おじい様の独り言

地球一周ウオーキング(4万キロ)に挑戦、 2018.1 目標達成
『おじい様・・』は孫との会話中に 生れた固有名詞です

1995年1月17日 母との会話

2010-01-17 | あの時のこと あの人のこと
 
朝 5時46分 今年も武庫川河口で 神戸六甲山に向かい黙とうした。 15年前の生々しい思い出  出張のため ボツボツ起きようとした時強烈な立揺れ 一瞬何が起こったか。直後 芦屋に住んでいた母親に電話 とりあえず無事を確認した。すぐに電話は完全に不通となった。 一応出張の用意で 阪神最寄り駅まで行くも線路に煙突が横たわっていた出張は中止。ライフラインの電気だけはOK。テレビで断片的に少しずつ状況が報道されてきた。いろんなことを思い出す 一番の苦労は水と火  ライフライン水道 ガス 復旧まで45日もかかり  有難味を痛切に味わう 。 数年後 「地震や戦争で 生死を分けるものは何だろうね?」 過去を振り返りながら 母から 唐突に しみじみと 問われた。「運だけとちがう」 と答えたら 「運とは何なの?」「うーん 科学や理論では解明できないものと違う」 禅問答のような会話が続いた
                            独り言   
阪神震災も15年が経過した。 思えば 三度の大地震を体験。「一度ある事は二度ある 二度あることは 三度ある」といわれる これでおしまいと願いたい。1968年 札幌市にて 十勝沖地震(M 7.9)  1983年 秋田市にて 日本海中部地震(秋田沖地震)(M 7.7)     1995年西宮市にて  阪神淡路大震災(M 7.3) 


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1 コメント

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震災 (中国迷爺爺)
2010-01-17 11:54:23
 本当にあの日のことは忘れられませんね。私はあの頃は定年退職後に神戸の王子動物園の近くにある知的障害者の親の団体に勤めていたのですがしばらくは家にいて、その後三田回りで神戸電鉄で通いました。阪急がかなり復旧した後は電車やバスを乗り継いでいきましたが、途中の被災状態はひどいものでした。ある文化住宅は1階が完全に崩れその何軒かの家の玄関の前に花が手向けられていたのが忘れられません。
 勤めていた会の副会長が亡くなったので、遺体収容所にいきましたが、あれが暑い時期だったら目も当てられないことだったでしょう。その副会長の娘さんも亡くなったのですが、一緒に寝ていた姉はほんの数センチで家具の下敷きにならなかったので助かりました。やはり運なのでしょうかねえ。
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