
旅行記ばかりでそろそろ他のことも書きたくなったので、ちょっと閑話休題。
平成も残すところ10日になりました。30年と4ヶ月ほどの平成の期間、これは一般的な鉄道車両の寿命(30〜50年)に近い数字です。
と言うことは平成に登場したのに、平成の内に消えてしまった車両もあるわけです。
未だ昭和の頃から走っている車両もたくさんありますけど、今回はそんな「短命」だった車両を写真が手元にある範囲で紹介したいと思います。
なお、元が昭和の車両を改造した物や、国内別会社に譲渡されて現役稼働している車両は除きます。(海外譲渡は掲載)
※2019/4/23に名鉄、三陸鉄道、横浜シーサイドラインの車両を追加しました
新幹線車両
高速で走る新幹線車両はそもそも寿命が短く、鉄道車両のなかでもとりわけ寿命が短い種類です。
平成は新幹線の速度が飛躍的に速くなった時代でした。そして0系から200系、100系の登場までで終わった昭和から、様々な新幹線が登場した時代でした。

JR東海・JR西日本の300系新幹線。1990年(平成2年)に先行量産車が登場。1992年から本格的に量産投入されました。0系、100系では最高時速220km/hまでだった東海道新幹線を一気に270km/hまで引き上げた初代「のぞみ」。新幹線初のVVVFインバータ制御車でもあり、平成を代表する車両の1つと言えます。2012年に全車両が引退ました。現在は先行量産車の1両がリニア・鉄道館で展示されています。

JR東日本の400系新幹線。1990年(平成2年)に試作車が登場し、1992年の山形新幹線開業で初のミニ新幹線として営業開始しました。写真は新庄延伸後のリニューアル塗装。新幹線初のボルスタレス台車を採用したが、制御方式は従来のサイリスタ位相制御で、最後の直流モーター新幹線となっています。この400系の成功が、後の秋田新幹線にも繋がっていきました。2010年に全車引退しました。現在は鉄道博物館に先頭車1両が展示されています。

JR東日本のE1系新幹線。1994年に登場した初の全車二階建て新幹線。東北・上越新幹線の通勤需要に応えるために登場し、12両編成で1235席となっていました。写真は登場時の塗装で、後に上越新幹線のみの運用とリニューアルされてから、現在のE4系に似た塗た塗装へ変更されています。「Max」の愛称はMaxまで詰め込むという意味に聞こえそうですが、正しくはMulti Amenity Expressです。2012年に全車引退しました。現在は鉄道博物館に先頭車1両が展示されてます。
JR在来線車両
国鉄が分割民営化したのは1987(昭和62年)。すなわち、JR各社はほぼ平成になってから自社製の車両を投入したことになります。しかしながら、国鉄分割民営化直後は国鉄時代の車両の製造を継承した物が多く、従って「丈夫で長持ち」な車両が大半だったため、案外に消えた車両は少ないのです。

JR四国の2000系TSE。1989年(平成元年)にJR四国が特急列車の高速化のために、世界初制御式振り子付きの気動車として登場させた2000系の試作車にあたるのが2000系TSEです。「TSE」はTrans Shikoku Experimental(四国の実験車)の略。四国の特急高速化に貢献し、晩年は予讃線の「宇和海」運用となっていました。2018年に引退。先月一部が解体されています。

JR東日本の415系クハ415-1901。1991年(平成3年)に415系1500番台の増備車のうち、仙台側先頭車を2階建てで新製した試作車です。415系1500番台自体は国鉄時代の設計ですが、この車両は後に215系電車を製造することに向けての運用データ収集のために1両だけ作られた異端車です。時刻表でもこの車両の走る列車だけ2階建てマークが付いていたので、時間を合わせて乗りに行ったものでした。2006年に引退し、廃車されています。

JR東日本のE331系。2006年(平成18年)に京葉線に量産先行車が登場した次世代の通勤形電車。20mのボギー車(車体の両端に台車がある車両)が通常の通勤電車へ、連接台車(車体と車体の間に台車がある)を導入した試験的な車両でした。7両ずつでユニット化された14両編成で、非常に静かな車内でしたが、故障を繰り返した結果量産を断念。結局京葉線の新車は従来のE233系をマイナーチェンジした5000番台が投入され、2011年にE331系は運用終了。2014年に廃車されました。

