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精神科医師のブログ。
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ADHD in Adult(NEJMより)

2006年08月29日 | Weblog
 NEJM(米国の臨床医学雑誌、2006年7月22日号)に成人のADHDについての記事があった。

 記事はハーバード大学を出たDr.Yの経験を中心にまとめられていた。彼女は子供のころから落ち着きが無く、忘れっぽく、ボーっとしたところがあり、いつもオールAで成績が良いのにケアレスミスが多くちょっと変わっているといわれていた。高校でも良い成績をとり大学に進学。(ADHDはLD(学習障害)を伴うことが多いが彼女のような例もあるという。)大学に入ってからはカウンセラーの助けもかりながら学業にとりんだが非常に苦労し、同じ課題をするのにも、同級生よりも長く時間がかかった。衝動的で注意がそれやすく、そそっかしい性質に対処するために、予定表にすべて書き出し、プロジェクトを小さなタスクに分割するといったあらゆる行動療法をおこなって、なんとかこなしていた。
 
 そのうちに彼女は自分はADHDではないかと確信するようになり、精神科を受診し診断をうけた。結局、メチルフェニデードを内服しはじめるとすぐに効果が現れた。まず運転が上手くなったと感じるようになり、集中できるようになり、まとまらなかったものがより容易にできるようになるのを感じたという。

 メチルフェニデート(リタリン、長時間作用型の覚醒剤の一種)はADHDやナルコレプシーに適応のある薬剤だが、眠れなくなったり、血圧や脈があがったりする副作用がある。長期的には心血管事故の原因になったりする可能性も示唆されている。

 ADHDは他の疾患同様、生物学的(遺伝的)要因に、環境因子が加わり発症する。(社会生活の困難さ、破綻)神経伝達物質の働きの異常が原因といわれる。たしかにADHDの人を薬で治療するというのは、現代の競争社会に適応するために無理やりおこなっているといえなくも無い。ADHDの人種はどの世界生きるのが幸せなのだろうか?イタリアか?

 記事ではADHDの治療薬をつくっている製薬会社はホワイトカラー中心となった成果至上主義の現代社会につけこんでおり、診断基準を決める委員への研究資金提供などもしており患者を増やそうとしている可能性を指摘していた。(薬物治療を受けている割合は米国は多く、ヨーロッパは少ないなど国によりまったく違う。病気を作ることなど簡単なことなのだ。) 実際、アデラールというADHD治療薬の広告には、、「より高いレベルを目指そう。」といったスローガンとともに、建築家や科学者、主任風の仕事をしている人を登場させている。いかにも商業主義的である。 成果主義の競争社会において、高い目標を達成しようとする人だれもが、容易に能力を上げるために、この薬を欲しがるのではないか?(かつてのヒロポンのように。)それでよいのかという冷静な意見。
 
 「しかし、それは、ADHDとともに現代社会を生きる人の苦労、混乱っぷりを理解していない。能力をあげるという話ではなく、薬物治療はADHDの人にとって苦しみからの救いなのだ。」という反論の両方があげられていた。

 自分は間違いなくADHDのように思われる。エイメン博士の「「わかっているのにできない」脳」によると、どうやらマイナス思考や抑うつも加わった「辺縁系型ADHD」に近いタイプのようだ。非常にこまった脳のクセである。

 集中が途切れボーっとしてしまうこと(研修医のときに手術の助手として入っているときなどに指摘されたことあり。)、ケアレスミスが多いこと、辛くなるとビルから飛び降りるようなシーンが頭から離れないこと(理性で思いとどまるが・・・。以前、パキシルをのんでいたときあおられて吐き気もあり、過呼吸にもなりえらい目にあった。)集中しようとすればするほど集中できない症状は、特にストレス下では顕著だ。未来につながる時間感覚がなく、今を生きており、段取りが悪く、いつもバタバタしている。

 傘、切符、時計、万年筆、聴診器などなど、ものが消えるようになくなる。気づけば手元に無いという状態なのだ。思いもかけない場所に忘れていたりするのだが、まったく覚えが無い。電車などの切符をなくして再び料金を払うことも何度もあった。さすがに大事なものは財布に入れるという手続きを強化して最近はなくなったが・・・。
 食べ物を買ってきて冷蔵庫にいれて、そのまま賞味期限が切れるまでわすれることもしょっちゅう。もっている同じ本を買ってしまったりもする。洗濯機をかけたまましまい忘れてしまって、しばらくして夏など異臭を発して気づくなんてことも1度ならずあった。これはキッチンタイマーをセットするようにして解決した。

 できるだけ構造化された、気の散らない環境の中で、計画的に物事を遂行し、適切な援助を得ながら、リラックスしつつも集中できる境地を維持できればいいのだろうが・・・・。

 ADHDの人はアドレナリンレベルを何とかして高めないと物事を遂行できないため、意図せず相手を挑発して怒らしたり、何でもギリギリまで手をつけない。(これも当てはまる。)自家処方でアルコールや麻薬に手を出したり(さすがに、これはしないが)、コーヒーをたくさん飲んだりする。(これはドンぴしゃり、自分も日中はコーヒーを1~2時間おきに飲まずにはいられない。)ADHDに合併が多いといわれるナルコレプシーのような症状(不適切なシチュエーションでの突然の耐え難い眠気、金縛り、脱力)もしばしば経験する。

 対処として、運動(フィットネス(欧米のエグゼグティブでは常識、脳の血流をたかめ集中できるようにする。)、高蛋白低炭水化物食(セロトニン、ドパミンの原料)。メンタルトレーニング。規則正しい生活(当直もあり、これは無理だ。)外的補助具の使用など、さまざまな生活上の工夫がある。
 
 そして薬物治療・・・。これは非常に魅力的だが、カフェインくらいにとどめておいたほうがよいのだろうか? 

 ADHDの人は社会や仕事上、人間関係で失敗を繰り返すことから自己評価の低く、犯罪や、抑うつ、自殺などの2次障害をきたす原因となっていると指摘している。しかし、ADHDも悪い面ばかりではなく、アイディアとエネルギーにあふれ、適切な支援があり、よいパートナーにめぐり合うと能力を発揮でき大成功する可能性がある。
 「落とし穴に気づいていても避けられない。考えても無駄な、心配事が際限なく膨らんでしまう。一つのことに集中できない。気が散る環境で突発的な事態に対処しつつ、段取りよく仕事を処理できない。書類が山のよう。優先順位をつけて仕事ができない。」自分にはもはや今の状況で今の仕事は続けられないとうすうす気がついてはいるが、それでも、なんとか自分と、周りの環境をコントロールできるようになりどこかで世の中の役に立ちたいものだと思っている。