リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

★お知らせ★




思うところがあってFC2ブログに引っ越しました。 引越し先はこちらで新規の投稿はすべて引越し先のブログのみとなります。

体が動かない。

2006年08月23日 | Weblog
体がうごかない。

なんだか体に鞭をうってやっと動いているような感じだ。
やたらと肩がこる。
発作性に、ものすごい眠気に襲われる。(ナルコレプシーか?)
疲れているのに眠れない。
朝、おき出せない。
体が動かない。
頭が重い。
何も手がつかない。
こんなときは全てが後手後手にまわり、ますます立ち行かなくなる。

キーンと耳鳴がする。耳の聞こえがわるくなる。
めまいのように、ふらついてまっすぐ歩けない。
一度座ると立ち上がれない。

顔や体がちくちく、ひりひりする。
顔は真っ赤で、首筋や肘や背中が汗ばんでかゆい。
描くと肌がどこまでもボロボロとくずれてきて血がにじんでくる。
肌の調子がわるく、顔を見せたくない。
冷たい缶ジュースで火照った顔を冷やす。

重い腰をあげる。
きっかけを経て動き出し、最低限だけでもなんとか・・と
目の前のことを一つする。
ひとつづつ片付けていく。
少しずつからだが動き出す。
世の中が、すこしづつ回りだす。
だんだん片付いてくる。

からだの張りがとけてくる。
目の前から霧が晴れてくる。
頭がさえてくる。

すこしうれしいことがある。
あらたな気づきがある。
患者さんから元気をもらう。
世界が色づく。

そして今日も一日が過ぎていく。

患者さんが幸せでないのが、すべて自分が悪いように感じる。

よくならない患者さんには裏切られた気がする。
責められているような気がする。
足が遠のく。

在宅や転院をせまるのは借金取りと同じ。
自分以外にはやくこのバトンをわたしたい。
この重圧から逃れたい。
患者さんの代弁者として家族や、行政からどれだけ引き出せるか?
まだ隠しているものは無いか。
時には強く出なくてはならない。

理想とは程遠いが目をつぶって社会に送り出す。
リスクは0にはできない。
死はだれにでもおとづれる。
さびしい思いはさせたくない。

自分がさびしいのかもしれない。

課題はいくつでも見えてくる。
動かなければ進まない。

みんなたいへんなのもわかっているのでなかなか頼めなず、
自分で抱え込んでしまう。
頼まれると断れない。

どうして社会の中に行き先が無いのか?
幸せに暮らせないのか?

人生の最後の一時期に管理管理のこの扱いでいいのか?

自分は何ができるだろう。
何のために医療をやっているのか。

宮沢賢治の「農民芸術概論」の一節のように
「世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
なんてことを考えていたら、いつまでたってもだれも幸福もありえない気がする。

何もしていないこと、できないことに、常に何らかの重圧を感じている。

どうも、いいふうに(これも方言)いかない。
悩んでも仕方が無いことなのだろうか。

結果よりもプロセスが大事なのか。

いろんな重みを1人でかかえると短時間で消耗する。
そうならないためにもチームで向き合うことが重要だ。
患者自身や家族もチームの一員だ。

一歩一歩、前進するしかない。
今日よりも少しでもましな明日を信じて。