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イラン北西部に13世紀ごろの仏教石窟、龍谷大調査隊が発表

2008年11月08日 | Weblog
 龍谷大(京都市)のアフガニスタン学術研究プロジェクト(団長・入澤崇教授)は7日、イラン北西部のトルコ国境に近いマラゲー近郊にある半地下式の石窟、ヴァルジュヴィ遺跡で、「13世紀ごろに造営された仏教寺院とみられる石窟を確認した」と発表した。仏像や壁画などは見つかっていない。
 同遺跡は、仏教遺跡の西限とされたイラン北東のトルクメニスタンからさらに約1400km西に位置しており、仏教寺院と確認されれば、現在のイスラム圏での過去の仏教の広がりについて大幅な見直しを迫ることになる。成立時期がアフガニスタン・バーミヤンなどで仏教文化が栄えた時期(1~6世紀)と大きく異なっており、仏教の西限を考える上で重要という。
 地下の岩盤を彫り込んだ石窟には9つの部屋があり、うち大小2つの部屋の壁などに窪みが18個あるのが確認された。形状が、仏像を安置したり、仏画を描いて礼拝したりする仏龕(ぶつがん)と似ており、参拝した信者が周りを巡るための柱があるという構造が中国のシルクロード沿いにある石窟寺院と共通しているため、仏教遺跡と判断したという。
 このうち約9m四方の大きな部屋には、八角形の巨大な柱があり、その表面などに11個の仏龕が彫られていた。龕は最大のもので高さ67cm、幅45cm、奥行き29cm。
 チンギス・ハンの孫のフラグは、モンゴルから西アジアに遠征しイスラムのアッバース朝などを滅ぼしてイル・ハン国(1258~1353)を建国した。マラゲーは首都だったタブリーズに近く、付近にはモンゴル人の拠点があったとみられている。駐屯軍として多くのモンゴル人たちがイランにとどまり、仏教もこのとき同時に持ち込まれたとみられる。
 イル・ハン朝はイスラム教に改宗する前、チベット仏教を信仰しており、古代のミトラス教の寺院が、モンゴル帝国で信奉されたチベット系仏教の寺院に改造されたのではないかとみられる。モンゴルの西征に伴い、チベット系仏教が西に広がったのではないかとする。
[参考:時事通信、読売新聞、毎日新聞、産経新聞]
イラン北西部に13世紀ごろの仏教石窟、龍谷大調査隊が発表(読売新聞) - goo ニュース
イランで仏教遺跡を初確認=モンゴル帝国の名残か-龍谷大(時事通信) - goo ニュース

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