2008年第81回、アカデミー外国映画賞をとったのは、映画「おくりびと」だ。モントリオール世界映画祭でもグランプリに輝いた。
国内外の賞を総なめにした名作は、ジャニーズ「シブがき隊」出身の本木雅弘の思いで構成された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%B3%E3%81%A8
https://www.youtube.com/watch?v=cXaMTx3fc7o&ab_channel=JoseMariadeOliveira
これを見て、「ミーハー世界の住人」と小馬鹿にしていた私の彼らに対する評価も変わった。これほど深い思想性を表現できる人たちだったのか、と驚かされた。
表からは見えない、深い苦悩を共有できるほど苛酷な人生を共有できる感性と体験を持っていたことを知り、本木雅弘に対する畏敬の念も沸いた。
それは、彼の妻の母、樹木希林の葬儀のときの映像にも感じた。
チェロ奏者だった主人公の大悟は、仕事を失い、山形で再就職を探しているうちに、いつのまにか死者と対話する納棺師の仕事に入った。
山形といえば森敦の「月山」の世界。この小説は私の読書歴のなかでも強烈なインパクトがあった。とりわけ、木食行者のミイラが、旅先で行き倒れになった人々の遺体を加工したものだったというくだりは、宗教の幻想的な仮面を引き剥がす強烈なエピソードで、今でも忘れることができない。
山形は、死と隣り合った世界だった。天明飢饉のときも、人口が二割も減っている。東北という土地は、死からの逃避を許さない土地だった。
大悟も、死から逃避しない山形県人の死生観のなかで、少しずつ、死者との対話を深めてゆく。
だが、大悟は、妻の美香に「そんな汚らわしい仕事は辞めて」と懇願される。大悟は態度を決めきれず、それに腹を立てた美香は実家に帰ってしまう。
場数をこなし一人前になった頃、突然、美香が大悟の元に戻ってくる。妊娠を告げられ、再び納棺師を辞めるよう迫られる。
幼なじみの山下の母、ツヤ子の納棺を引き受けたとき。山下とその妻子、そして自らの妻の前でツヤ子を納棺する大悟の、細やかで心のこもった仕事ぶりによって、彼は妻の信頼を取り戻した。
とまあ、あらすじを語り出すと長くなってしまうのだが、22日に母が急死して、23日通夜、24日に葬儀、火葬と急なスケジュールのなかで、私は、どうしても「おくりびと」の世界を持ち出さないわけにはいかなかった。
遺体は、長年過ごした中村区の葬儀場・愛昇殿に運ばれ、通夜の席で、ほんものの「おくりびと」の仕事を見せられ、感動したからなのだ。
納棺師と湯灌師は別の場合もあるが、当地では、ほぼ同じだ。コロナ禍で、人の集合自体が忌避されているので、大きな葬儀も行われず、たぶん、どこの葬儀場も四苦八苦しているだろう。
葬儀費用も、公式のたぶん半額程度、家族葬だが50万円程度ですんだと言っていた。火葬場もガラガラ、大きな八事斎場で火葬は二件しか行われていなかった。
96歳の母は、一ヶ月ほど前に新型コロナに感染したと連絡があったので、たぶん葬儀は許されず、ビニールで密閉されて火葬場に直行だと思っていたら、半月ほど前から陰性に転じたということで、家族葬が行われた。もしかしたら、医師がアビガンやイベルメクチンを処方したのかもしれない。
葬儀は、ズボラな私には任せておけないと、姉妹が一切を仕切った。
通夜の前に母の遺体が湯灌されたのだが、遺体のある部屋に、簡易式の洗浄ベッドが運び込まれ、40歳前後の男女の納棺師が母の遺体を洗浄し、髪を洗い、体を洗い、死化粧を施し納棺していただいた。
その有様を一部始終眺めていたのだが、納棺師の二人は、死者の尊厳を守り、遺族の感情を傷つけないよう、一つの淀みもなく手慣れた段取りで仕事を進めた。
とくに髪洗いの巧みさ、遺体に和服を着せて化粧する、その手慣れた巧みさに見とれた。これなら、見守る遺族の誰一人文句も言わないだろうと感心した。
そこで思い出したのが、冒頭に紹介した「おくりびと」だ。
