リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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リハビリ打ち切り(弱者は死ね!)

2006年08月28日 | Weblog
 医療の現場は、医療制度と患者さんの板ばさみとなり、病院が悪いわけではないのに苦しい立場に立たされている。
 
 そのひとつに外来リハビリ打ち切りがある。厚生労働省は「漫然とした維持期の外来リハは無駄である。リハの療法士は不足しているので、短期間の講習会をうけた代替者でもいいことにしますよ。疾患群別のリハにより診療報酬点数を変えます。理学療法、作業療法、言語療法により診療報酬は変えません そして脳卒中なら病院でのリハビリは発症から180日で強制終了ですよ。それ以上やりたいなら介護保険のお財布から出た通所リハ(オマケでリハビリもできるディサービス)でしなさい。」ということにした。

 リハビリテーションとは何かをまったく理解していない、そして現場の実情をまったく理解していない、なんのエビデンスにも基づいていない、官僚の机上の空論、思いつきでおこなわれた今回の制度改定。リハ関連団体それぞれ個別に目くらましのような言い訳をして、患者や障害者の実態を無視した一方的なだまし討ちのような通達であった。

 障害を対象としたリハに疾患群別で点数が違うのもそもそのリハとは何か理解していない。また、障害像によってリハの期間も、頻度もさまざまであるべきなのに一律に切ってしまう。文句がでるのでとりあえ4月からカウントしなおして180日で打ち切り。(X-Dayが近づいている。)除外規定は一応つけたけど原則ダメだよというのは、患者およびリハの専門家など現場の人間を馬鹿にしているとしか言いようがない。

 たしかに医療保険でおこなうにはふさわしくない、漫然とした理学療法がおこなわれていたところもあったかもしれない。サロンとなっていたところもあるだろう
。しかし老人保健施設での通所リハに行くには抵抗のある若い脳血管障害の患者さんのリハをどうするのか。若い人ほど長期にわたる回復の可能性もあるのだ。またそういった患者さんには貴重な社会参加の機会(生きがい、患者同士の交流の場)となっていた。老健のリハではリハのスタッフも少なく頻度も全然違う。訪問リハは訪問看護のオマケあつかいとなり、実施しているところも少ない。

 この暴挙にリハ関連5団体が団結した。エビデンス作りにも本気になった。患者も免疫学者の多田富雄を筆頭に40万人以上の署名をあつめた。どう考えても、おかしいことはおかしいとうったえていっているので、2年後の改定の時にはマシになることを祈るが・・。

 しかし病院も赤字を出してつぶれるわけにはいかない(地域に迷惑をかけてしまう。)ので、泣く泣く患者さんにあやまりながら外来リハの打ち切り、あるいは介護保険施設への移行をお願いしているような状態である。「9月でリハは卒業、仕上げのリハビリを・・・。」なんて言って納得していただいているのだが、メンテナンスの意味もあるのだから卒業も何もないのだが・・・。
 
 維持期のリハ患者の見殺しにしろ、家で死ねという在宅医療の推進にしろ、療養型病床群の廃止にしろ、医療費削減という目的だけでやっているのに、いろいろ御託を並べてさもいいことをやっているようにいうから胡散臭くなるのだ。人間一人の命は地球より重い」わけもなく、医療のレベルは経済状態(かけたお金)に規定されるところも当然ある。今後、さまざまな疾患で保険診療の打ち切りが闇討ちのようにおこなわれていくことだろう。透析の回数にも制限が出てくるかもしれない。
 それならそれとして国民に公的な予算の使い道についてちゃんと情報公開して問わなければならない。生存権というのはどのくらいのことを言うのだろうか?デリケートな問題を含んでいる。

 しかし社会の安全装置、社会共通資本である医療を軽んじて安定し社会が維持できるはずもない。結果的に大きな損をこうむることになるのではないかと危惧する。

 強者には何かのきっかけで弱者になるまでは、理解できないのだろう。「いろいろ見えてしまう」現場から、想像力が欠如し「バーチャルな世界」で生きている人たちに粘り強く訴えていくしかないのか。