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平泉澄と宮本常一

2023年08月10日 | インポート

 今朝、ネット情報を眺めていたら、現代ビジネスが宮本常一を取り上げていた。
 私は半世紀以上前から、宮本常一に夢中になって古書店を回り、入手できる本は無理しても入手するようにしてきた。(未来社の全集は買えなかった)

 「この人こそ、本物の学者だ」と思ったのは、宮本常一以外には、全国を自分の足で歩いて食文化を研究した「日本の長寿村」、近藤正二と、騎馬民族征服王朝説の江上波夫、それに照葉樹林帯文化圏を明らかにした中尾佐助、佐々木高明くらいしかいない。

 私は、宮本常一の名前を聞いただけで、全身が熱くなるような興奮を覚える。もう、こんな素晴らしい学者は二度と出ないだろう。
 その最高傑作といわれる「忘れられた日本人」は、近年、比類なきリアリティが高く評価されるようになった。

 数年前から、魚住昭のようなリベラルを追放し、長谷川幸洋のような極右系評論家ばかりを掲載するようになった現代ビジネスが、いったい、どんな風の吹き回しで宮本常一を再評価するのかと訝しんだが、とりあえず引用してみよう。
 
「日本」はひとつではない、「庶民」が主役の歴史を構想…多くの人が意外と知らない「宮本常一の思想」2023.08.10
 https://gendai.media/articles/-/114247

 『忘れられた日本人』で知られる民俗学者・宮本常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは?
 「宮本の民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事」だという民俗学者の畑中章宏氏による『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』が3刷となり、話題となっている。

※本記事は畑中章宏『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』から抜粋・編集したものです。

 「庶民」の歴史を構想
 宮本常一は歴史をつくってきた主体として、民衆、あるいは庶民を念頭においた。
 これまでの歴史叙述において、庶民はいつも支配者から搾取され、貧困で惨めで、反抗をくりかえしてきたかのように力説されてきた。
 しかし宮本は、このような歴史認識は歴史の一面しか捉えていないし、私たちの歴史とはいえないと考えたのだった。

 また宮本は、民俗学はただ単に無字社会の過去を知るだけではなく、その伝統が現在とどうつながり、将来に向かってどう作用するかをも見きわめなければならないという。
 ただしかし、日本では無字社会はすでに消滅してしまっているため、無字社会の伝統をもつ社会のなかで慣習によって保持されてきた文化を研究する学問だということになる。そのうえで、無字社会の伝統を、停滞し固定しているものとしてみるのではなく、なお生きて、流動しているものとして捉えるのだ。

 そして、歴史に名前を残さないで消えていった人びと、共同体を通り過ぎていった人びとの存在も含めて歴史を描き出しえないものかというのが、宮本の目標とするところだった。
 また「進歩」という名のもとに、私たちは多くのものを切り捨ててきたのではないかという思いから歴史を叙述することを試みた。

 宮本の問題意識はこうしてやがて明確になっていき、民衆史を書かせることになる。そして、「大きな歴史」は、伝承によって記憶されるだけで記録に残されていない「小さな歴史」によって成り立っていることを、具体的に示そうとしたのである。

 そのために、従来の民俗学が積み重ねてきた「民俗誌」ではなく、生活意識、生活文化にもとづく「生活誌」、あるいは「生活史」によって描き出そうとした。生活誌、生活史を叙述する際に、私たちが獲得してきた技術や産業の変化に目を向けたことも、宮本民俗学の大きな特色である。

 柳田国男は現在に残存する民俗伝承を比較していくことで、その祖形、あるいは理念を探りあてようとした。折口信夫は民俗の伝承と古代文学を比較して、古代文学のなかに含まれた民俗的意味を明らかにしようとした。
 しかし宮本は、古代社会は統一された「ひと色の文化」のなかにあったのだろうかと疑問を抱く。そして「日本」がひとつではないことを描き出していった。

 「思想家」として位置づける
 このように調査し、叙述されていった宮本の民俗学は、私たちの生活が「大きな歴史」に絡めとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事だと私は考える。これほど生活に密着し、生活の変遷を追った仕事は、日本の近現代でほかにはみられないからだ。

 宮本は庶民の歴史を探求するなかで、村落共同体が決して共同性に囚われてきただけではなく、「世間」という外側と絶えず行き来し流動的な生活文化をつくってきたことも明らかにする。そしてそれは、公共性への道が開かれていたと解釈することができるのだ。

 また近代を基準にみたとき、さまざまな面で遅れているとされてきた共同体の生活、あるいは慣習のなかに、民主主義的な取り決めをはじめ、民俗的な合理性があったことも裏づける。

 いっぽうで、宮本の民俗学には「思想や理論がない」「その方法を明示していない」とアカデミックな民俗学者から批判されてきた。宮本が書いたものは民俗誌的、民俗史的叙述に終始しているというのである。

 『忘れられた日本人』にしても、定住農民とは異なる人びとに光をあてた『海に生きる人びと』と『山に生きる人びと』にしても、読み物としてのおもしろさに目が行きがちである。
 どの著作にふれても、知らない事実が述べられていることや常識だと思っていたことが覆される快感を味わうことができる。またそうしたエピソードが、文献だけをもとにしているのではなく、宮本自身が日本列島の各地を歩いて得たことに心を動かされるのだ。いわゆる「旅する巨人」としての宮本常一のイメージである。

 宮本の著作、そこで叙述される文体には堅苦しさがなく、難解な用語を用いていない。フィールドワーカーとしての軽やかさ、庶民と同じ目線に立った親しみやすさが、宮本民俗学に対するイメージをかたちづくってきた。

 しかし、宮本常一の民俗学には閉ざされた「共同体の民俗学」から開かれた「公共性の民俗学」へという意志と思想が潜在しているのではないか。成員を統合する価値だけで結びつくのではなく、絶えず外側から価値を導入し、変化していくのだ。また主流に対する傍流を重視すること、つまりオルタナティブの側に立って学問を推し進めていったことも特筆すべきであろう。

 こうした宮本の民俗学の底流にある「思想」を解き明かしていくために、まず宮本の代表作とされる『忘れられた日本人』を読み進めていきたいと思う。
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 引用以上

 現代ビジネスのパターンとしては、このような取り上げ方は、連載になることが多いので、たぶん続編が出ると思う。
 宮本を、この程度の紹介でまとめるのは、あまりに軽薄だ。全国の民俗学・史学研究志向者にとって、宮本は、あまりにも特別な存在なのだ。

 何が特別かといえば、それは宮本が書斎のなかで仕事をしたのではないという意味であり、彼の生涯は「旅する巨人」という異名が示すように、非常に綿密な実際の取材のなかでのみ産み出されたものだからだ。
 宮本の文章は、一日何万歩もの、もの凄い歩数と対話の上に築かれている。それが「土佐源氏」の迫力をもたらしているのだ。

 宮本常一と、正反対の存在といえるのが、東大史学部教授だった平泉澄である。
 1895年、福井県勝山市の平泉寺に生まれた平泉澄は、後に、東大教授として、戦前の皇国史観を集大成した人物として知られ、彼の影響は、いまだに日本史学会に強烈に刻まれ、平泉の理論化した「皇室万世一系説」は、日本の右翼勢力の思想的骨格を形成している。
 それは、「エライ人信仰」というべきか、日本という国の「権威」を支える虚構、架空の理論的根拠である。

 平泉澄は、民衆の歴史を提起した学生に対し、「豚に歴史がありますか?」と吐き捨てた。

 豚に歴史がありますか? 2019年08月03日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828638.html

  https://ameblo.jp/itifuan/entry-11389198896.html
 【東京帝国大学文学部国史科教授にして、皇国護持の歴史学者平泉澄の歴史観は、
歴史は文化人、言いかえれば人格を有する人間にのみあり、自然人には存在しないという。
 彼の著作、「我が歴史観」に「試みに思へ、未だ記憶の力弱く推察の能薄くして、刹那の衝動によって動く外何事もなし能はざる野蛮人にどうして歴史があり得よう。もしこれに歴史ありとするならば全く同様の生活をなすの故を以て、虎にも獅子にも、鳩にも歴史ありとしなければなるまい」

 1926年東大に入学し、東大国史科の学生中村は、農民の歴史を卒論で書こうと決めていたことを、平泉宅に訪れ話す。平泉しばらく沈黙のあと、平泉は一言「百姓に歴史がありますか」と答えた。とまどう中村に、さらに彼は「豚に歴史はありますか」と畳みかけた。
 日本史を学んだ方には、とっても有名な話です。】

 「民衆は家畜にすぎず、歴史・文学のような文化的範疇には入らない」と信じ込まされた権威主義一辺倒の人は、私の子供時代にも大勢いた。今でも多いから、私がどんなにブログの読者を増やしても、意味のあることを書いても、メディアに取り上げられたり、公的に評価されることは決してない。せいぜい、無価値な雑音として嘲笑の対象になるくらいだ。
 日本は家康の持ち込んだ朱子学=儒教の序列主義=地位や家柄、蓄財の多寡を人間の価値基準と洗脳されている人が、無数に、それこそ掃いて捨てるほどいたのだ。

 彼らにとって、例えば「おしん」のように売られてきた下働き少女は、奴隷であり家畜であり、いつでも犯せる、ときには殺してしまえる無価値の使役動物にすぎなかった。
 序列と差別制度の上にあぐらをかき、自分が特権階級であり敬われる存在なのだと思い込んで、高級車を運転して、独善的で無謀な運転を繰り返したり、およそ「協調」という概念を理解できないまま独りよがりな老人になってゆく。