JR貨物のEF200形。1990年(平成2年)に試作機が登場し、1992年から量産されたJR貨物の直流用電気機関車。将来の1600t貨物牽引を見込んで、6000kwのハイパワー機関車として登場しました。写真はリニューアル前の登場時塗装です。しかしながら、貨物需要の伸び悩みにより1300t貨物が維持され、変電所設備を改造しないとフルパワーで走ることも出来ないという余剰性能になったことから、国鉄車のEF65形が残る中で2019年3月をもって全車引退しました。試作機が日立製作所水戸事業所に保存されているそうです。
私鉄・第三セクター・公営鉄道車両
平成の時代は、新たな交通機関が生まれてきた時代でもありました。一方で国鉄末期から始まった赤字路線の第三セクター化が平成も続いており、お金が無いために初期投資の車両を安く済ませた結果、短命な軽快気動車が多数生まれました。また、車両の規格統一による効率化が進んだのも平成であり、寿命で無くても消えていった車両もありました。

営団地下鉄・東京メトロ06系。1993年(平成5年)に千代田線の増発に伴い、同時期に有楽町線に投入された07系と同等の車両として1編成だけ製造された電車。6000系しかいなかった千代田線車両の中で異彩を放っていました。写真は小田急多摩センターでのものですが、小田急線・JR常磐線にも乗り入れていました。2015年に16000系の投入により、6000系よりも早く姿を消しました。

京成AE100形。1990年(平成2年)に初代AE形の増備車として登場した「スカイライナー」用特急形車両。京成電鉄の看板特急列車として、上野と成田空港を結びました。2010年の成田スカイアクセス線開業により「スカイライナー」の任を解かれて「シティライナー」としてしばらくは残りましたが、2016年に全車引退しました。

西鉄8000形。1989年(平成元年)に西日本鉄道がJR鹿児島本線の輸送力増強に対抗すべく、2000形特急電車の後継として投入した特急用電車です。特別料金不要な特急としては珍しく、スタイルが特急然とした流線型になっており、前面展望可能な座席もありました。車内は転換クロスシートなので、リクライニングシートの特急車両に比べると一枚落ちた感じですが、当時はまだ国鉄の特急車でも転換クロスシートの車両がありました(185系など)。観光列車への改造も経て、2017年には全車引退しました。


都営10-000形は1971年(昭和46年)から1997年(平成9年)の長期に渡って製造された車両ですが、製造時期によっておよそ「別物」になっている車両です。上の写真は1992年(平成4年)に製造された7次車。この車両はそれまでの車両に準じた外観になっていますが、下の写真は1997年(平成9年)に製造された8次車で、外観が大幅に変更されています。それでも機器類は当時の都営新宿線のATCの都合でVVVFインバータ制御が使えなかったため、電機子チョッパ制御のままでした。7次車は2017年、8次車は2018年に全廃され、かなり短命に終わっています。

都営10-300R形。2005年(平成17年)に都営新宿線の保安装置(ATCと列車無線)の更新に伴い、経年の浅い10-000形を有効活用するため、保安装置を載せている先頭車だけ新造した編成が10-300R形(まるごと新造したのは10-300形)。前面形状は東急新5000系に類似しています。明らかに見た目の異なる先頭車と中間車のアンバランスな状態が特徴的でしたが、あくまで「一時しのぎ」だったため、2016年までに全6編成が廃車されました。「お金がある」東京都ならではと言いますか、先頭車12両は非常に短命(固定資産の減価償却期間13年すら超えていない)でした


都営12-000形1次車と2次車。1990年(平成2年)の都営12号線(大江戸線の前身)開業時車両と、1994年(平成6年)の増備車です。アルミニウム車体でしたが、アイボリーに塗装され、紫系の帯を着けていました。大江戸線開業にあわせた3次車からは形状も変更されて無塗装になったので、大江戸線となってからはいかにも初期車という印象でした。2016年に後継の12-600形が投入され、1次車、2次車は姿を消しました。

東京臨海新交通(ゆりかもめ)7000系。新交通システムの新線として1995年(平成7年)に開業したゆりかもめの初期車両です。新交通システム車両として初めてステンレス車体を採用した車両でもあります。新橋〜有明の開業時から、豊洲延伸後も活躍しましたが、2016年に後継の7300系導入により全廃されました。なお、よく似たマイナーチェンジ車の7200系が残っていますが、こちらも2020年には引退予定です

わたらせ渓谷鉄道わ89-200形。1989年(平成元年)に国鉄足尾線からわたらせ渓谷鉄道への転換時に製造された車両。同時にわ89-100形も製造されていて、100形がロングシート、200形がセミクロスシートでした。富士重工製のレールバスLE-Car IIシリーズで、簡素な作りであったことから老朽化が進み、2013年に引退しました。ちなみに私が2010年8月に乗った時はクーラー故障で非常に暑かった記憶が・・・で、乗った車両はそのまま12月に廃車されていました

