦争に反対していた青年が憲兵に追われて逃げてきたことがある。
親父は彼を棺おけに隠しましてね。なけなしの米でにぎりめしをつくって少年の私に運ばせました。
私も徴兵令状が来たとき逃亡したんです。
その私を「恥知らず」「非国民」とののしって警察につきだしたのは母親です。
母親に「死んでこい」とつきだされた子どもの絶望がどんなものか、わかりますか。
この両親との体験が私の原点になりました」
 三国は4度結婚をしている。
 映画「ビルマの竪琴」の水島上等兵、「飢餓海峡」の樽見京一郎、「にっぽん泥棒物語」の泥棒役など明暗、陰影に富んださまざまな役をこなしてみせる三国。
彼の役者としての源泉の場のようなものが、少しだけわかったた気がした。
いまの「釣りばか日誌」の明るいスーさんからは想像もつかない。
あの当時の演技には凄みがあった。


 佐高が小泉と竹中に対して、郵便局にはきつく、銀行には甘く、アメリカには盲従すると批判している。
本のタイトル「嗤う」は過激すぎるが、文意には、ほぼ異議なしだ。
 対米「隷属」ということばを佐高が多く使い、いまのアカハタ日曜版には「アメリカの言いなりに」というやさしい表現があふれている。
佐高が指摘しているように日本がアメリカ国債の3割を買ったり、イラク戦争での自衛隊派遣支援や、いまの米軍再編に絡む基地問題ひとつとっても「対米従属」状態ではないのか。
四文字熟語として十八番(オハコ)のように「対米従属」を”教宣”していた共産党が、その表現を紙上では使わなくなっているのはなぜなのだろう。
佐高は
「共産党は最近とくに”常識”に身を寄せているように見える。しかし、常識的政党となってしまったら、共産党は共産党なのだろうか。自民党の考える常識と共産党の求める常識は違うはずであり、共産党はいわゆる常識にムリに近づく必要はないのではないか」(共産党に「羽仁五郎」を勧めたい)
 としているがこの点は賛成。
 むしろ最近の共産党には変な常識もある。
 3年前に共産党の国会での顔というべき筆坂議員が酒席でセクハラをした角で議員を辞職した。
惜しい男と思った。
そのとき共産党の志位委員長は、
「党本部職員の外部での飲酒を原則として禁止した内部規定を、今後厳格に運用する考えを示した。筆坂秀世・元参院議員のセクハラ問題を受けた再発防止策の一環。」(2003年7月3日 読売新聞 朝刊)
 この記事は、私の脳にゴーンと響いた。
私は酒が好きなほうだから「外部での飲酒を原則禁止」とする常識措置に強い反感を覚えた。
酒は自宅でさびしく独り飲めば、いいってもんじゃない。
これじゃ職員もたまったものであるまい。
いっときの騒ぎにあわてて、外で一杯飲むこともできないような新常識を作って通達する体質に共感はない。
いや。持てない。


 佐高節にも注文が残る。
 はげしい言葉を浴びせることが辛口評論家でないだろう。
「日立、松下、東芝を社畜製造会社の御三家と読んでいます。この3社は、とくに熱心に修養団がやる”みそぎ研修”(伊勢神宮を流れる五十鈴川にフンドシひとつで入らせる)を社員にさせているからです」(片山 善博さんへの手紙)
社員を「家畜」になぞらえるのは、ちと、ひどすぎないか。
読者の中には、社員もいれば家族もいる。
この造語には強い不快感が残った。
辛口評論家を自称するなら、軽く笑って共感を呼べる造語が欲しい。
ずけずけとした短絡的なもの言いの連弾は辛口とはいわず、むしろ薄口だ。
佐高も年をとって、短気になって、言葉遊びが面倒になっていないか。
  また佐高は、ことさらに司馬遼太郎の読者や彼の支持者を色眼鏡をかけて評価する。司馬遼太郎批判にまつわってのこのパターン思考もいまやマンネリだ。
 一方で「東スポ」社長に高杉良と一緒に馳走になったことが書いてあったが、饗応にあずかったのは高杉の連載小説の題字を佐高が書いたそのお礼とのこと。
 揮毫や題字のお礼に社長接待を受けるなどは、昔の料亭政治家がよくする茶飯事で、書くまでもない事柄の筈。
それをあえて文字にする時、辛口だった佐高節は下り坂となってくる。



