群馬県埋蔵文化財調査事業団が発掘を進めている「大道(おおみち)西遺跡」(伊勢崎市豊城町)で、八世紀後半ごろの奈良時代に建設されたとみられる、遺跡西側に存在した「郡衙」と周辺地域を結んでいたと考えられる道路の遺構が出土したことが分かった。
遺構は遺跡内で東西約80mにわたって発見され、路面の基礎部分となる盛り土の部分がはっきりと確認できる形で残っていた。盛り土は、黄色土と黒色土を「版築」と呼ばれる高度な土木技術で何層も固めて造られており、下幅が6-8mあるため、道路自体の幅は5-6m程度あったと推測される。湿地などを避け、谷を渡るために築かれたとみられ、高い所で約1.4mの土が盛られた跡もあるという。
平安時代後期の浅間山火山灰の一次堆積層があり、また、盛り土の崩落土から奈良時代の須恵器が出土していることなどから、奈良時代に築かれたものと推定される。
31日現地説明会を開催する。
日時: 平成21年1月31日(土) 午前10時~午後3時
主催: 財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団、大道西遺跡調査事務所
遺構は遺跡内で東西約80mにわたって発見され、路面の基礎部分となる盛り土の部分がはっきりと確認できる形で残っていた。盛り土は、黄色土と黒色土を「版築」と呼ばれる高度な土木技術で何層も固めて造られており、下幅が6-8mあるため、道路自体の幅は5-6m程度あったと推測される。湿地などを避け、谷を渡るために築かれたとみられ、高い所で約1.4mの土が盛られた跡もあるという。
平安時代後期の浅間山火山灰の一次堆積層があり、また、盛り土の崩落土から奈良時代の須恵器が出土していることなどから、奈良時代に築かれたものと推定される。
31日現地説明会を開催する。
日時: 平成21年1月31日(土) 午前10時~午後3時
主催: 財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団、大道西遺跡調査事務所
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