わたらせ渓谷鉄道わ89-300形。1989年(平成元年)のわたらせ渓谷鉄道転換時に製造された車両の内、イベント対応用車両として外観が100・200形とは異なっている車両。全席転換クロスシートになっていました。後に、マイナーチェンジのわ89-310形が製造され現在も活躍していますが、わ89-300形の2両は2011年、2015年にそれぞれ廃車されました


平成筑豊鉄道100形(写真上)、300形(写真下)。1989年(平成元年)のJR九州田川線・糸田線・伊田線の転換から平成筑豊鉄道開業に伴い、100形9両、200形3両、300形4両の富士重工製LE-DCが投入されました。100形は車体長が16.5mと短く、200形と300形は18.5mになっていました。100形、200形は部分的にボックスシートがありましたが、300形は全席ロングシートでした。後継の400形、500形への置きかえが進み、2010年までに全車が引退。一部はミャンマーに渡っています。また、304は金田駅で動態保存されています

鹿島臨海鉄道7000形。1992年(平成4年)に登場した片運転台2両編成の快速用車両で、快速「マリンライナーはまなす」として運用されていましたが、1998年に快速運用が終了してから、ほとんど運用が無くなりました。その後はたまに臨時列車で動く程度で、2008年の一時期に定期列車にも充当されましたが、2010年に検査期限切れで引退。現在は茨城県筑西市のヒロサワシティで静態保存されています。


くま川鉄道KT-100形(写真上)、KT-200形(写真下)。1989年(平成元年)にJR九州湯前線の第三セクター化により登場。新潟鐵工所製NDCです。KT100形がセミクロスシート、KR200形がロングシートで、晩年にKT-103とKT-203(写真下)が水戸岡列車に改造されました。この改造が好評だったためか、後継のKT-500形は全て水戸岡列車になっています。2016年に運行終了し、KUMA1とKUMA2はあさぎり駅で保存されています。

会津鉄道キハ8500系。元名鉄キハ8500系で、1991年(平成3年)に特急「北アルプス」のキハ8000系老朽化に伴い、JR東海のキハ85系と併結運転可能な性能を持った特急用気動車として登場しました。しかしながら、2001年に「北アルプス」が廃止。ちょうど車両の更新時期を迎えていた会津鉄道に5両全部が譲渡され、快速「AIZUマウントエクスプレス」として2002年から営業運転を開始。2010年まで活躍して引退しました。中間車1両は2007年に解体、先頭車の内2両は那珂川清流鉄道保存会で保存。残る2両は保存後に売却され、マレーシアに渡っています。

名鉄6750系2次車。1990年(平成2年)に名鉄瀬戸線で先に登場していた6650系(6750系1次車)の増備として登場。6750系1次車は本線の6000系の外観をベースにしていましたが、2次車はパノラミックウインドウの変わった外観になりました。足回りを1920年台の車両である3900系から流用したため、平成製なのに釣り掛け駆動方式の電車と言う、当時最新のGTO素子によるVVVFインバータ制御からしても3世代は前の足回りの電車でした。2011年に新型の4000系に置き換えられて姿を消しました。

名鉄キハ30形。1995年(平成7年)にキハ10形の置きかえ用に登場した富士重工のLE-DC。単行気動車としては珍しく、3扉構造となっていました。名鉄の閑散路線を非電化にして運行コストを削減するという方針の中で登場した気動車としては3世代目でしたが、登場から9年後の2004年には唯一稼働していた三河線の末端区間(猿投〜西中金、吉良吉田〜碧南)が廃止されることになって用途を失い、ミャンマーへ譲渡されました。

三陸鉄道36-500形。1994年(平成6年)2月に起きた南リアス線での列車脱線転覆事故により36-100形、200形が各1両廃車となったため、補充用に製造された車両です。1995年(平成7年)より運行を開始しましたが、他の車両(100形・200形)よりも新しく性能が良いのに、2009年には廃車されてしまいました。新しいのに短命だった理由はよくわかりませんが、同型がいないことで保守運用上効率が悪くなることが問題だったのかもしれません。

三陸鉄道36-300・400形。三陸鉄道に登場したのは1990年(平成2年)ですが、元は1989年(平成元年)に現在のみなとみらい地区で開催された横浜博覧会の山下臨港線の会場輸送用に登場した車両です。2両編成2本が製造されましたが、製造時期の関係で銘版はなんと1週間しかなかった「昭和64年製」だったそうです。2004年に「おやしお」号、2006年に「くろしお」号が引退し廃形式になりました。その後、キャンマーへ輸出されています。

