弟より 母の遺品の中から珍しい写真を発見したと持参してくれた。68年前のものと推定当時の写真は戦時中でもあり少ない。特に家族四人全員の写真は見たことが無かった。始めてみる写真である。この後 父は召集され今の中国に出征した。残された家族は神戸より 山口に疎開した。戦地との手紙のやりとりはあったものの 終戦後 帰国目前 三十七歳で戦死した。記憶にはないがおそらく この写真が出征前 最後のものと思われ 家族は父と再会することは無かった。父よりの手紙はかなり残ってるが 特に終戦直後の混乱下の 母への手紙 父の心中察すると言葉が出ない
(小生宛葉書)
(母宛)文面お前の手紙は一昨年11月に出たもの以来見ていない 内地の様子もどうなっていることか 特に 神戸 東京の様子を一日も早く知り度いと思っている いづれ九州の何処かに上陸出来る様になると思う 帰還の上 一日も早く坊やお前達の顔を見度いと思っている お前達もさぞ精神的ならびに経済的に苦しい生活を送っていることと思ふが 小生帰国の上はともに手を取り合ってこの苦難に打ち勝って行きたいと思ふ 何日になるか今のところ全く不明ではあるが 小生幸い病気せずに漢口東方九江北岸五十六里のところで帰国できる日を待っている 東京の様子も出来るだけ詳しく知り度 独り言
読み返すに 再会を どれほど望んでいたことか! 今でも 無念さが伝わる 母や祖母 周囲からは 自分のこと 名前でなく坊やと呼んでいたが父もそうだったとは この手紙で初めて知った
それにしても帰国直前に戦病死されたとは、本当にお気の毒です。お母様のお嘆きはどれほど深いものだったかお察しいたします。
戦争はあってはならないと改めて思います。