ひねもす日報

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入院とか

2024年01月08日 | Weblog
 昨日は親しいお付き合いをさせていただいていたおじさまの
お葬式へ。それを知らされたのはおじさまのご長男から。
おじさまとうちの父は百道中学からの親友で、不良な父と
真面目で誠実なおじさまは周りから見ると仲が良いのが不思議な
関係で、今まできていた。おじさまがここ数年弱っていかれる
姿を見てきた。とはいえ二人とも昭和15年なのでそれなりだ。
おじさまが亡くなった日に父は入院となっていた。
「14時頃心臓がきゅーっと苦しくなったと」。「けどそれって今までも
あったけん」。父はここ数年で2度心臓の手術をしていたので
それは分かる。「ただ、様子を見ると、いつもより頻度が高いし
症状の発生の間隔が短いけん」。「救急車かな?と嫁さんに
話したらわたしが送るって言われて、すぐ入院になった」と話していた。
「おまえにも長男にも入院のこと話す気持ちなかったっちゃけれど
○○くん(おじさま)が亡くなったけん、その連絡があるけん、
オレがすぐ葬式行かんのもおかしいし、入院のことを子ら(兄とわたし)
に話すことになったと」とのこと。

 斎場にうっかり30分早く到着してしまったので、
近くの喫茶店に入店。持ってきた本も読めない。気持ちが
悲しみマックス。「おじさまの亡くなった姿を見たくなく、
斎場行きたくない」と父にライン。正直、高齢の方でここまで
思うことは初めてだった。わたしは長生きしたくないタイプ。
江戸時代の寿命40代。これでいいなとわたしはそっちを希望。
「長生きしたい!」人もおろうけれどわたしみたいな人もおる
わけで、両者尊重して欲しい。そしたら医療費も削減出来る
んやないと。38歳で人間の心臓が打ち終わる、そこから余生
とするならば、わたしはもういいなー。
そういう気持ちで生きれば、20代も無駄にしないんじゃないかな。
わたしはくそみたいな20代だったので本当にそう思う。
自分が早く死んじゃえば、知り合いや思い入れのある
おじさまおばさまの訃報を聞くこともない。
母を小六で亡くして「死ぬ」ということを突き付けられて以降、
人が「死ぬ」ってことに弱い。人間生きていたらどこかで誰しも
死ぬけれども。そう割り切れない気持ちも人間だからあります。
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