横浜新都市交通(横浜シーサイドライン)1000形。新交通車両です。シーサイドラインの開業が1989年(平成元年)ですので、掲載。車両の一部は昭和63年、64年製がありました。横浜シーサイドラインの主力車両として2014年まで活躍しましたが、後継の2000形電車の導入で引退。一部は並木中央にある車両基地で保存されています。
廃線になった鉄道の車両
平成の間は地方の人口減少が急激に進みました。地方の閑散路線は第三セクターに転換されても長続きせず結局廃線となっていた所や、高千穂鉄道に用に転載で廃線となった鉄道路線もありました。


北海道ちほく高原鉄道CR70形(写真上)とCR75形(写真下)。1989年(平成元年)にJR北海道池北線の第三セクター化により、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が誕生。その際に投入された車両が、新潟鐵工所製NDCのCR70形とCR75形。一部は昭和63年の製造ですが、運用開始は平成元年です。CR75形はイベント仕様車でした。また、写真の様に銀河鉄道999ラッピングされた車両もありました。2006年に廃線となり、車両の一部は「りくべつ鉄道」として陸別駅の公園に残されて動態保存されています。

鹿島鉄道KR-500形。1989年(平成元年)から投入された16m級の軽快気動車で、4両が製造されました。新潟鐵工所製NDCで鹿島鉄道の主力車両でした。鹿島鉄道は関東鉄道の子会社で、かつては自衛隊百里基地への燃料輸送の貨物もあったのですが、2001年に廃止されて経営が悪化し、親会社の関東鉄道もつくばエクスプレス開業で経営が悪化したため、2007年に廃線となりました。廃線時は車齢20年以下でしたが、独自仕様の軽快気動車だったためか、どこにも譲渡されずにKR501がかつての鉾田駅で保存されたほかは解体されています。

高千穂鉄道TR-300形。1991年(平成3年)に高千穂鉄道の観光用に投入された気動車。先だって秋田内陸縦貫鉄道に導入されたAN-8900形をベースにしています。片運転台で転換クロスシートだった。2003年にTR-400形(後のJR九州キハ125形400番台「海幸山幸」)が導入されるに先だって廃車されましたが、今も高千穂駅に残っているそうです。

くりはら田園鉄道KD95形。細倉鉱山への鉱山鉄道だった栗原電鉄が1995年に赤字で第三セクターのくりはら田園鉄道へと転換され、1995年(平成7年) に非電化となった際に導入された軽快気動車。富士重工製のLE-DCで、16m級の小さな車両でしたが、内装に宮城県産木材を使用するなど、第三セクターの気動車としては質の良い車両でした。2007年の廃線後、車齢が若いため当初は他の私鉄への売却が検討されていたのですが、2008年の岩手・宮城内陸地震の影響もあって売却されず、若柳駅で保存されています。

桃花台新交通100系。1991年(平成3年)の桃花台新交通開業時に投入された車両で、起点の小牧駅、終点の桃花台東駅にループ線を作ることで片運転台にするという他に類を見ない車両となっていました(つまり写真の後ろの方の車両は運転台がありません)。2006年にわずか15年の営業期間で廃止されてしまい、車両も特殊すぎて譲渡される先も無く、個人に売却された車両が一部保存されているようです。

関西電力300形無軌条電車。いわゆるトロリーバスですが、トロリーバスは法的には鉄道ですので、これも紹介させて頂きましょう。1993年(平成5年)に登場した日本初のVVVFインバータ制御によるトロリーバスで、関電トンネルを走っていましたが、2018年を持って引退。電気バスに転換されることになりました。この車両の引退により、日本のトロリーバスは立山黒部貫光8000形無軌条電車を残すのみとなっています。
なんか漏れもあるような気がするのですが、調べられて写真があった限りではこんなところでした。
(JR貨物のEF500形も紹介したいところでしたが、写真撮ってなかった・・・)
これからは昭和の車両が全滅し、いずれは平成の車両もどんどん消えていくことになるでしょうが、令和の時代にどのような車両が登場してくるのか、それを楽しみ待つことにしましょう。
平成も残すところ10日になりました。30年と4ヶ月ほどの平成の期間、これは一般的な鉄道車両の寿命(30〜50年)に近い数字です。
と言うことは平成に登場したのに、平成の内に消えてしまった車両もあるわけです。
未だ昭和の頃から走っている車両もたくさんありますけど、今回はそんな「短命」だった車両を写真が手元にある範囲で紹介したいと思います。
なお、元が昭和の車両を改造した物や、国内別会社に譲渡されて現役稼働している車両は除きます。(海外譲渡は掲載)
※2019/4/23に名鉄、三陸鉄道、横浜シーサイドラインの車両を追加しました
新幹線車両
高速で走る新幹線車両はそもそも寿命が短く、鉄道車両のなかでもとりわけ寿命が短い種類です。
平成は新幹線の速度が飛躍的に速くなった時代でした。そして0系から200系、100系の登場までで終わった昭和から、様々な新幹線が登場した時代でした。

