県教委の大宰府史跡調査研究指導委員会と九州歴史資料館(太宰府市)は21日、大宰府政庁跡(同市観世音寺4丁目)の西側に位置する蔵司(くらつかさ)地区(同3丁目)の礎石群について、奈良・平安時代では九州最大級の建物跡であることを再確認したと発表した。
礎石群は大宰府政庁跡の西隣の丘にあり、1933年に発見され測量だけが実施されたが、私有地だったため本格的調査はこれまでできなかった。3年前から同市が土地の買い取りを進め、同館が6月に調査に着手した。
礎石は全部で40基とされ、調査で花崗岩の礎石23基と土を固めた基壇を確認した。礎石は4列で、間隔は南北が約3.3m、東西が約4.1m。中央だけ南北6.4mと間隔があいていた。建物は礎石の上に柱が建つ総柱建物だったとみられ、その配置から建物規模は南北13m、東西37mで、1933年の測量結果とほぼ同じだったという。建物規模は同時代の大宰府政庁正殿(南北13・3m、東西28・4m)や、東大寺(奈良市)の正倉院(南北34・7m、東西11・6m)よりも大きい。
出土した瓦が大宰府政庁と同じ8世紀(奈良時代)のもので、同時期の建物とみられる。鉄製の鏃や甲冑の破片なども約100点見つかった。
24日午前9時半から、現地説明会が開かれる。
[参考:西日本新聞、読売新聞、毎日新聞]
礎石群は大宰府政庁跡の西隣の丘にあり、1933年に発見され測量だけが実施されたが、私有地だったため本格的調査はこれまでできなかった。3年前から同市が土地の買い取りを進め、同館が6月に調査に着手した。
礎石は全部で40基とされ、調査で花崗岩の礎石23基と土を固めた基壇を確認した。礎石は4列で、間隔は南北が約3.3m、東西が約4.1m。中央だけ南北6.4mと間隔があいていた。建物は礎石の上に柱が建つ総柱建物だったとみられ、その配置から建物規模は南北13m、東西37mで、1933年の測量結果とほぼ同じだったという。建物規模は同時代の大宰府政庁正殿(南北13・3m、東西28・4m)や、東大寺(奈良市)の正倉院(南北34・7m、東西11・6m)よりも大きい。
出土した瓦が大宰府政庁と同じ8世紀(奈良時代)のもので、同時期の建物とみられる。鉄製の鏃や甲冑の破片なども約100点見つかった。
24日午前9時半から、現地説明会が開かれる。
[参考:西日本新聞、読売新聞、毎日新聞]
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