お盆なので弟夫婦 妻と四人 墓参り。
七年前 (2001年)に 昭和21年 39歳で 戦死した父親のお墓を 西宮市に移設した。「お父さんは50年も前に戦死で遺骨も帰ってこなかった。当時自分としては永代供養と 出来るだけのことをしたので貴方は形にとらわれず気持ちで おとうさんのこと拝んでいなさい」と言い続け 新たなお墓を作ることにあまり乗り気をみせなっかった。
とはいえ父が永代奉られていた 富山のお寺まで出かけたものの 時の移り変わりで住職も三代 代りで 記録をもとに移転を完了。
当時は母は体調を崩し入院していた いよいよ墓標その他を具体的に決める段階で 正確な父の戒名が必要となる しかし母が大切に持ち続けていたと聞いていた位牌の行方が判らない。
病床の母の記憶を頼りに聞き取りをした。母の一周忌に住職さんが 親父さんの戒名に「すごい立派な戒名です うちの寺ではトップクラスクラスですよ」と聞かされた。そのことは母の法事のとき50年を過ぎて初めて判った。
実は父の戒名墓標は病床の母の記憶よるものであった。母は昨年 父の位牌の置き場所確認することなく永眠した。
昨年母の死去により仏壇を購入 同時に母の位牌と父の新たな位牌を作成した。
僧侶の戒名の話以来 高齢の母の記憶が間違いでなければよいがと心配をしていた。
昨年母は95歳で他界し父の故へ。奇しくも昨日墓参りの後 弟より 母の遺品のより 行方の判らなかった位牌が出てきたと正確な戒名がファクスされてきた。
母の記憶はまったく正確であった。母は形にとらわれず気持ちで父のことを拝んでいたんだと思う。数年のモヤモヤがすっきりした。
霊標は 義祥院信誉雄山居士位 昭和21年5月21日寂 俗名信彦 行年39才
とある。
今日は終戦記念日。多くの軍国の母や妻達がわが子、わが夫を偲んで涙したことでしょう。この人達はもう高齢です。そのような人たちの記憶は絶対に風化させてはならないと思っています。
「貴方は形にとらわれず気持ちで おとうさんのこと拝んでいなさい」とおっしゃったお母さんの言葉はそのとおりだと思います。私も亡き妻を思うときにはそのような気持ちです。
今日はよいお話をお聞きしました。
お褒めいただいた母は父戦死の後 教員となり兄弟二人とも大学出してくれた”女丈夫”でした。
父も一応東京帝国大卒で戒名に負けない人だったのではと思い込んでおります。昨年9月25日のブログで父の事書きましたので 今日にでももう一度取り上げたいと思います。うれしいコメントありがとうございました。