JR東海・JR西日本の300系新幹線。1990年(平成2年)に先行量産車が登場。1992年から本格的に量産投入されました。0系、100系では最高時速220km/hまでだった東海道新幹線を一気に270km/hまで引き上げた初代「のぞみ」。新幹線初のVVVFインバータ制御車でもあり、平成を代表する車両の1つと言えます。2012年に全車両が引退ました。現在は先行量産車の1両がリニア・鉄道館で展示されています。

JR東日本の400系新幹線。1990年(平成2年)に試作車が登場し、1992年の山形新幹線開業で初のミニ新幹線として営業開始しました。写真は新庄延伸後のリニューアル塗装。新幹線初のボルスタレス台車を採用したが、制御方式は従来のサイリスタ位相制御で、最後の直流モーター新幹線となっています。この400系の成功が、後の秋田新幹線にも繋がっていきました。2010年に全車引退しました。現在は鉄道博物館に先頭車1両が展示されています。

JR東日本のE1系新幹線。1994年に登場した初の全車二階建て新幹線。東北・上越新幹線の通勤需要に応えるために登場し、12両編成で1235席となっていました。写真は登場時の塗装で、後に上越新幹線のみの運用とリニューアルされてから、現在のE4系に似た塗た塗装へ変更されています。「Max」の愛称はMaxまで詰め込むという意味に聞こえそうですが、正しくはMulti Amenity Expressです。2012年に全車引退しました。現在は鉄道博物館に先頭車1両が展示されてます。
JR在来線車両
国鉄が分割民営化したのは1987(昭和62年)。すなわち、JR各社はほぼ平成になってから自社製の車両を投入したことになります。しかしながら、国鉄分割民営化直後は国鉄時代の車両の製造を継承した物が多く、従って「丈夫で長持ち」な車両が大半だったため、案外に消えた車両は少ないのです。

JR四国の2000系TSE。1989年(平成元年)にJR四国が特急列車の高速化のために、世界初制御式振り子付きの気動車として登場させた2000系の試作車にあたるのが2000系TSEです。「TSE」はTrans Shikoku Experimental(四国の実験車)の略。四国の特急高速化に貢献し、晩年は予讃線の「宇和海」運用となっていました。2018年に引退。先月一部が解体されています。

JR東日本の415系クハ415-1901。1991年(平成3年)に415系1500番台の増備車のうち、仙台側先頭車を2階建てで新製した試作車です。415系1500番台自体は国鉄時代の設計ですが、この車両は後に215系電車を製造することに向けての運用データ収集のために1両だけ作られた異端車です。時刻表でもこの車両の走る列車だけ2階建てマークが付いていたので、時間を合わせて乗りに行ったものでした。2006年に引退し、廃車されています。

JR東日本のE331系。2006年(平成18年)に京葉線に量産先行車が登場した次世代の通勤形電車。20mのボギー車(車体の両端に台車がある車両)が通常の通勤電車へ、連接台車(車体と車体の間に台車がある)を導入した試験的な車両でした。7両ずつでユニット化された14両編成で、非常に静かな車内でしたが、故障を繰り返した結果量産を断念。結局京葉線の新車は従来のE233系をマイナーチェンジした5000番台が投入され、2011年にE331系は運用終了。2014年に廃車されました。

JR貨物のEF200形。1990年(平成2年)に試作機が登場し、1992年から量産されたJR貨物の直流用電気機関車。将来の1600t貨物牽引を見込んで、6000kwのハイパワー機関車として登場しました。写真はリニューアル前の登場時塗装です。しかしながら、貨物需要の伸び悩みにより1300t貨物が維持され、変電所設備を改造しないとフルパワーで走ることも出来ないという余剰性能になったことから、国鉄車のEF65形が残る中で2019年3月をもって全車引退しました。試作機が日立製作所水戸事業所に保存されているそうです。
私鉄・第三セクター・公営鉄道車両
平成の時代は、新たな交通機関が生まれてきた時代でもありました。一方で国鉄末期から始まった赤字路線の第三セクター化が平成も続いており、お金が無いために初期投資の車両を安く済ませた結果、短命な軽快気動車が多数生まれました。また、車両の規格統一による効率化が進んだのも平成であり、寿命で無くても消えていった車両もありました。

