いつのまにか光男はいなくなった。進退窮まった松さんは、光男の最後の学年を本郷の中村金太郎に住み込みの条件で、その条件で同家に”奉公”させてしまっ
たのである。
大正6年(1917年3月)だったろう。
辰雄はいつも、つる女の側で、何をするでもなく暮らした。
来客との対談では口癖のように
「コレ(辰雄)が一番可哀想なんですよ」
と述懐していた。
それにはいろい . . . 本文を読む
家庭史の資料をあれこれ整理している中で、今から29年前の辰雄叔父からジッタン(当時30歳)宛ての書簡綴りが出てきた。この中には関東大震災以前のわが家族3兄弟の歩みが綴られていた。 . . . 本文を読む