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京都・鹿背山瓦窯跡 平城宮の瓦の官製一貫生産工房か 現地説明会12/21実施

2008年12月17日 | Weblog
2008.12.21現地説明会開催
 奈良時代中期の粘土採掘場や窯、運搬用通路の跡などが見つかった木津川市鹿背山の「鹿背山瓦窯跡」で21日、現地説明会が開かれ、参加した約300人の考古学ファンらは、平城宮に瓦を供給した古の光景に思いをはせた。
[参考:読売新聞]

[2008.12.27掲載分]
京都・鹿背山瓦窯跡 平城宮の瓦の官製一貫生産工房か 瓦製造工程くっきり  
 府埋蔵文化調査研究センターが16日鹿背山瓦窯(かせやまがよう)跡(木津川市鹿背山)で、奈良時代中期の粘土採掘場や作業用通路、瓦窯などの跡が見つかったと発表した。
 同時に出土した瓦の文様が平城宮の建物(式部省)の瓦と一致し、瓦生産の官制の一貫生産工房だったとみられる。
 瓦生産の行程全体が分かる奈良時代の遺跡の確認は全国初で、聖武天皇が恭仁宮や難波宮などへ遷都を繰り返し、平城宮へ再遷都した時代にフル稼働した可能性もあるという。
 出土したのは、
▽粘土の採掘坑(長さ10・8m、幅2・4m)
▽並行する2本の石敷き通路
 長さは48mと34m。幅4m、深さ1mのU字形に掘りくぼめられ、底に砂利を丁寧に敷き詰めていた。砂利には運搬用の一輪車(注1)が何度も通ってできたとみられる幅30cmほどの轍(わだち)が残っていた。傾斜の違いがあることから「上り専用」「下り専用」に分かれていたとみている。通路を往復すれば、粘土採掘から製品搬出まで、一連の工程がたどれるという。採掘坑からは粘土を運ぶ「もっこ」も出土した。
 注1:一輪車は吉田南遺跡(神戸市)でも出土している。
▽2基の窯跡。瓦窯跡は、平城京の北に広がる丘陵の北東部に位置。多数出土した瓦の文様から730-745年ごろに操業していたらしい。
 1基は登り窯から2度改修されており、奈良後期以降主流になった平窯に作り替えられていた。
▽瓦を成形、乾燥するための工房とみられる掘立柱建物跡(長さ21・8m、幅4・5m)。通路は、西に位置する採掘坑から東方向に延び、その先に窯跡や建物跡が配置されていた。
▽「軒丸瓦」や「軒平瓦」も出土。少なくとも11点は平城宮の建物の屋根にふかれた瓦と文様が一致した。
 現地説明会は21日午前11時から。JR木津駅から東へ徒歩約20分。問合せは現場事務所。
[参考:産経新聞、京都新聞、共同通信、中日新聞、静岡新聞]

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