■■ ジッタン・メモ ■■

<<備忘録>>

【黄沙の楽土 石原莞爾と日本人が見た夢】  佐高 信 朝日新聞社 
 佐高が石原莞爾を故郷出身の男として、そしてその男の生き方への否定論者としての立場から自伝を書こうとした気分はよく伝わってきた。
 五・一五事件で殺された犬養の孫娘の道子が石原を指弾することばと、石原を推薦する市川房江のことばとを対照的に選んで石原莞爾への切り口とし、莞爾の人物等身大に迫る。
部下の献策を取上げる板垣征四郎を徹底的に石原は利用した。
張作霖の遺品を含め満洲の私財返却を犬養に依頼した張学良の手紙。
犬養暗殺の引き金にはこの対応での犬養憎さがあった。
そこに石原がいた。
石原の人物像は石橋湛山や通産次官の佐橋滋との比較から描かれていくのだが、あっち、こっちに話が飛んで、読みづらい。
むしろ井上成美という海軍将官の生き様の方に共感を得た(2002年7月4日 読む)


【戦後を読む 50冊のフィクション】佐高 信 岩波新書 
  文中、いいなと思ったところ。1966年、松村謙三の訪中の弁「日本の首相を批判する事を許さず」
 面白いと思ったところ。1943年、三国連太郎の徴兵忌避事件。母への手紙と国に連太郎を売った母。
佐高の紹介本50冊の中で読むべしと思った本は以下に。

 「腐ったヒーロー」
 力道山をモデル 生島冶朗 1994年双葉文庫
 「生にえ」梶山秀之 
インドネシア賠償汚職の闇   週間アサヒ芸能で66年から連載、デビ夫人は訴え。  1967年 徳間書店刊
「拉致」 中園英助 83年 光文社刊
 金大中事件 金と文鮮明への日本政府の態度の違い。宇都宮徳馬への評価
「夢千代日記」 早坂 暁 広島で見た終末の風景 1987年 新潮文庫 (1996年4月17日)


 日誌 から
佐藤さんと碁 ○○2連勝。 コサギが槙の樹上から庭の池を覗いてなにやら思案中。最近、よく来訪。
 オリンパスカメラのソフトをインストール。
 福島民友の木下さんから社長を終えたと挨拶状。医療と福祉をライフワークとする由、さすが。
石橋湛山の志を副題とした「孤高を恐れず」佐高 信を読み始める。(2005年3月22日 記)

 【日本の権力人脈】 佐高 信 潮出版 内容メモ
 失われた財界人の哲学 倉敷紡績.大原孫三郎の散財対象 大原研究所と労研
勲章を拒否した財界人 日経連の子弟コンビ 宮島と桜田 宮島は吉田の盟友
斎藤と石原はニコポンセールスマン代表 日本株式会社衰退の象徴 「エサをみて無定見に尻尾をふるは卑賎の商法」 三菱 牧田の対中姿勢
日本郵船の筆頭株主は皇室だった
英語で寝言 三菱商事の藤野 海外転勤者の現地出迎えを厳禁
藤野「三菱は秋田犬なり」と喝破 国際感覚の奨励
三井のドンたち  筑波生まれの江戸  戦後三井再建に努力
昭和21年 三井銀行社長になった佐藤 喜一郎 為替自由市場で先見性
第一臨調の佐藤 第二臨調のメザシの土光 東芝争議で組合側に
金融資本の定義を説いた小山五郎 東大は役人 一橋は物産の就職構図
三井物産の戦後築いた新関.水上のコンビ
 3度稿を改める住友.川田の心掛け
 歌人.俳人の多い住友の就職観  
寝ても起きても社を考えろ これは人間の身と魂に対する冒涜である 源氏鶏太を庇った川田の哲学
(89年5月14日)

 【佐高 信の快刀乱麻】 徳間文庫】
 以下は佐高 信の語録。小気味よし。
 安岡正篤とは  人間を上下関係でしか見られない男  
           吉田から大平までの師匠役
役 阿川弘之とは 愛国主義者のお節介焼き
井上靖とは    野間文芸賞の選考委員であり野間文芸賞を受賞し
           た人
 司馬遼太郎とは 「戦に勝つのは将の強さ」と社長たちに錯覚させる
           ものとして、司馬の小説はある
海江田万里とは  使っているのは理性ではなく利性である。
渡辺淳一とは    下半身作家は社会問題を語るな 彼の小説は”
            ティッシュ小説”
                     (1996年4月12日)

