おじい様の独り言

地球一周ウオーキング(4万キロ)に挑戦、 2018.1 目標達成
『おじい様・・』は孫との会話中に 生れた固有名詞です

68年目 はじめて見る写真

2009-12-02 | 家族のこと

弟より   母の遺品の中から珍しい写真を発見したと持参してくれた。68年前のものと推定当時の写真は戦時中でもあり少ない。特に家族四人全員の写真は見たことが無かった。始めてみる写真である。この後 父は召集され今の中国に出征した。残された家族は神戸より 山口に疎開した。戦地との手紙のやりとりはあったものの 終戦後 帰国目前 三十七歳で戦死した。記憶にはないがおそらく この写真が出征前 最後のものと思われ 家族は父と再会することは無かった。父よりの手紙はかなり残ってるが 特に終戦直後の混乱下の 母への手紙 父の心中察すると言葉が出ない
 (小生宛葉書)  
       

(母宛)
文面お前の手紙は一昨年11月に出たもの以来見ていない 内地の様子もどうなっていることか 特に 神戸 東京の様子を一日も早く知り度いと思っている いづれ九州の何処かに上陸出来る様になると思う 帰還の上 一日も早く坊やお前達の顔を見度いと思っている お前達もさぞ精神的ならびに経済的に苦しい生活を送っていることと思ふが 小生帰国の上はともに手を取り合ってこの苦難に打ち勝って行きたいと思ふ 何日になるか今のところ全く不明ではあるが 小生幸い病気せずに漢口東方九江北岸五十六里のところで帰国できる日を待っている 東京の様子も出来るだけ詳しく知り度                       独り言
読み返すに 再会を どれほど望んでいたことか! 今でも 無念さが伝わる 
母や祖母 周囲からは 自分のこと 名前でなく坊やと呼んでいたが父もそうだったとは この手紙で初めて知った  

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4 コメント

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Unknown (中国迷爺爺)
2009-12-03 10:33:32
 お父上は終戦後に戦死されたとのことですが、まだ戦闘はあったのでしょうか。それとも戦病死だったのでしょうか。いずれにしてもお手紙を見ますと、どんなにか奥様やご家族に会いたいと思われていたかと考えると胸が痛みます。ビルマや南方のジャングルの中で無惨に亡くなった兵士達はどれほど故郷や家族が恋しかったことだろうと思います。
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戦病死と訊いています。 (ojiisama)
2009-12-03 20:42:31
終戦直後 帰還待機中に マラリヤに罹ったようです。したがって戦闘は終わっていたはずです。多分この手紙を出して 直後だと思われます。中国に良く行かれていますが“漢口東方九江”行かれたことありますか もしご存知でしたらどんなところかお教えいただけたら嬉しいです。
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漢口 (中国迷爺爺)
2009-12-04 12:30:06
 現在は武漢市になっています。長江流域の都市で湖北省にあります。私は湖北省には行ったことがありません。漢口は戦争中に、日本軍の進攻に関連してよく耳にした「武漢三鎮」の一つで、中華人民共和国成立後、三鎮は合併して武漢市になったそうです。武漢市は「中国3大かまど」と言われるほど夏は暑いところのようですから、熱帯性のマラリアもあるのでしょうね。
 それにしても帰国直前に戦病死されたとは、本当にお気の毒です。お母様のお嘆きはどれほど深いものだったかお察しいたします。
 戦争はあってはならないと改めて思います。
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漢口のこと (ojiisama)
2009-12-04 18:30:45
早速 有難うございました。正直 何故“マラリヤ”なのか? 疑問を持ち続けていました。納得できます。せめて 父の供養にと少しずつ当時のこと整理しています。このこと弟にも教えてやります。(弟は 父の顔は 写真でしか覚えていないのです)有難いコメントに感謝です。
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