★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

想像力を育む

2018-03-19 | 日記


想像力は人それぞれ違う。



私個人的には何となく、
世の中で人の想像力が乏しくなっているように感じる。



想像力と言うのはモノを創りだすことにおいて
大切な要素になるだけでなく
人間関係においても必要なことだと思うのです。



昔創られたものを再び手直しして作ることや
ちょっと昔のモノ拝借して表面的に一見変えてみたり
することも目立つようになっている。



日常生活も、人ごととして物事をとらえたり
こんなことが起こったらどう感じるか?
そんな人のことも自分事のように感じ考え想像してみることが
人間関係においてもっと大切なのではないかと思う。



自分だったら・・・
そう想像しても、その想像が自分に実際起こった時と
想像したときとの差が激しければ
何も想像することの意味をなさない。


その想像は、ただのキレイごとに過ぎない。



人にはもっともらしいことを言うのに
自分に同じような出来事が起こったとき
この世の終わりのように精神的ダメージを受ける人もいる。


人に面と向かって意地悪やひどいことを言ったり
陰で意地悪や悪口をこっそりしたとして
同じことを自分がされたらどうなのだろうか?

どう感じるのだろうか?

キレイごとではなく
本当にそんなことを自分がされたら?


それだって、それぞれの感受性の違いから
傷つくポイントも受け流せる容量も違うので
傷つける気なんてなかったのに
他人を傷つけていることはある。

それくらい、悪意がなくても起こることなのに
ましてや意識して悪意を向けるなんて恐ろしい行為だ。


余りにも、自分と他人と分けて考えているのではないか?



世の中で起きている色々なことに同じことが言えると思う。



自分の家族、自分の近所など自分に関わることでなければ
「かわいそうだ」
「やってあげればいい」
とキレイごとも言える。

それが自分事になったら?

例えば「かわいそうな」状況の人や物を自分が他人に言うように
かばったり良くすることを続けられるのだろうか?


今はネット社会でもあるから、
見知らぬ人と交流をもったりして
相手が傷つく酷いことも平気で発信したりもするけれど
それが自分に届いたら?自分の子供だったら?



想像力とは空想の世界だけではなく
日常的にも使っていくものなのだから
もっともっと、現実に生かせる想像から空想まで
地に足をしっかりつけながらも想像力を伸ばしていけたら
変わる世界があるだろうな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鏡の中の自分

2018-03-17 | 最近おもうこと


世の中の変化のスピードは早いように感じても
それでも私たちにとっては穏やかなものだ。



それでも、個々が自分自身の顔を鏡の中に
覗くことになっていくようになる気がする・・・


まるで自分自身に向かって言動しているように。



自分で発したものは自分のもとに帰るだけのことですが・・・




怖いことでも驚くことでもないけれど
人によっては嫌なことかもしれませんね。




いつ鏡を覗くようになるのかは分からない。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

想いが創り出す未来

2018-03-16 | 最近おもうこと


最近思うのですが、
やっぱり自分が信じたものが自分の未来を作り出しているのかもしれない。



そう言われても、なかなか実感できるものでは無い。


誰かが言っていることを聞いて「そうか」と
ぼんやり思うのと体感、実感するのとでは違う。


結局は、自分が体験して自分の中からしか湧き出ない感覚がある。


机で勉強できるものはない…



自分が思ってもいない未来。

辛く、苦しいとき。

そんなはずじゃなかったと人生にがっかりすることもある。

不公平だと嫌気がさすこともあるし、悪態もつく。



よくよく見ると、自分が信じているものが
何か心の底であり(気づいていないかも)
それが現実と合わないことで自分が混乱した態度を取っていたり
投げ出したりして本来の欲するものを探そうとしている気がする。



求めているものが何か、認識している人はいい。

認識していない人や
思っているものと心の中で欲するものに誤りがある人は大変だ。


混乱したりジタバタすることになるかもしれない。


だから、私も含めそういった人は
一生懸命人生を考えながら真剣に取り組むしかないのかも…


直ぐにとはいかないけれど、
少しづつ少しづつ何かが見えてくる。


それは、自分が納得するしかない事実なので
より強い確信に成りうる。



真っ直ぐに進めるのもいい。

遠回りした分だけ強さを増しているのも
また、いいんじゃないかな。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お互いさま

2018-03-15 | 日記


今朝は朝起きてから目がかゆい・・・


最近は花粉も以前より軽くなっていたのに
今年はちょっときていますね。



ずっと、趣味と言えるものはなく
仕事が趣味のようだったけれど
それも一段落して、何か趣味と呼べるようなものを作ろうと
興味が持てたものを習ってみたりしているけれど
まだ、そこまでハマっていない・・・

ゴルフもするけれど、一人でも誰かを誘って積極的に
行きたいかと言うとそうでもない。
誘われる側のままかも・・・



考えてみると、日々日常の生活が趣味のようなものであるかも。



両親、自分のパートナーなど身近な人が快適に笑顔でいられることが
私にとって大事なことなので、そのために時間を使うことが多く
喜ぶことや快適に過ごせることなどやってあげたくなる。