営団地下鉄・東京メトロ06系。1993年(平成5年)に千代田線の増発に伴い、同時期に有楽町線に投入された07系と同等の車両として1編成だけ製造された電車。6000系しかいなかった千代田線車両の中で異彩を放っていました。写真は小田急多摩センターでのものですが、小田急線・JR常磐線にも乗り入れていました。2015年に16000系の投入により、6000系よりも早く姿を消しました。

京成AE100形。1990年(平成2年)に初代AE形の増備車として登場した「スカイライナー」用特急形車両。京成電鉄の看板特急列車として、上野と成田空港を結びました。2010年の成田スカイアクセス線開業により「スカイライナー」の任を解かれて「シティライナー」としてしばらくは残りましたが、2016年に全車引退しました。

西鉄8000形。1989年(平成元年)に西日本鉄道がJR鹿児島本線の輸送力増強に対抗すべく、2000形特急電車の後継として投入した特急用電車です。特別料金不要な特急としては珍しく、スタイルが特急然とした流線型になっており、前面展望可能な座席もありました。車内は転換クロスシートなので、リクライニングシートの特急車両に比べると一枚落ちた感じですが、当時はまだ国鉄の特急車でも転換クロスシートの車両がありました(185系など)。観光列車への改造も経て、2017年には全車引退しました。


都営10-000形は1971年(昭和46年)から1997年(平成9年)の長期に渡って製造された車両ですが、製造時期によっておよそ「別物」になっている車両です。上の写真は1992年(平成4年)に製造された7次車。この車両はそれまでの車両に準じた外観になっていますが、下の写真は1997年(平成9年)に製造された8次車で、外観が大幅に変更されています。それでも機器類は当時の都営新宿線のATCの都合でVVVFインバータ制御が使えなかったため、電機子チョッパ制御のままでした。7次車は2017年、8次車は2018年に全廃され、かなり短命に終わっています。

都営10-300R形。2005年(平成17年)に都営新宿線の保安装置(ATCと列車無線)の更新に伴い、経年の浅い10-000形を有効活用するため、保安装置を載せている先頭車だけ新造した編成が10-300R形(まるごと新造したのは10-300形)。前面形状は東急新5000系に類似しています。明らかに見た目の異なる先頭車と中間車のアンバランスな状態が特徴的でしたが、あくまで「一時しのぎ」だったため、2016年までに全6編成が廃車されました。「お金がある」東京都ならではと言いますか、先頭車12両は非常に短命(固定資産の減価償却期間13年すら超えていない)でした


都営12-000形1次車と2次車。1990年(平成2年)の都営12号線(大江戸線の前身)開業時車両と、1994年(平成6年)の増備車です。アルミニウム車体でしたが、アイボリーに塗装され、紫系の帯を着けていました。大江戸線開業にあわせた3次車からは形状も変更されて無塗装になったので、大江戸線となってからはいかにも初期車という印象でした。2016年に後継の12-600形が投入され、1次車、2次車は姿を消しました。

東京臨海新交通(ゆりかもめ)7000系。新交通システムの新線として1995年(平成7年)に開業したゆりかもめの初期車両です。新交通システム車両として初めてステンレス車体を採用した車両でもあります。新橋〜有明の開業時から、豊洲延伸後も活躍しましたが、2016年に後継の7300系導入により全廃されました。なお、よく似たマイナーチェンジ車の7200系が残っていますが、こちらも2020年には引退予定です

わたらせ渓谷鉄道わ89-200形。1989年(平成元年)に国鉄足尾線からわたらせ渓谷鉄道への転換時に製造された車両。同時にわ89-100形も製造されていて、100形がロングシート、200形がセミクロスシートでした。富士重工製のレールバスLE-Car IIシリーズで、簡素な作りであったことから老朽化が進み、2013年に引退しました。ちなみに私が2010年8月に乗った時はクーラー故障で非常に暑かった記憶が・・・で、乗った車両はそのまま12月に廃車されていました

わたらせ渓谷鉄道わ89-300形。1989年(平成元年)のわたらせ渓谷鉄道転換時に製造された車両の内、イベント対応用車両として外観が100・200形とは異なっている車両。全席転換クロスシートになっていました。後に、マイナーチェンジのわ89-310形が製造され現在も活躍していますが、わ89-300形の2両は2011年、2015年にそれぞれ廃車されました


