リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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納得死と満足死

2006年08月25日 | Weblog
「患者さんによくはなりません。」
って言ってはだめだ。
「もう、できることはなにもありません」
って言ってもだめだ。
さじをなげて怒ってはだめだ。切れてもだめだ。

でも、どうすることもできない。
手持ちのカードはすべて使った。

「魔法の点滴?、薬?」
家族には、責められている気がする。
すこしでもできることは無いかと、精一杯やるしかない。

医学的にとことんやるのか。

納得を大事にした関係の中で・・・。

法的には延命は、「とことんまでやれ!」ということになっているのだから。
関係作りを失敗すると、医師は訴えられても文句は言えない。
とことんやりたくないとは拒否はできないのだ。

下手すると逮捕されてしまう。
恐怖。

どこまでが治療、どこまでが延命?

でも手術なんてできっこない。
手術室から戻ってこれない。
人口透析?人工呼吸?静脈栄養?経管栄養?リハビリテーション?
何ができるというのだ。

周りの人のための医療。
アリバイのための医療。

わずかな希望。

いのちの火がよわってきている。
存在役割はいつまで必要。

「いくつまで生きられれば満足なのだろう。」
「本人はもういいといっているではないか。」

自分の命、だれの命。

家にもなんとか一度は帰った。
状況的に家には帰るのは難しい。
家で看られる状況をつくれない。
家族は希望をすてていない。

スペシャリストの前主治医との関係。
不老不死を夢見て、世界最高の技術を持った家からはるか遠く離れた病院で最高の技術をもった世界最高の専門家に「打つ手はありません。」といわれれば満足なのか。

やるだけやったという納得。満足感。
信頼と納得。

「決して、あきらめろ。」というわけではないが
「がんばれ。」ともいえない。
「希望を奪うわけにもいかない。」

ただ、医療や生命の限界を、患者家族と共有できないのがつらい。
寄り添うしかないか。とことん付き合うしかないか。
長い時間をかけて関係性や納得をつくるのが地域の医者の仕事なのか。

怒ってはいけない。切れてはいけない。
頑張ってはいけない医療。頑張らなくてはいけない医療。

とことんつきあういのち。