北区田端の「田端西台通遺跡」で都埋蔵文化財センター(多摩市)の調査により、奈良・平安時代の掘っ立て柱建物跡8棟が出土した。
この遺跡周辺は奈良時代、武蔵国豊嶋郡に7つあった「郷」(注1) の一つで、「駅家郷(うまやごう)」と考えられており、掘っ立て柱建物跡は、当時の税である米を保管する高床式倉庫とみられる。ただし、「荒墓郷(あらはかごう)」だという説も残っている。
このほか、弥生時代の方形周溝墓4基、弥生後期の竪穴建物跡4棟、奈良・平安時代の竪穴建物跡33基などの遺構や土器、陶器など、幅広い時代の遺跡が数多く出土した。この付近は江戸時代の開墾を免れたので、遺構や遺物が崩されなかったためとしている。
田端西台通遺跡は、これまでも遺構や遺物が数多く出土。1966年には都内で珍しい鉄剣がほぼ完全な形で出土し、北区文化財に指定されている。
[参考:東京新聞]
(注1) 平安時代の承平年間 (931-938)に源順(みなもとのしたごう)が編纂した「和名類聚抄」に、武蔵国豊嶋郡は日頭、占方(白方)、荒墓、湯島、広岡、余戸、駅家の7郷を管轄したとある。
過去の関連ニュース・情報
2009.8.4北区・中里峡上遺跡 平安時代の竪穴住居跡から扉が国内初出土
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このほか、弥生時代の方形周溝墓4基、弥生後期の竪穴建物跡4棟、奈良・平安時代の竪穴建物跡33基などの遺構や土器、陶器など、幅広い時代の遺跡が数多く出土した。この付近は江戸時代の開墾を免れたので、遺構や遺物が崩されなかったためとしている。
田端西台通遺跡は、これまでも遺構や遺物が数多く出土。1966年には都内で珍しい鉄剣がほぼ完全な形で出土し、北区文化財に指定されている。
[参考:東京新聞]
(注1) 平安時代の承平年間 (931-938)に源順(みなもとのしたごう)が編纂した「和名類聚抄」に、武蔵国豊嶋郡は日頭、占方(白方)、荒墓、湯島、広岡、余戸、駅家の7郷を管轄したとある。
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