リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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医局に代わるもの

2006年08月03日 | Weblog
 かつて勤務医の多くは大学医局というところに所属し、自分の身柄を預ける代わりに、教育システムを利用させてもらったり、能力に応じた人材派遣をうけていた。またヘッドクォーターとしての医局を自分の後ろ盾として利用して、病院に対抗するためのよりどころとしていた。しかし新臨床制度以降、医師、病院の医局離れが加速し、医師の派遣や養成は医局に頼らないシステムへと変化しつつあり医局にもかつてのような力をうしないつつある。しかし研修指定病院や、厚生連や日赤といった組織が、医局のように医師を守り育てる役割を果たせせるかというと非常に心もとない。(ただ民医連はその歴史と母体の特殊性からそれなりに成功しているようだ。)
 これらには医師を教育しマネジメントする力量やノウハウに欠けるし、これらからは最期まで守ってくれるという基本的な信頼感が得られないためだ。医師に能力がなければただ切り捨てられ、中途半端に能力があればただ使い捨てられてしまう危険性がある。
 医師それぞれが自ら立ち、能力や適正に応じて、道をみつけていかなくてはいけない厳しいが面白い時代となった。厳しい旅をサポートしナビゲートする、医局、病院を統合した形での、医師を組織化し、養成する、あたたかく大きなシステムが切に求められているといえよう。

医療現場のカナリア

2006年08月03日 | Weblog
 社会の矛盾や混乱は弱者にまず影響し、弱者は駆け込み寺である医療に集まる。そういった意味で病院はあらゆる社会矛盾ののバッファー、安全装置といえる。 医療は教育や環境と同じく社会共通資本なのである。みんなで大切にまもり育てなくてはいけない。  しかし、その医療を資本主義経済におけるサービス業の一つであるという認識でとらえる人が増えてきたことにより危機に瀕している。

 現在、日本の医療機関は二つの強い圧力にさらされている。医療費抑制と安全要求である。この二つは相矛盾する。相矛盾する圧力のために、労働環境が悪化し医師が病院から離れ始めた。現状はきわめて深刻である。医療機関の外から思われているよりはるかに危機的である。(「医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か?」小松 秀樹 より)  

 医療システムや制度の不備は、病院内のささいなルールや手続き(煩雑化したアリバイ的な書類等)などミクロのことであれ、医療行政や社会制度などのマクロのことであれ、いったんは医師に降りかかる。悪い結果となればたとえ不可避のことであっても訴訟の被告や犯罪者にされる危険性すらある。  医師自ら状況を変化させるような手立てとれるのならよいのだが、状況を変化させることが出来ず、ひずみの状態が続くと医師たちの疲弊を引き起こし、医療ミスを誘発したり、医師の離職(立ち去り型サボタージュ)、転職につながり医療崩壊を引き起こす。そして最終的には患者や地域住民の不利益となるのだが、その構造はなかなか気づかれないようだ。  

 炭鉱で有毒ガスがでていると、カゴのカナリアがさえずるのをやめて死んでいき、鉱夫に危険を知らせる。医師はさしずめ医療現場におけるカナリアだ。医師は患者の命や生活に責任をおうという役割を負っており、それはつまり患者や住民の生活を人質にとられていることに他ならず、どんなに自分がつらくても体調が悪くても逃げることは許されず良心的な医師であればあるほどまず自らを疲弊させ燃え尽きていくからだ。   

 周りを見ると医師たちには余裕がなく、みな疲れた顔をしているのが気にかかる。しかしカナリアたちが弱っていることを、鉱夫は気づいていないか無視しているようだ。悲しいかなカナリアたちは団結することも、戦略的にシステムに対するアプローチすることも知らず、またその余裕もなく、状況の悪化に打つ手を見出せずただただ疲弊しているように思われる。  

 カナリアよ!逃げ出す前に、あるいは倒れて死ぬ前に最期の力を振り絞って鳴き、鉱夫たちに危機を伝えよう。鉱夫たちの団結を引き起こし、炭鉱(やま)の外にも危機をつたえ、状況を改善させる以外にカナリアたち(そして鉱夫たち)の生き残る道は無いのだから。