大悟は、友人の山下の母の遺体を納棺するのだが、その死者への敬意に満ちた謙虚な態度、細やかに気遣いに、見守る妻や遺族たちを感動させる。
私も、母を納棺してくれた、彼らに同じものを感じた。「ああ、これが日本人なのだ」と思った。これは、どうしても記録しておかなければならない。
母の遺体は、ほぼ10歳の子供以下の質量しかないので、焼却に1時間半が標準のところ、わずか40分で迎えが来た。
焼き台の上にはわずかな頭蓋骨の破片、首の骨と、あとは粉しかなかった。
インパール作戦から骨ばかりで生還した父は、南陽町の電子レンジ斎場で焼かれて、たくさんの骨が残っていた。骸骨の標本になりそうだった。
私が小学生のとき伊勢湾台風がやってきて、日吉小学校の向かいにあった火葬場では、数千の人々が焼かれたが、凄まじい黒煙があたりを覆い、臭くて弁当も食えなかった。
このとき、火葬場の入り口には、堆く遺灰が積み上げられていたのを思い出した。
あの灰は、どう始末されたんだろう? あの場所は、大門遊郭の遊女の遺体投げ込み寺だったと聞いたが……。
今回の葬儀一式は、実にスムーズに見事に進められ、一つの手抜かりもなくすんだ。
また96歳という年齢での死は、決して悲しみではなく、新たな旅立ちへの送別式だったのだ。誰一人悲しんでいない。泣く者もいなかった。
すべてが工場の流れ作業のように事務的に進められた。
このとき、私は、母が96歳まで生に固執した理由が閃いた。
母は、誰一人泣く者もいなくなる日を待って旅立ったのだ。生前から他人を思いやる人だったから、自分が死んでも誰も悲しまなくなる日を待っていた。
ちょうど映画ソイレントグリーンのように死んでゆきたかったのだ……。
最期の日には、人生の総決算として、その人の波動に合う人が集まると聞いた。誰から聞いたのかは思い出せない。
しかし、今回の葬儀を見ていて、母の人柄の波動に共鳴する人たちばかりが近くにいることに気づかされた。
先に述べた納棺師をはじめ、葬儀場の関係者、家族、すべて同じ波動を感じた。母はとても優しい人だったので、愛昇殿の関係者も優しい人ばかりが関係してくれた。
葬儀を読経によって主導してくれたのは、南区の永勝寺という大谷派の住職なのだが、これは父の葬儀のとき、母が勘違いして同じ真宗でも西本願寺の住職を呼んでしまい、後で気づいて大谷派の住職に変えた。
母の新潟の実家の菩提寺も西堀真宗寺で同じ大谷派なのに、なんで間違えたのか不思議だ。なお、宗派など人間生活に何の関係もないはずなのだが、なぜか遠い地域の男女の出会いでも、同じ宗派どうしになることが多いらしい。
真宗の僧は他の宗派のように剃髪していないし、妻帯も自由だという。だから世俗的な坊主が多いかというと、来てくれた僧侶の読経は、まるでチベット仏教の読経みたいに威厳があった。その野太い声は迫力があり、なるほど成仏にふさわしい。
実は、姉も曹同宗の古刹の庫裡なので、旦那の住職も来てくれて後で般若心経を読んだ。これまた迫力があって、「互角だな……」と勝手に採点して喜んだ。
プロの僧の読経は、なんとなく心地よいもので、葬式仏教などと小馬鹿にしていたが、これで参加者が癒やされるなら、もしかしたらいいのかもと思った次第だ。
しかし、死の儀式を通して、もっとも印象に残ったのが、冒頭の「納棺師」の仕事だ。
もしかしたら、納棺師の仕事を見守って、儀式として遺体に湯をかけたり、口を湿らせたりして葬儀に参加した実感を与えてくれる、もっとも大切なプロセスかもしれないと思った。
葬儀の本当の主役は、実は納棺師の仕事なのかもしれないと、「おくりびと」の映画に合わせて思った次第だ。
私はといえば、私の人生の総決算としては、人の集まる葬儀は嫌で、南アルプスの山の中の、誰にも発見されない樹海のなかで、一人で朽ちてゆきたいのだが、果たして思い通りにゆくかどうか……。
でも、そろそろ支度を始めなければならない年になってしまったことを痛感している。
しかし、もう昔のように山を自由に歩けないので、無理して行っても、「疲れた・酒が足りない・寒い」とかブツブツ文句を言いながら、救助要請でもする情けない自分の姿が見えてしまうので、今は、まだ踏み切れない。