平成筑豊鉄道100形(写真上)、300形(写真下)。1989年(平成元年)のJR九州田川線・糸田線・伊田線の転換から平成筑豊鉄道開業に伴い、100形9両、200形3両、300形4両の富士重工製LE-DCが投入されました。100形は車体長が16.5mと短く、200形と300形は18.5mになっていました。100形、200形は部分的にボックスシートがありましたが、300形は全席ロングシートでした。後継の400形、500形への置きかえが進み、2010年までに全車が引退。一部はミャンマーに渡っています。また、304は金田駅で動態保存されています

鹿島臨海鉄道7000形。1992年(平成4年)に登場した片運転台2両編成の快速用車両で、快速「マリンライナーはまなす」として運用されていましたが、1998年に快速運用が終了してから、ほとんど運用が無くなりました。その後はたまに臨時列車で動く程度で、2008年の一時期に定期列車にも充当されましたが、2010年に検査期限切れで引退。現在は茨城県筑西市のヒロサワシティで静態保存されています。


くま川鉄道KT-100形(写真上)、KT-200形(写真下)。1989年(平成元年)にJR九州湯前線の第三セクター化により登場。新潟鐵工所製NDCです。KT100形がセミクロスシート、KR200形がロングシートで、晩年にKT-103とKT-203(写真下)が水戸岡列車に改造されました。この改造が好評だったためか、後継のKT-500形は全て水戸岡列車になっています。2016年に運行終了し、KUMA1とKUMA2はあさぎり駅で保存されています。

会津鉄道キハ8500系。元名鉄キハ8500系で、1991年(平成3年)に特急「北アルプス」のキハ8000系老朽化に伴い、JR東海のキハ85系と併結運転可能な性能を持った特急用気動車として登場しました。しかしながら、2001年に「北アルプス」が廃止。ちょうど車両の更新時期を迎えていた会津鉄道に5両全部が譲渡され、快速「AIZUマウントエクスプレス」として2002年から営業運転を開始。2010年まで活躍して引退しました。中間車1両は2007年に解体、先頭車の内2両は那珂川清流鉄道保存会で保存。残る2両は保存後に売却され、マレーシアに渡っています。

名鉄6750系2次車。1990年(平成2年)に名鉄瀬戸線で先に登場していた6650系(6750系1次車)の増備として登場。6750系1次車は本線の6000系の外観をベースにしていましたが、2次車はパノラミックウインドウの変わった外観になりました。足回りを1920年台の車両である3900系から流用したため、平成製なのに釣り掛け駆動方式の電車と言う、当時最新のGTO素子によるVVVFインバータ制御からしても3世代は前の足回りの電車でした。2011年に新型の4000系に置き換えられて姿を消しました。

名鉄キハ30形。1995年(平成7年)にキハ10形の置きかえ用に登場した富士重工のLE-DC。単行気動車としては珍しく、3扉構造となっていました。名鉄の閑散路線を非電化にして運行コストを削減するという方針の中で登場した気動車としては3世代目でしたが、登場から9年後の2004年には唯一稼働していた三河線の末端区間(猿投〜西中金、吉良吉田〜碧南)が廃止されることになって用途を失い、ミャンマーへ譲渡されました。

三陸鉄道36-500形。1994年(平成6年)2月に起きた南リアス線での列車脱線転覆事故により36-100形、200形が各1両廃車となったため、補充用に製造された車両です。1995年(平成7年)より運行を開始しましたが、他の車両(100形・200形)よりも新しく性能が良いのに、2009年には廃車されてしまいました。新しいのに短命だった理由はよくわかりませんが、同型がいないことで保守運用上効率が悪くなることが問題だったのかもしれません。

三陸鉄道36-300・400形。三陸鉄道に登場したのは1990年(平成2年)ですが、元は1989年(平成元年)に現在のみなとみらい地区で開催された横浜博覧会の山下臨港線の会場輸送用に登場した車両です。2両編成2本が製造されましたが、製造時期の関係で銘版はなんと1週間しかなかった「昭和64年製」だったそうです。2004年に「おやしお」号、2006年に「くろしお」号が引退し廃形式になりました。その後、キャンマーへ輸出されています。

横浜新都市交通(横浜シーサイドライン)1000形。新交通車両です。シーサイドラインの開業が1989年(平成元年)ですので、掲載。車両の一部は昭和63年、64年製がありました。横浜シーサイドラインの主力車両として2014年まで活躍しましたが、後継の2000形電車の導入で引退。一部は並木中央にある車両基地で保存されています。
廃線になった鉄道の車両
平成の間は地方の人口減少が急激に進みました。地方の閑散路線は第三セクターに転換されても長続きせず結局廃線となっていた所や、高千穂鉄道に用に転載で廃線となった鉄道路線もありました。


