ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔09 七五の読後〕 【漱石さんの俳句】大高 翔 実業之日本社

2009年12月19日 | 〔09 七五の読後〕
【漱石さんの俳句】大高 翔 実業之日本社 

 作者はNHK‐BS2の人気俳句番組「俳句王国」では4年間司会を務めた 若手女流俳人。
夏目漱石の句の魅力をひき出しながら、自らの句も添えて一冊の本とした。

★ 春雨や柳の下を濡れて行く  

この句、漱石から子規への手紙に記されていたとのこと 。
句は明治27年(1894年)の作品。
28歳の若い漱石が濡れたからいいので これが伊豆大患時の漱石が詠ったら、受取り方はまるで違ってくるはず。  
あたたかな季節への期待 春の雨は艶っぽい、と作者。

★ 見上げれば城屹として秋の空 /漱石
★ 春や昔 十五万石の城下町 /子規

● 春の空 松山城は凛として /ジッタン

平成五年、永年勤続記念旅行で松山に夫婦二人で行き、道後温泉近くに泊まった。
松山城もよかった。

★ 親展の状燃え上がる火鉢哉
この句、子規に送った句稿にあったとのこと。
冬の火鉢は映像的。
同じ手紙でも秋の焚き火だったら受取る印象は違うだろう。
読んだ書簡を咄嗟に投げ入れた在りし日の複雑な感情と感覚の回想か。

★ 行く年や膝と膝とをつき合わせ
大晦日 貴重な時の流れのなかで文学のあれこれなどの回顧と展望。
その交換交遊の場。
漱石にとって子規もまた「膝と膝とをつき合わせ」たなかの一人であったろう 。
紅白歌合戦もなく、いまどきのメールもなく、正面から向かい合っていた越年。
濃密な時が流れている。

★ この夕 野分に向て分かれけり
疾風に向う子規は脊椎カリエスを患っていた。 
周囲を巻き込み野分のような子規を詠んだと作者。
松山の愚陀仏庵での一緒の生活から、漱石から東京に向う子規への送別句だった。
前書きに「子規を送る」としてその五句の内、4句目にこの句があった。
漱石は子規を「大将」と呼んで親しみをこめた。

★ 奈良の君 十二神将剥げ尽せり
奈良の新薬師寺を訪ねての句。 
逆説的に神将を崇めて親しんだ句。


★ 海見えて 行けども行けども菜畑哉

こういう情景は今でも共有できる。
キラキラした海が輝いて見える。そこへ行こうとするのだが菜畑が続く割には浜辺までの距離はまだまだ。
うっすらと汗さえ滲んでくる。

★ 雨 晴れて南山春の雲を吐く
山が雲を吐くというところが詩の誕生と作者は発見した。
陶淵明の詩に「悠然として南山を見る」がある。 この句稿に自ら×をつけた漱石。 その句に「イキ」として○をつけた子規。

■■ ジッタン・メモ

★ 玉蘭と大雅の住んで梅の花

池大雅と奥さんの玉蘭の仲むつまじい様子を漱石が詠んだ。
これを子規が「玉蘭と大雅の語る梅の花」と添削したという話を、昔読んだことを思い出した。(【拝啓 漱石先生】大岡 信 世界文化社)

子規の絶筆「糸瓜咲いて痰の詰まりし仏かな」は知られているが、伊豆で大吐血した漱石は「秋風や唐紅ののど仏」として自らを眺めた。 双方、この死生観はやはり明治的ですごい。



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