国内外の賞を総なめにした名作は、ジャニーズ「シブがき隊」出身の本木雅弘の思いで構成された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%B3%E3%81%A8
https://www.youtube.com/watch?v=cXaMTx3fc7o&ab_channel=JoseMariadeOliveira
これを見て、「ミーハー世界の住人」と小馬鹿にしていた私の彼らに対する評価も変わった。これほど深い思想性を表現できる人たちだったのか、と驚かされた。
表からは見えない、深い苦悩を共有できるほど苛酷な人生を共有できる感性と体験を持っていたことを知り、本木雅弘に対する畏敬の念も沸いた。
それは、彼の妻の母、樹木希林の葬儀のときの映像にも感じた。
チェロ奏者だった主人公の大悟は、仕事を失い、山形で再就職を探しているうちに、いつのまにか死者と対話する納棺師の仕事に入った。
山形といえば森敦の「月山」の世界。この小説は私の読書歴のなかでも強烈なインパクトがあった。とりわけ、木食行者のミイラが、旅先で行き倒れになった人々の遺体を加工したものだったというくだりは、宗教の幻想的な仮面を引き剥がす強烈なエピソードで、今でも忘れることができない。
山形は、死と隣り合った世界だった。天明飢饉のときも、人口が二割も減っている。東北という土地は、死からの逃避を許さない土地だった。
大悟も、死から逃避しない山形県人の死生観のなかで、少しずつ、死者との対話を深めてゆく。
だが、大悟は、妻の美香に「そんな汚らわしい仕事は辞めて」と懇願される。大悟は態度を決めきれず、それに腹を立てた美香は実家に帰ってしまう。
場数をこなし一人前になった頃、突然、美香が大悟の元に戻ってくる。妊娠を告げられ、再び納棺師を辞めるよう迫られる。
幼なじみの山下の母、ツヤ子の納棺を引き受けたとき。山下とその妻子、そして自らの妻の前でツヤ子を納棺する大悟の、細やかで心のこもった仕事ぶりによって、彼は妻の信頼を取り戻した。
とまあ、あらすじを語り出すと長くなってしまうのだが、22日に母が急死して、23日通夜、24日に葬儀、火葬と急なスケジュールのなかで、私は、どうしても「おくりびと」の世界を持ち出さないわけにはいかなかった。
遺体は、長年過ごした中村区の葬儀場・愛昇殿に運ばれ、通夜の席で、ほんものの「おくりびと」の仕事を見せられ、感動したからなのだ。
納棺師と湯灌師は別の場合もあるが、当地では、ほぼ同じだ。コロナ禍で、人の集合自体が忌避されているので、大きな葬儀も行われず、たぶん、どこの葬儀場も四苦八苦しているだろう。
葬儀費用も、公式のたぶん半額程度、家族葬だが50万円程度ですんだと言っていた。火葬場もガラガラ、大きな八事斎場で火葬は二件しか行われていなかった。
96歳の母は、一ヶ月ほど前に新型コロナに感染したと連絡があったので、たぶん葬儀は許されず、ビニールで密閉されて火葬場に直行だと思っていたら、半月ほど前から陰性に転じたということで、家族葬が行われた。もしかしたら、医師がアビガンやイベルメクチンを処方したのかもしれない。
葬儀は、ズボラな私には任せておけないと、姉妹が一切を仕切った。
通夜の前に母の遺体が湯灌されたのだが、遺体のある部屋に、簡易式の洗浄ベッドが運び込まれ、40歳前後の男女の納棺師が母の遺体を洗浄し、髪を洗い、体を洗い、死化粧を施し納棺していただいた。
その有様を一部始終眺めていたのだが、納棺師の二人は、死者の尊厳を守り、遺族の感情を傷つけないよう、一つの淀みもなく手慣れた段取りで仕事を進めた。
とくに髪洗いの巧みさ、遺体に和服を着せて化粧する、その手慣れた巧みさに見とれた。これなら、見守る遺族の誰一人文句も言わないだろうと感心した。
そこで思い出したのが、冒頭に紹介した「おくりびと」だ。
大悟は、友人の山下の母の遺体を納棺するのだが、その死者への敬意に満ちた謙虚な態度、細やかに気遣いに、見守る妻や遺族たちを感動させる。