北海道ちほく高原鉄道CR70形(写真上)とCR75形(写真下)。1989年(平成元年)にJR北海道池北線の第三セクター化により、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が誕生。その際に投入された車両が、新潟鐵工所製NDCのCR70形とCR75形。一部は昭和63年の製造ですが、運用開始は平成元年です。CR75形はイベント仕様車でした。また、写真の様に銀河鉄道999ラッピングされた車両もありました。2006年に廃線となり、車両の一部は「りくべつ鉄道」として陸別駅の公園に残されて動態保存されています。

鹿島鉄道KR-500形。1989年(平成元年)から投入された16m級の軽快気動車で、4両が製造されました。新潟鐵工所製NDCで鹿島鉄道の主力車両でした。鹿島鉄道は関東鉄道の子会社で、かつては自衛隊百里基地への燃料輸送の貨物もあったのですが、2001年に廃止されて経営が悪化し、親会社の関東鉄道もつくばエクスプレス開業で経営が悪化したため、2007年に廃線となりました。廃線時は車齢20年以下でしたが、独自仕様の軽快気動車だったためか、どこにも譲渡されずにKR501がかつての鉾田駅で保存されたほかは解体されています。

高千穂鉄道TR-300形。1991年(平成3年)に高千穂鉄道の観光用に投入された気動車。先だって秋田内陸縦貫鉄道に導入されたAN-8900形をベースにしています。片運転台で転換クロスシートだった。2003年にTR-400形(後のJR九州キハ125形400番台「海幸山幸」)が導入されるに先だって廃車されましたが、今も高千穂駅に残っているそうです。

くりはら田園鉄道KD95形。細倉鉱山への鉱山鉄道だった栗原電鉄が1995年に赤字で第三セクターのくりはら田園鉄道へと転換され、1995年(平成7年) に非電化となった際に導入された軽快気動車。富士重工製のLE-DCで、16m級の小さな車両でしたが、内装に宮城県産木材を使用するなど、第三セクターの気動車としては質の良い車両でした。2007年の廃線後、車齢が若いため当初は他の私鉄への売却が検討されていたのですが、2008年の岩手・宮城内陸地震の影響もあって売却されず、若柳駅で保存されています。

桃花台新交通100系。1991年(平成3年)の桃花台新交通開業時に投入された車両で、起点の小牧駅、終点の桃花台東駅にループ線を作ることで片運転台にするという他に類を見ない車両となっていました(つまり写真の後ろの方の車両は運転台がありません)。2006年にわずか15年の営業期間で廃止されてしまい、車両も特殊すぎて譲渡される先も無く、個人に売却された車両が一部保存されているようです。

関西電力300形無軌条電車。いわゆるトロリーバスですが、トロリーバスは法的には鉄道ですので、これも紹介させて頂きましょう。1993年(平成5年)に登場した日本初のVVVFインバータ制御によるトロリーバスで、関電トンネルを走っていましたが、2018年を持って引退。電気バスに転換されることになりました。この車両の引退により、日本のトロリーバスは立山黒部貫光8000形無軌条電車を残すのみとなっています。
なんか漏れもあるような気がするのですが、調べられて写真があった限りではこんなところでした。
(JR貨物のEF500形も紹介したいところでしたが、写真撮ってなかった・・・)
これからは昭和の車両が全滅し、いずれは平成の車両もどんどん消えていくことになるでしょうが、令和の時代にどのような車両が登場してくるのか、それを楽しみ待つことにしましょう。
こうして拝見しますと、車両にも様々な運命があるように感じてしまいますね。長く走り続ける車両もあれば、確かに短命に終わる車両も多くあります。路線自体が廃線になってしまうなど、車両から見れば本当に不運としか言いようがないのではないでしょうか。
それぞれに事情がありますが、都営新宿線の10-300R形は印象的な程にあっけなく引退してしまいました。従来の車両をメンテナンスしたり改造したりするよりも新車を作る方が安上がりなのでしょうか。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
鉄道車両は、重くて丈夫に作った方が長持ちする傾向にありますが、重いと燃費が悪いわけで、209系のように割り切った設計にするのも一つの手だと思います。
新幹線の場合は高速すぎて寿命が短く、逆に定速の路面電車は長寿命な車両も多いです。阪堺電気軌道のモ161形なんて現役92年ですしねえ・・・
都営10-300R形は本当に勿体ないですし、10-000形の後期製造車もまだまだ使えたと思います。馬車軌道の特殊幅でなければ、秩父鉄道あたりにでも譲渡されなかったかなあ。