 【「非会社人間」のすすめ】 佐高 信 講談社文庫  森進一は中学を出て集団就職して苦労した。
八代亜紀は二十歳の時から、二年間も地方のキャバレー回りをした。
佐高は「サラリーマンは会社員から家庭の夫、あるいは父親へのマスクのつけかえ場所が必要なのだ」と指摘。そうなのだ。お父さんはつらいのだ。
汗した給料はすべて振り込みだから、子どもにはありがたみが伝わっていない。
それでいて家庭の場での父役は、はたさなければならない。
 文中に「演歌の花道」歌詞が紹介されていた (1996年8月25日)

演歌の花道  
うき世舞台の 花道は 表もあれば 裏もある
 花と咲く身に 歌あれば 咲かぬ花にも 唄ひとつ

遠い海鳴り 別れの汽笛 ここはさいはて 港町
 出逢いと別れが 寄せてはかえす 北へ流れて 降る雪さえも
 なぜか身にしむ こころうた

 【会社をよむ】 佐高 信 徳間文庫 
 「小説日本興業銀行」高杉良著のは中山素平を主人公にした全5卷の大作とのこと。読むべき一冊と思う。
 昭和ひとけたの城山、清水から昭和ふたけたの高杉、門田、安田までの経済小説家の年齢 が書いてあった。

小島 直記 1919年生まれ
 城山 三郎 1927年生まれ 
渡辺 一雄 1928年生まれ
 梶山 李之 1930年生まれ
 咲村  観 1930年生まれ
 清水 一行 1931年生まれ 
 深田 祐介 1931年生まれ
 広瀬 仁紀 1931年生まれ
 高杉  良 1939年生まれ
 門田 泰明 1940年生まれ
 安田 二郎 1940年生まれ
 笹子 勝哉 1943年生まれ
 杉田  望 1943年生まれ
 大下 英治 1944年生まれ

昭和ひとけた代のつぶやきをメモ。
 海部 八郎
 「みんながレジャーにうつつを抜かしているあいだ、俺たちは暑い砂漠を駆けめぐり、眠る時間を削って働いてきた。みんな国のためじゃないか。どこに私利私欲ががあるっていうんだ。……むなしいなあ。同じ戦中派だ。きみには俺の気持ちわかるだろう」

清水 一行
 「私の方には、かくかくの取材力がありますよ。それを全部動員してあなたのプライバシーを徹底的に法廷で暴きましょうという構えを見せると、名誉毀損で訴えというのはだいたい引っ込んじゃう。最初から腰を引いちゃって、ちょっと筆が滑って書き過ぎましてというポーズとっちゃったら、もう負け」

佐木 隆三 
 「小説の便利さとは、いうまでもなくウソが許されること」だが「しかし、ウソが許される世界だからといって、それは方法における虚構であり、描かれる人間がウソなのではつまらない」

 山田 太一
 「むしろ自分なら憎々しく思う人物をドラマの中に登場させて、好ましいと思う人物とディスカッションさせ、そのドラマを彫り深く立体的にしていく」
「燃え尽きる」清水 一行  
モデルの牧田には一度もあわず 「人間というのはおかしなもので、やることは大体決まっているんです。こういう顔をしたヤツはこういう行動をとるという分類があってね。牧田興一郎はこういうときには必ずこういう行動をするはずだという前提で書くと、これがピッタリ合っているんですよ。また、それがかけなけりゃ作家じゃないでしょう。もしも私が牧田に合っていたら逆にもっとつまらない作品になっていたでしょうね」

 梶山 李之 
1975年に香港で客死 夫人へ
 「俺がある日突然消えたら、そういうところ(警視庁とかCIA)へ連れていかれたと思え」(1996年9月2日)


日記から  
 巣鴨の姉、喜久江、光希ちゃん来訪。 図書館から借りた本
 
【名医の語る健康法】社会思想社
【佐高 信の異論武装】徳間書店
 【寄席芸人のおもしろ史話】小島貞二 毎日新聞社
 【中国料理 プロの隠し技】
 【詩のなかの昆虫たち】
【脳と心のバランス健康法】
 【火の鳥】 太陽編 
(1997年11月15日)
 

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1 コメント

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Unknown (あつし)
2012-04-26 13:16:02
佐高信さんは往時の輝きをまるきり失った。まるで現役生活晩年の清原や落合を見ているようだ。
年を取り気弱になり完全に守りに入っている。
もう無理はせずに引退し後進に道を譲るがいいと思います。
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