ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔アキレス腱断裂 日記〕11月15日 華麗に舞って加齢に散る

2006年12月05日 | 身辺雑話
2006年11月15日
週末のテニス会員だったが平日にも誘われクラブに行く。
 パートナーは三菱自を退職したSさん。
 対戦相手は地元で空手を教えているM館長とF嬢。
 M館長のドロップボレーを捕りにネット際まで疾走したとき、突然左足のひざ下あたりに鉄球か野球の硬式ボールをぶつけられたような衝撃を受けた。
誰だ?後ろからぶつけたヤツは?
なんだこれ!?。
 身に、なにが起きたのか、とっさには判断がつかなかった。
 「音がした」と相手のF嬢。
 「歩けるか」とM館長。
「大丈夫」と答えて立ち上がり歩こうとしたが、足がガクン、ガクンとなって、かってない異常を感じた。
 Sの肩につかまってハウスのソファまで戻る。
 テニスは中断となった。
 「ともかくT接骨医で診てもらったほうがいい」とのM館長の助言もあって近くの接骨医へSの車で運ばれた。
実はこのT接骨医も20年前には、いっしょにテニスをしていた仲間。 「なんだ、ジッタン。まだテニスを続けていたんだ」と老婆の治療をしながら彼の目は、こちらの様子を見ていたが、ニヤッと笑って「ちょっと重症かもわからんよ」と言った。
 そしてアキレス腱を指でさすって、「切れている」と断言した。
 「治療方法として7か月間ギブスで固定し直す方法と手術との二者選択がある。
直した実績と自信は私のほうにはあるが、患者のほうが7ヶ月間の辛抱ができない。
手術をすすめるとしたらS総合病院がいい。
 紹介状が必要なら書くよ。
 松葉杖が必要なら持っていって。
 お代? いらない。 お大事に」

 Sの車で家に戻って、どうにか服を着替えた。
あとで「なぜ着替えができたんだ」と皆から言われたが、かかとを使えばどうにか立っていられた。
埼玉・ 川口の実家に電車で向かっているあーちゃんと電話で連絡、戻ってきてと緊急窮状を伝える。
 総合病院での診察は待つことなく、すぐ応じてくれた。
 かけつけた、あーちゃんと一緒に説明を受けた。
医師は
 「接骨医さんの診断の通りアキレス腱が断裂しています。
奥さん、ここを触ってごらんなさい。
指が入ってしまうでしょう」
私のアキレス腱部位に人差し指を直角にあてると、スウっと指が入る。
 断裂してるからアキレス腱がそこにはない。

診断名 左アキレス腱断裂

 「断裂の原因は疲労、ストレッチ不足がありますが、第一に加齢があります。
 しかしスポーツをしている若い人でも切れる時には切れてしまうこともあります」
 「治療法として独協医大では手術をすすめています。
 オペはできるだけ、時間をおかず、早いほうがいい。
  ギブス固定治療もありますが、いづれをとるかご夫婦で相談ください」
 「手術時間は準備をいれて40分程度。
入院して1週間程度で抜糸、また1週間でギブス交換、リハビリを経て歩けるようになります。
 ただ運動するまでの回復には3ヶ月程度はかかると見ておいていいでしょう。
 回復の判断基準は両足でつま先立ちできること、階段の上り下りが自由にできることです」

手術医の空きもあってすばやいオペの対応となった。
 問診や血圧なども搬送中に同時に行われた。
左アキレス腱縫合術がはじまった。
 うつぶせになって局所麻酔を打たれ切開がはじまる。
 軽い音楽が流れていたがこの方が痛みはやわらぐし、ストレスもたまらない措置と見た。
 医師2人、助手3人で足元に集まっている。
ときどき若いナースが「大丈夫ですか。痛かったら遠慮なく言ってくださいね」などと笑顔で親切だ。
 目の前に自動血圧計があって切開のたびに数値が上下している。
やることないからそれを見ていた。
血圧値下75、上160などの数値が随時動いている。
 オペ時間は20分余りで終わった。
縫った針数は聞かなかったが10針以内と想像。

術後は2人部屋に移送され、抗生物質の点滴もあり、トイレなどは車椅子の世話になる。
 術後の部位は夜間ズキズキと痛んだが、我慢できないほどの痛みではない。
 「眠ろう」
 それ以外に当面の「指し手」はない。
将棋で言えば、手渡しの局面になっている。

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1 コメント

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Unknown (紅茶好き)
2019-11-15 11:01:54
今年、11月9日、テニスの試合でアキレス腱断裂をやってしまいました。大変参考にさせていただきました。ありがとうございました。これを読んで、自分だけではないと励まされた人は多いのではないかと、思います。
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