だから、もしかしたら趣味は「家族」って変な言い方だけれど
私はそう言えるかもしれないなぁ~と感じたりします。



両親もだんだん年をとって若いころは簡単にできていたことも
少し難しくなっているなら私がやればいい。

重くてもてないなら、私が代わってやればいい。


さりげなく少し手助けすれば
チョッとだけ楽に過ごせるかもしれない。


大変なとき、大変なことは「お互いさま」で
少しホッとしたり笑顔になれることがあればいいと思う。



チョッとした「お互いさま」なことなら
日々、どこででも誰にでも簡単にできる。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分のできることをやる

2018-03-14 | 日々のこと


表面的な物事ばかりに目がいくようになっている。



土台が変わらないのに表面ばかりを
取り繕っても根本的な解決にならない。



取り組むことが、目先のことで表面的なものなら
一瞬は改善したかのように見えるだけで
何も解決しないのではないかな・・・



自分の立場によって見方が変わるのかもしれないけれど
客観的な位置に立てば何か見えてくる。



何かをしてもらう立場ではなく
何かをしてあげられる立場になるように。


いつまでもしてもらうかとばかりに甘んじていてはいけない。



自分を主張したいのなら
甘えてばかりいないか、まず自分を見直してみる。



親だろうが、パートナーだろうが仕事場だろうが
いつまでも当たり前のように甘えているなら
おとなしくいつまでも言われた通り
ただ言だけを聞けばいい。


それなのに主張はしたい、
でもやってもらうことも当たり前・・・?


どこまでも、いつまでも勝手な甘えた子供のままだ。



甘え続けるばかりの側も
それを許し続ける側もどちらも成長を蝕んでしまう。




どこでも、誰にでも同じことがいえる。




誰かのため、自分の大事な人たちのため
そんな風に、そっと誰かが助かるような何かをするこが
あってもいいのではないかな。


誰かが忙しいなら、そっと助けることも
何か手を貸すことができるならできることをすればいい。



特別なことではない。



大きなボランティアをしなくても
身近な大事な人を大切にすることくらい
いつだってできること。



やってあげたいからやる・・・


それだけのこと。


そこに何も求めない。





できることを、できる範囲でやればいい。



大事な人たちが、少しでも心地よく笑顔になれたらいい。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変化を起こすこと

2018-03-12 | 最近おもうこと


~の法則、~を引き寄せる、~の秘密・・・
などなど魅惑的なタイトルのものはこの世の中に沢山ある。



でも、それらを読んだからって急に人生が成功するの?


昔、私も数冊読んだ気がするけれど
私にはあまり響くものはなかった。

どちらかというと好きではない。




世の中には上手く弱みに付け込んで
巧みにそれを利益にする人は多い。


まあ、商売とはそんなものかもしれないけれど・・・



もしも自分の弱みが誰かの利益のためだけに使われるだけなのに
それに協力したいのなら、
それはそれでボランティア精神があるのかもしれない。



人生を変えたい、好転させたいと思うのなら
手っ取り早い方法なんてない気がするし
誰かがそうしてくれるということもないと
思っておいたほうがいい。



自分で自分を知り、
少しずつ自分が取り組むしかない。

基本的に何か自分自身を変えることが必要。

変化を望むなら、何かしらの自分の中の弱さを認識し
そこに触れるものに注意しておくこと。




自分を客観的に見たり又は知るうえで
何かしらの本やセミナーなど助けになるのかもしれないけれど
それはあくまで「きっかけ」に過ぎないと・・・

他力本願的に自分は何もしなくても
それが全てを変えてくれるなんて思わない。



世の中の物事は裏表がなく動いているとは限らない。

かと言って、いつでも疑う必要があるとも限らない。



本質を見ることのできるクリアさと強さを持てるように
自分を変えることが近道ではないかと思う。












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の生き方

2018-03-11 | 日記


「正直者は馬鹿をみる」という言葉があるように
まじめに頑張るだけでは世の中で上手くは立ち回れない・・・

と、感じたり思うことは多々ある。




ずる賢こさやゴマすりなど、
いかに力を持っている人に上手くすり寄ること
陰で自分の手柄のようにしたり
出る杭を潰すことでのし上がったり社会で上手く立ち回る
良い地位や良い金額をてにしている人達が多い。


残念ながら、まだまだ世の中は
パワーゲームが続いている気がする・・・



人はそれぞれが持つ個性がある。



それは集団になればなるほど難しい。

その個性が気に入るか気に入らないかがある。



でも、個が持つ個性が
本当の個性以上に見せようとしているとき
時間はかかっても、いつかそのひづみは明るみに出ていく。



多くの人は自分にパワーが欲しい。

だから摩擦も起きる。



そんな個性が集まれば問題も起きるのは当たり前。



少しづつ変化は起きるけれど
人の時間の感覚とは違うので目に見えるスピードでは
ないかもしれないけれど、それでも変化してきている。



どんな風に変化するのだろう・・・



変化によってよりもがき、苦戦する人もいれば
変化をスムーズに過ごせる人もいるだろう。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間関係

