ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔身辺雑話〕FURUYA村で遊ぶ

2006年01月31日 | 身辺雑話
久しぶりにNPOで作っているFURUYA村へ同行した。ここは3年がかりで青竹などを使って牛舎を改装した男たちの遊び場でもある。http://www.sugito.com/をご参照ください。 昼に新蕎麦を打つということを楽しみに一行7人が集まった。 理事長の小川さん、皮工芸デザイナーの青年井上君、竹細工の名人で元税務署員の本谷さん、私ことジッタンが竹林の整理にかかった。 昨秋、 . . . 本文を読む

昭和家庭史 新婚前後(4)助手となったキミ 舅の松次郎は

2006年01月26日 | 昭和家庭史
新婦キミは甲斐甲斐しく働きだした。ただ結婚前の「約束」にあった「金はたんとある」というのはどうもそうでもない。「職人がいて、ご飯だけ作ればキミちゃんはいいんだから」と言った仲人佐藤のオバさんの口実もあやしくなってきている。 光男と同世代の職人は光男たちの結婚があって1週間後に姿を消した。 店主が新郎となって自分が「使用人」となり新婦と顔をあわせる。そうした立場に我慢ができなかっ . . . 本文を読む

昭和家庭史 新婚前後(3)キミの自伝から 光男との結婚

2006年01月24日 | 昭和家庭史
光男とキミの結婚までを思い出として書いてあったキミの”事でん(自伝)”(キミ編1 で前述)に意が尽くされている部分があるので、それを紹介したい。(原文まま) 昭和3年11月3日に浅草区神吉町1丁目の光男家へ嫁ぐ。キミは20歳で夫の光男は23歳である。安達の伯母と、佐藤の伯母さんの仲人で2人は結ばれた。当時、私は富士アイスクリーム会社に勤めていた。私と妹のすず子2人は同じ店で働いていた。な . . . 本文を読む

昭和家庭史 新婚前後 (2)式当日にまだ仕事  「嘴」の解散 

2006年01月23日 | 昭和家庭史
光男と松次郎と安達の伯母さんが連れ立って本郷元町の丸尾家を訪ねたのは、それからほどない初秋の頃だったらしい。元町のキミの家では、従兄弟の魚屋から大盤の寿司を取り寄せ、光男たちを待っていた。鈴、らくという妹たちは姉キミのよい人が来るというので好奇心から目を輝かせていた。 見合いは二階ではじまったが、まず親たちが結婚を認めた段取りとなった儀式で今とは違う。キミ本人は一回お茶を運んだだけで、後 . . . 本文を読む

〔身辺雑話〕百寿の猫、逝く

2006年01月22日 | 身辺雑話
カミさん(アーチャン)は越谷の音楽会の誘いを断り、私(ジッタン)もNPO農業大学の有機肥料受講をキャンセル。外は朝からの大雪で、それもあったが、飼い猫マックの容態急変が2人の欠席の動機となった。 マックは、全身真っ黒なオス猫なので「マック」と言う名前になった。 親は野良猫だった。飼って一緒に生活して21年になる。この歳月は巣立った子どもの成長と共にある。 獣医の渡部先生は 「まず、人なら百歳を . . . 本文を読む

昭和家庭史 新婚前後 (1) 見合いの下見

2006年01月21日 | 昭和家庭史
新婚時代 尾久店を畳んで光男は浅草神吉町に戻った。父親松次郎が建てた家に戻って理髪店の看板を出した。この理髪店を凹の字に曲がった車坂寄りの通りに安達蒲団店があった。このアダチさんは丸尾キミの伯母さんにあたる。富士アイスから戻ったキミに本人には知らせず見合いの話がキミの母しげに持ち込まれていた。 「親子2人暮らしで床屋をしている。家はできたばかりの木の香りが匂う新築。本人はとても真面目な . . . 本文を読む

昭和家庭史 光男編 (8) ラジオドラマ名づけは小山内薫

2006年01月15日 | 昭和家庭史
劇界の無気力に愛想をつかしていた小山内薫が築地小劇場を土方与志と創立したのは震災の翌年、大正13年6月13日のことである。 その旗揚げ宣言で「東京には見物をたくさん入れる劇場が多いが、芸術的良心を持った劇場は築地小劇場が唯一である」(前述「築地小劇場史」) と過去の面影を失っている歌舞伎や、新派劇興行と関係の深い松竹商業主義を昂然と批判し「我々の劇場では見物は従来の如く、遊び半分であってはなら . . . 本文を読む

昭和家庭史 光男編 (7) 嘴は8号まで 間上書店がバックアップ

2006年01月13日 | 昭和家庭史
同人誌「嘴」は8号ぐらいまで発刊された。当初はガリ版刷りだったが、やがて活版刷りとなり1部80銭で店頭に並んだ。名古屋の従姉妹の秋子たちも学友ちを通じてかなりの部数をさばいてくれた。さてこの「嘴」を積極的に援助し、全国への販路開拓などにも力を尽くしてくれた人に間上儀太郎という人がいた。間上は浅草千束の本屋の若主人で、外大露文科を卒業して家業を手伝っている貴公子然としたもの静かな人だったという。光男 . . . 本文を読む

昭和家庭史 光男編 (6) 「文芸交錯」との出会い

2006年01月09日 | 昭和家庭史
昭和2年の4月。高見順は一高の同人誌「廻転時代」から川田正道、新田潤らと同人誌「文芸交錯」の発刊準備をすすめていた。「文芸交錯」は浦和高校系の同人誌である。すぐ上の歳に、今日出海がおり左翼系の演出家になった佐野碩もいた。この「文芸交錯」が光男たちの同人誌「嘴」に合併話を持ち込んで来たのはキミが光男から聞いた話によると「並木」という浅草の喫茶店だという。 双方の代表数名が集まったが同人誌名 . . . 本文を読む

昭和家庭史 光男編 (5) 筆名は剣慕 沢正の魅力

2006年01月06日 | 昭和家庭史
「沢正っていうのは、たいした役者だ」「フムッ 迫力がね」「須磨子とのけんかの仇で咲いた新国劇か」嘴同人たちは、昨日連れ立って観劇した市村座の行友季風作「国定忠治」山形屋の場面で感想を述べ合っている。なかでも光男は新国劇・沢正の熱いファンであり、この芝居好きが、まもなく築地小劇場通いにもつながってゆく。 嘴同人たちが話し合っているのは、故郷国定村へ向かう忠治の小松原争闘シーンである。&nb . . . 本文を読む