リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

★お知らせ★




思うところがあってFC2ブログに引っ越しました。 引越し先はこちらで新規の投稿はすべて引越し先のブログのみとなります。

無医村の良きサマリア人看護師

2006年08月17日 | Weblog
ある病院から遠く離れた村の診療所での出来事。

その日は休日で、その時、村に一台の救急車もたまたま出払っていた。
「家族が意識がなく心肺停止?どうすればいい?」との連絡が役場経由で村の診療所の職員に入った。
役場の宿直は、家族にとりあえず診療所に連れて行けと指示。
連絡をうけた診療所の職員(看護師)が診療所をあけてばたばたしているうちに、患者はもうはこばれてきた。

その村では夜間と休日は実質、無医村となる、

そのようなケースにおける連絡、連携体制も充分にねられていなかった。

看護師はもう1人の職員に応援を呼び、もう1人は救急隊との連絡などに追われた。
結局、医師との連絡は遅れた。

心肺停止との触れ込みで、家族に連れられてきた患者は、息はしており、脈も触れるようであったが、呼びかけに反応はなかった。
何かできることをと考えた看護師は通常の手順に従いソルラクト(細胞外液)でルート確保をした。
後に村に戻ってきた救急車で病院へと搬送されたのだが・・・。

これが後で問題となったらしい。

医師の指示なしにルートキープして点滴をおこなったことがである。
ルートキープとは手や足の表在の血管(静脈)に細い針(プラスチック製の外筒だけをのこす)を差しこみ点滴行うことである。
大きな危険性や副作用もなく、血圧低下(ショック)にも対応でき、必要時にすぐ薬剤投与もすぐできる道を確保したわけで、むしろほめられるべきという人もいた。

救急隊の場合もトレーニングを受けた救急救命師には包括的メディカルコントロール下で、現場での挿管や除細動、ルートキープなどの医療行為が許されるようになってきている。
救急はABCからというように窒息や舌根沈下などで気道が閉塞した際の気道の確など保は一刻を争うことがある。ある種の不整脈の場合は一刻も早い除細動が必要だ。この際はプロトコール(手順)に従いAED(自動体外式除細動器)を用いた電気ショックを行う。
このAEDは空港や駅など人が集まる場所に設置されるようになってきており、自動的に心電図を解析し音声で指示をだしてくれる。
啓蒙活動も盛んに行われ、一般の人でも使えるようになってきている。

気道が確保され、呼吸が可能となれば次は循環の確保、すなわちルートキープということになる。

医師が同乗したドクターカーや、ドクターヘリが駆けつけて行う処置も、まずこのようなところから開始される。その場合は緊急薬剤の投与、処置まで可能となるわけだが・・・・。

このケースにおいてその時点でのルートキープが必須だったかはわからない。
ただ、その場にいた看護師は自分で考えて、できることを精一杯やったということだ。
「当然のことをやっただけ。むしろ賞賛されるべき。問題はない。」
「医師の指示なしに、医療行為をやって何かあったときに責任はとれない。」
その行為の是非は意見がわかれた。

現状では医療行為はすべて医師の指示から始まる仕組みになっている。

救急外来で当直などをしていると救急隊から
「○○で○○で○○です。○○での気道確保の指示をください。先生のお名前は?」
という連絡があることがある。

そういったときには救急隊を信じて「は、はい、気道確保お願いします。○○です。」
と儀式的に指示をだすしかない。

また、在宅の患者さんなどで介護職が血圧を測ってもいいが、それを「高い、低い」などと解釈してはいけないというお達しもあった。
なんともおかしな話であるが。

医療は医師が業務独占し、医師が判断し、指示を出し、責任をおうという役まわりである限り、そういったことは形式的であっても必要なのだろうか?

医療行為と非医療行為の境目は?
包括的メディカルコントロールとは

なかなか深い問題をはらんでおり考えさせられる出来事であった。