2018-03-09 | 最近おもうこと
どんなに否定しても、最近はやはり必要な人が自分に関わるような気がする。

自分が寄っていくのも、相手が近寄ってくるのも。



よく恋愛や結婚など密になる人間関係の破たん時に聞くような
「何であんなの」という言葉。


その時の自分は「あんなの」と同じようなものだのだ。

同じようなレベル、感性を持っている。



お互いが同じレベルの中、
足りない部分をそうやって補いあっていたり
同じような感じで安心感を抱いてしまうのかもしれない。



だから、はたから見たら釣り合っていないような場合でも
そこは釣り合いが取れている。



自分が引き寄せる人

自分が引き寄せられる人



自分では分からなくても、やはり同じものを持っている。




人間関係を変えたいと思うのなら
まずは自分を変えなくてはならない。


自分で認識できなければ難しいことかもしれないけれど
それでも恐れず振り切って前に進もうと
強い意志を持つならば何か違うものが見えてくる。



どんな言い訳も必要ない。



そのままでいいということは
気に入っている、好きだということ。


嫌なら自分に言い訳せず自分を変えることだ。



みんなと一緒である必要もなく
友達と呼べる人がいなくなろうが恐れる必要はない。


必要に応じて新しい自分に合う人がやってくる。
まずは一人でいることを恐れない強さを持つこと。



誰にも真実を、自分が行ってきた事実を
何も恥じることなくありのままを言える
自分自身であることの強さを持つこと。



自分の弱さを人のせいにせず
自分の言動には常に責任を持つこと。



人間はごまかせても
人生にはごまかしが効かないということを
忘れてはいけない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の人生をつくるもの

2018-03-08 | 日記


どんな人も、その人生の課題があると私は思っている。


これはよくブログでも書いていますが・・・


もしかしたら、そんなものは何もなくて
人間が何かしらの理屈をくっつけて
生まれること、生きることの
理由を欲しているだけかもしれないけれど。


本当に何も理由なんてないのかもしれない。



けれど、私は理由があったほうが「生きやすい」し
理屈っぽい人間なので課題があるのではないかと
あれこれ考えるほうがいい。



話を元に戻すと・・・

その課題は家族だろうが、子供だろうが
どんなに身近な人が辛くても
実際的に他人が助けることはできない。


外側からサポートをしてあげることはできても
本質的に変えることも立ち向かうことも
本人にしかできないから。


どんなに周りでやっきになっても
本人が変えたいと思わなければ何も変えることはできない。



この課題は人生の中で度々突きつけられるけれど
それに気づく必要が自分自身にある。



いつまでも勢いや激しさだけで見ずに力ずくでねじ伏せていても
自己完結の中以外のものから
自分の力だけでコントロールできない部分をしょい込み
課題に向かわなくてはならなくなる。

強制的に力を抑えられるということなのかな?



どこか、適切な時期をいつも見過ごせば
失うものも物事も大きくなっていく。



人は人・・・


冷たく聞こえても、ある一線はどうしても越せない。




だからこそ、課題に向かう大事な人には
温かいサポートをしたい。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイナスか?プラスか?

2018-03-07 | 最近おもうこと


普通ってなんだろう・・・



そもそも、みんな自分は普通って思っているのではないかな?



私は変わっているって一概に悪いことではないと
思うのだけれど内容によりますね。



変わっていようが普通だと思っていようが
どんな人でも自分の人生に責任をもって
一生懸命に取り組むことを
いつでも忘れないようにしたいもの。



自分の面倒はしっかり自分自身で責任を持つこと。


成長するとは責任を持つことのような気もします。



いくつになっても、誰かを常にあてにして
いつでも誰かのせいにしていては
自分自身の向上は何も起こらない。


誰かのせいにして、誰かが変わらないといけないと
考えていると自分に与えられている気づきも
変わる必要のあることも全て見逃してしまい
いつまでも腹立たしいことや
同じような状況が何度も起こり続ける。



現状に何かしらの不満があったり
上手くいかないことがあったら
一度立ち止まり、どう自分が反応したら
上手く対応できたのだろう・・・?と考えてみる。



他人は変えられない。



自分の対応を変えること。



変わっていようが、普通だと思っていようが
責任をもって変化をすることは
自分がより幸せでいられるということなんだ。



いくつになっても何か幸せでないのなら
自分が変わらなくてはいけない部分があるのかもしれない。



変わっていることも
よりよい個性にすれば自分の強みにもなる。


何をどんな角度から見、
どんな角度から発するのか・・・



どんなこともマイナスにもプラスにもなりうる。
物事は常に表裏一体だということを忘れないこと。



常に向上したいものですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする