リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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急性期病棟での廃用予防

2006年08月14日 | Weblog
二の腕が痛いと思ったら、祭りの御輿を担いだからだと気づいた。
あとの祭りだ。マッサージしてボルタレンゲルを塗りこむ。

 入院している一人で歩くのは少々ふらついたりして危なっかしい人が、寝かせてばかりいると廃用(Disuse、使わないことによる身体諸機能の低下)が進んでしまうからリハビリをお願いしますという紹介がしばしばある。
 しかしこのレベルの人は環境と補助器具さえととのえることができれば安全に歩けるのだ。
 よぼよぼしたお年寄りが急性期病棟の廊下にでるのは、のどかな田舎道しか運転したことのない人が大都会の渋滞や高速道路を走るようなもの。しかし、リハビリの訓練室も同じような状況、転倒事故も起きているのに・・・。どうすれば改善されるのだろう?
 根本的な原因は車椅子すら入れない狭い部屋、ばたばたとストレッチャーや車椅子が移動する狭い病棟の廊下、ケアスタッフの少なさ、余裕のなさだ。
 安全に歩ける広いスペース、トイレが病棟にあり福祉施設並みの設備、介護、リハマインドが急性期病棟にあれば廃用を防止することができるだろうに。
 
 また認知症の高齢者が入院すると、必ずといっていいほど夜間を中心にせん妄が出現する。ここがどこで何のために入院しているかわからなくなり落ち着かなくなる。夜が来ると騒いだり、幻覚が見えたりして落ち着かなくなってしまう。
点滴は引っこ抜き、血だらけであるきだしてしまう。
介護や治療に抵抗したり、転倒し骨折する可能性も高いし、徘徊してどこかに行ってしまうこともある。
夜勤3人で40ベッドの開放病棟でこんな患者がが一人でもいると大変だ。
詰め所にすわって一緒にいてもらって落ち着かせたりする。
しかし、ずっと付き添うことができないならば、抑制といって手足を縛ったり、あるいは薬で症状をおさえたりせざるをえない。

これも医療現場の余裕のなさが原因。

政策決定にかかわる官僚や政治家に医療が必要になったときは、差額ベッドの個室に入ることを禁止すべきだろう。


医療現場からのSOS

2006年08月14日 | Weblog
 Mind the Gap!はロンドンのtubeとよばれる地下鉄の駅での放送である。

「プラットホームと列車の間の隙間に注意してください」という程度の意味だが、「医療現場と地域社会とのギャップに注目!」という意味でこのブログにつけた。もともと、ロンドンに留学していた大学の先輩がイギリスでの生活についてレポートしていたホームページのタイトルだったものを拝借した。(いまはタンザニアに行ってしまったようだが元気にしているのだろうか。)

 当初は病院から地域での生活の場を橋渡しするリハビリテーションのことを中心の話題にするつもりでサブタイトルは「地域が変わるリハ」だったのだが、医療費抑制と安全への要求の増大に伴う医療崩壊の危機、現場と市民との感覚のギャップをヒシヒシと感じるにあたりキャンペーンとして「医療福祉現場からのSOS」としばらく変更することにした。産経新聞の特集記事みたいだな。


実際、冗談ではなくまわりの医師はみんな疲れているように見える。
特に生死を扱う科の医師は。
産科や小児科はご他聞にもれず、当院でもギリギリの状態。
「いちど崩壊したほうがいい。死人がたくさんでないと国は動かない。」というのは当地域で、ぎりぎりまで頑張りながら専門医療を担う医師の意見。

病院内のグループウェアの掲示板で、当直の体勢のあり方やカルテやオーだリングシステムの使いづらさなどについてしばしば議論が起きる。
だれか何とかしてくれという悲鳴にも聞こえる。しかし患者を人質に取られ奴隷労働に服している医師には身動きがとれない。
病院の方針を決定をする人たちの顔は見えず、現場は悲鳴、不満を言うだけで他力本願。困窮の声がトップに伝わらず、現場もそのうちあきらめてしまう。

そして中堅で活躍していた医師が1人、また1人と病院を次々と去る現実。
これが例の立ち去り型サボタージュか。
他院での内科医集団辞職の噂も、さもありなんと思えてくる。

初期研修まで終えた医師が臨床で医師を続けないのも珍しい選択肢ではなくなっている。もったいないが賢い選択かもしれないと思う。
生死にかかわるしんどい科を選ばない傾向は加速している。
多くの研修医は産婦人科などを選ぶのは自殺行為だと考えている。

患者の安全要求が高まり、病院も訴訟を多く抱えている。
システムの不備が目に付く。
いつミスをおこしても不思議ではない。

訴訟は勝っても負けても医師を疲弊させ病院で医師を続けるのをやめようと思うのに十分なインパクトを持っている。

まさに「医療崩壊」そのままのことが当院でも起こっている。

医師は団結たり声は上げるような下品なまねはしない。
ただひとり静かに立ち去るのみ。
そして、また1人の医師が辞めていく。

魅力のなくなった病院、医療現場に戻ってくることはないだろう。

そんな状況が続いているにもかかわらず、何か問題があっても新たな委員会が一つ増え、通達があり、アリバイ書類がひとつ増えるだけの現状。
あるいは何の決定権も持たない会議で一度話されて終わり。
研修医の見逃しや、当直で入院させた患者の対応、過労へ対応などといった本質的なところは解決を先送りしたままで病院の構造的欠陥やシステムにメスが入れられることはなかった。
医療の未来、病院のビジョンやリーダーシップがみえず、現場の士気が下がり始めている。ルールづくりのルールが定まっておらず、混乱をきわめた無法地帯。
院内の情報伝達やコミュニケーションの不備。責任の押し付け合いなど病院はいまや組織病理の典型例だ。

こういったことをグループウェアの掲示板上で指摘した。
だが、反響はあまりなく冷ややかなものであった。

ある人から「あまり書きすぎるとひかれるよ、逆効果だよ」と指摘された。

また別の人からは「いいことをいっていても、病院内だけで訴えていてもダメだよ、地域に出て行って訴え、みんなでやらなくては。」とも指摘された。

システム論的に俯瞰してみると、医療崩壊そして地域崩壊はどうやら病院内だけの問題ではないようだ。あらゆるチャンスをつかって、いろんなところに訴え、考えを深めていかなくてはならないことだと思った。
それが、こっそりとこのブログをはじめた理由のひとつでもある。

回復期リハ病棟の使命

2006年08月14日 | Weblog
 お盆に外泊している患者さん3人ばかりの様子をうかがいにいった。患者や家族と今後のことについて話をする。

  外泊中の訪問というのは、退院後生活が組み立てられるかということを判断するのに非常に感度の高い検査(?)である。住まいというのは患者の内面や大切にしてきたもの、家族の歴史が外に現れたものである。 また高齢者政策は住宅に始まり住宅に終わるというくらい環境は大切だ。バリアフリーの環境があれば移乗さえ自立すれば車椅子、電導車椅子にのってどこまでもいける。(精神機能に問題がなければの前提)しかし、バリアの多い狭い家なら、ポータブルトイレとベッドでのセッティングが精一杯で部屋から出ることもできない。これらを知らずして退院後の生活設計というのは難しい。  

 病棟での生活はあくまでもシミュレーションであり(シミュレーターとしてのハード、ソフトもまだまだ改良の余地があるが)、そこだけで判断するのは難しい。プライマリ(患者をうけもった担当)の病棟スタッフやリハスタッフも退院前や退院後訪問を仕組みとして取り入れるようにしたいもの。(リハスタッフとMSW、CMの家屋訪問は行っているが・・・。) それを繰り返すことで退院後の生活をイメージして問題点を洗い出し準備をする能力を高めることができるし病棟のレベルも上がるだろう。

  医師やMSWも家族が来やすく付いていやすい週末を出勤日として、面談や訪問にあて、平日に代休を取れるような体勢をとりたいが、いまの病院の硬直したシステム下では難しそうだ。しかしボランティア的なかかわりでは限界がある。正攻法で行きたい。  

 そして入院中に患者さんごとの介助や看護、の仕方や生活設計、維持期のリハ等を写真付きのマニュアルにして退院時までに渡せるようにしたい(病棟のプライマリがリハスタッフと協力して作成するなど。) この考えを、もっと進めると北欧などで脳卒中を中心におこなわれているESD(Early Supported Discharge、退院後の訪問リハでフォロー)やオーストラリアのCommunity Post Acute Care Program、早期退院+退院後のコミュニティ・ケア・サービス)ということになるのだろう。松本の相澤病院などは中規模都市の急性期病院として、すでにその域に達している。

 結局、回復期リハビリテーション病棟というのは期間限定の過渡期の制度である。急性期からのリハと退院後のリハ支援のシステムが整うまでのつなぎである。急性期病棟からリハマインド、生活の視点を持ったケアをおこなうことができ、質の高い中間施設やケアリビングがあり、退院後に訪問リハや送迎付きのリハサービス、公共の足(移動権)の確保(タクシーやSTS、JRとのコラボ)が可能になればその使命を終えるといえるだろう。

  予定としては、5年程度(介護療養型廃止の期限)で回復期リハ病棟はその使命を終え、病院全体へのリハスタッフの配置、リハマインドの啓蒙教育(地域とのローテート、全職員の5:3:2方式の復活(病棟5、外来3、地域での活動2のエネルギー配分の復活。)、地域とのシームレスな連携(それを支える情報システムの構築)、退院後の生活を見据えた支援、そして変化する現場に即してすばやい変化、人材育成のできるように、現場の行動システム単位への組織図の改変(リハ病棟+リハ外来+地域リハ部門)、(地域ケア部門+緩和ケア部門+在宅バックアップ病棟)など。結局、その過程において大きな病院はいったん解体せざるをえないだろう。その混乱を乗り切るため、仲間とともに成長しなくてはならないし、力量をもった次期リーダの発掘、育成をしなくてはならない。  

 ハード面としては、リハビリティティブなアフォーダンス、アメニティ(寝てちゃいけない雰囲気。元気になる環境)をもった病棟。患者や地域住民が主体的に考える材料を提供しサポートする総合窓口および、情報センター機能(病院患者図書館など。)ももった外来は必須。  
 高齢者の増加を迎えるにあたってモタモタとはしていられない。トップが希望のある絵を描けなければ医師や現場スタッフの立ち去り型サボタージュは加速する一方なのだが。  

 ある車椅子生活をしている愉快な患者さんから「いくらだせばいい?30億くらいでいいかい?」といわれた。(もちろん冗談だが。)ハードとすれば30億あれば、この病院の南部にある分院くらいの規模の物ができる。しかし今の自分には残念ながら、それを使いこなすだけの実力も仲間も無い。 しかし、あおいくま(あせるな、おこるな、いばるな、くさるな、まけるな)で、一歩一歩、前進するしかない。