 平泉澄は、退官後、自分が生まれた勝山平泉寺の大神主を受け継いだが、平泉寺そのものの由来は、典型的な渡来人として、実は新羅にあることが分かっている。
 しかし、皇紀2600年という万世一系天皇制の虚構にしがみついたままの人生であり、自分の祖先が、弓月氏(秦氏)とともに百済から日本列島に移住してきて、ヤマト王朝を征服簒奪したなどという歴史は絶対に認めない。

 未だに、騎馬民族征服王朝説をウソと決めつけ、天皇家は、神武以来の九州王朝の末裔だと信じ込んでいるのが、日本会議、自民党や右翼系の人々、例えば、虎ノ門ニュース系の櫻井よしこ・青山繁晴・長谷川幸洋・竹田恒泰・百田尚樹・有本香・武田邦彦たちである。

 経済学者としては優秀な三橋貴明が、上の人物たちと同じように、江上波夫の騎馬民族征服王朝説を頭から否定していることには、本当に驚かされた。彼の史学の根拠は、何一つ、文化人類学、民俗学上の証拠のない平泉澄の万世一系論妄想なのだ。
 https://www.youtube.com/watch?v=j14IfcwBOSY&t=19s&ab_channel=%E4%B8%89%E6%A9%8BTV

 結局、日本の史学会が、海外からのボートピープル移住者説を拒絶し、純粋日本人、万世一系皇統という何一つ証拠のないファンタジーから一歩も前進できないことで、未だに江上波夫が排除され、日本史の正しい位置づけができていない理由が、実は死せる平泉澄の虚構にあり、「神国日本」への妄想ファンタジーにあることが明らかになってくる。

 宮本常一は、「日本が決して一体ではない」ことを生涯をかけて追求してきたと、上にリンクした畑中章弘が主題として提起してきた。
 私も、これまで、日本という国が、たくさんの異なる系統を持った文化の集合であることを繰り返し指摘してきた。

 ① 数万年前に、牛川人、明石人など、猿人から人類に発展した段階の原人が居住していた。今昔物語や遠野物語に登場する猿人は、もしかしたら彼らの子孫かもしれない。
 ② 1万年以上前に、縄文人の文化があった。九州縄文文化は7300年前、鬼海カルデラ噴火で潰えたが、彼らが南北米大陸先住民になった可能性がある。
 ③南西諸島や三内丸山、アイヌの縄文文化は、蝦夷となり、現代にまでつながっている。私自身も、弥生人よりも、むしろ縄文人の形質を強く受け継いでいる。
 ④2600年前に、呉越戦争の敗者だった呉国民が大虐殺を避けて、ボートピープルとして北九州に上陸し、倭国、ヤマト国を作った。これが弥生人文化だ。
 ⑤1700年前に、百済からツングースの弓月氏(秦氏)が20万人という規模で国ぐるみ移住してきた。これが騎馬民族であり、後にヤマト朝廷を簒奪した。
 最初の王は、継体である可能性が高い。彼らの子孫が、武家、源平藤橘であり、東山道を経て岩手県まで進軍し、領地を拡大した。
 ⑥秋田や渡島には、大陸からオロチョン(エベンキ族)が入っていた。

 以上が、日本列島に住む人々の、あらましの由来であるとすれば、その子孫たちの民族に、先祖の影響が残っているのは当然であり、宮本常一は、ときに野宿を強いられながら、自分の足で、どんな僻地でも歩いて取材し、「どこから来て、どこに向かうのか?」という、ゴーギャンの命題を探し回ったのだ。

 そんな宮本の成果の前には、日本民族統一説など陳腐なファンタジーにすぎない。
 日本人は欧州のように、多民族国家であり、それぞれの地方に、それぞれの固有の文化を持った多様性のある土地である。
 これは、宮本常一や近藤正二のように、自分の足で歩き、直接、住民と対話し、その生活習慣に深く入り込んで調べる以外に本質を理解する方法は存在しない。

 私も、ほんの少しだが、日本全国を自分の足で歩き回り、地方の差異と、その意味を知ろうとしてきた。そして、山を歩き、道の意味を知ろうとしてきた。
 平泉澄が決めつけた「豚に歴史がありますか?」だが、私は、豚だから歴史の主役になれると考える。
 書斎のなかに閉じこもって、歴史の真実を理解することは不可能だ。ただ、ひたすら自分の足で歩き回り、自分の頭を使って真実を推理するしかないのだ。

 私が、この年まで生きてきて、分かったことは、あらゆるものに無限の宇宙が潜んでいるということだ。
 ものごとに深く入れば入るほど、宇宙は果てしなく大きく、深くなってゆく。何よりも大切なものは、自分の足、自分の目、自分の口、自分の頭なのだ。
 平泉澄は、自分の大切な武器を用いず、書斎のなかで観念の遊びを繰り返しただけだった。