私も、母を納棺してくれた、彼らに同じものを感じた。「ああ、これが日本人なのだ」と思った。これは、どうしても記録しておかなければならない。
母の遺体は、ほぼ10歳の子供以下の質量しかないので、焼却に1時間半が標準のところ、わずか40分で迎えが来た。
焼き台の上にはわずかな頭蓋骨の破片、首の骨と、あとは粉しかなかった。
インパール作戦から骨ばかりで生還した父は、南陽町の電子レンジ斎場で焼かれて、たくさんの骨が残っていた。骸骨の標本になりそうだった。
私が小学生のとき伊勢湾台風がやってきて、日吉小学校の向かいにあった火葬場では、数千の人々が焼かれたが、凄まじい黒煙があたりを覆い、臭くて弁当も食えなかった。
このとき、火葬場の入り口には、堆く遺灰が積み上げられていたのを思い出した。
あの灰は、どう始末されたんだろう? あの場所は、大門遊郭の遊女の遺体投げ込み寺だったと聞いたが……。
今回の葬儀一式は、実にスムーズに見事に進められ、一つの手抜かりもなくすんだ。
また96歳という年齢での死は、決して悲しみではなく、新たな旅立ちへの送別式だったのだ。誰一人悲しんでいない。泣く者もいなかった。
すべてが工場の流れ作業のように事務的に進められた。
このとき、私は、母が96歳まで生に固執した理由が閃いた。
母は、誰一人泣く者もいなくなる日を待って旅立ったのだ。生前から他人を思いやる人だったから、自分が死んでも誰も悲しまなくなる日を待っていた。
ちょうど映画ソイレントグリーンのように死んでゆきたかったのだ……。
最期の日には、人生の総決算として、その人の波動に合う人が集まると聞いた。誰から聞いたのかは思い出せない。
しかし、今回の葬儀を見ていて、母の人柄の波動に共鳴する人たちばかりが近くにいることに気づかされた。
先に述べた納棺師をはじめ、葬儀場の関係者、家族、すべて同じ波動を感じた。母はとても優しい人だったので、愛昇殿の関係者も優しい人ばかりが関係してくれた。
葬儀を読経によって主導してくれたのは、南区の永勝寺という大谷派の住職なのだが、これは父の葬儀のとき、母が勘違いして同じ真宗でも西本願寺の住職を呼んでしまい、後で気づいて大谷派の住職に変えた。
母の新潟の実家の菩提寺も西堀真宗寺で同じ大谷派なのに、なんで間違えたのか不思議だ。なお、宗派など人間生活に何の関係もないはずなのだが、なぜか遠い地域の男女の出会いでも、同じ宗派どうしになることが多いらしい。
真宗の僧は他の宗派のように剃髪していないし、妻帯も自由だという。だから世俗的な坊主が多いかというと、来てくれた僧侶の読経は、まるでチベット仏教の読経みたいに威厳があった。その野太い声は迫力があり、なるほど成仏にふさわしい。
実は、姉も曹同宗の古刹の庫裡なので、旦那の住職も来てくれて後で般若心経を読んだ。これまた迫力があって、「互角だな……」と勝手に採点して喜んだ。
プロの僧の読経は、なんとなく心地よいもので、葬式仏教などと小馬鹿にしていたが、これで参加者が癒やされるなら、もしかしたらいいのかもと思った次第だ。
しかし、死の儀式を通して、もっとも印象に残ったのが、冒頭の「納棺師」の仕事だ。
もしかしたら、納棺師の仕事を見守って、儀式として遺体に湯をかけたり、口を湿らせたりして葬儀に参加した実感を与えてくれる、もっとも大切なプロセスかもしれないと思った。
葬儀の本当の主役は、実は納棺師の仕事なのかもしれないと、「おくりびと」の映画に合わせて思った次第だ。
私はといえば、私の人生の総決算としては、人の集まる葬儀は嫌で、南アルプスの山の中の、誰にも発見されない樹海のなかで、一人で朽ちてゆきたいのだが、果たして思い通りにゆくかどうか……。
でも、そろそろ支度を始めなければならない年になってしまったことを痛感している。
しかし、もう昔のように山を自由に歩けないので、無理して行っても、「疲れた・酒が足りない・寒い」とかブツブツ文句を言いながら、救助要請でもする情けない自分の姿が見えてしまうので、今は、まだ踏み切れない。