ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔忘却からの帰還〕 【脳が読む】 養老孟司 法蔵館

2011年12月13日 | 〔忘却からの帰還〕
【脳が読む】養老孟司 法蔵館

「あらゆる書物は、人類という患者の訴えである」著者はこれを臨床読書論と名付けている。
こうした箴言的な言葉のちりばめが、索引部分にずらっと並んでいるのは新鮮。
養老の子供時代の読書記憶で、祖父が叱り、おばが隠れ読みをさせてくれた本は佐々木味津三「右門捕り物帖」があったとのこと。
私の場合、この本は小遣いで買った。

映画ではむっつり右門は大友柳太郎が演じて好評だった。
子どもにも「右門」はわかりやすい本だった。

養老少年をめぐる人間関係の意外な事実は人生を感じた。
「朝、起きて階下に行くと、二畳の部屋に澁澤龍彦が寝ていた。
床の間で球根栽培法を読んでいた男もいた」の記述。
養老の兄の世代、1950年代の時代空気がそこに感じられた。

中野孝次「清貧の思想」に「思想の清貧」こそ問題とする逆説の提起は新鮮。

昆虫好きの解剖学者の書評でありエッセー集ともいえる。(読了 2002年 冬)


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澁澤龍彦はマルキ・ド・サドを日本に紹介した文学者で三島由紀夫と深い親交があったとのこと。
球根栽培法とは戦後の混乱期に火炎瓶闘争など日本共産党の武装方針に基づいて出された秘密出版物。
「球根栽培法」はそれを擬装するための書名でガリ版刷りだったらしい。
聞いたことがあって読んだことのない刷り物だが、このことに関しての想い出が一つある。

在社中、9階の大会議室で賀詞交換会だったと思うが席上、渡邉主筆が若いときの思い出に触れた。
1950年代のはじめに日本共産党山村工作隊を取材するため奥多摩のアジトに潜入し、捕まってのちに無事解放されたという内容だった。当時は入社2年目の新人記者だったとのこと。
東大時代の共産党の活動思い出なども併せて紹介されていたが、この辺りを率直に触れ語られたあたりに新聞社らしい雰囲気があった。

社風や気風というものは直に触れなければ、わからないものも結構ある。








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