歴歩

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京都市・法住寺殿跡 南側の発掘調査で建春門院が造営・居住した最勝光院跡を確認

2012年03月09日 | Weblog
 京都市埋蔵文化財研究所が8日、平安時代後期、後白河法皇(1127-1192)の后で平清盛(1118-1181)の義理の妹、建春門院(平滋子、1142-1176)が造営し居住した最勝光院の建物跡が、同市東山区の法住寺殿跡で見つかったと発表した。 最勝光院跡が確認されたのは初めて。
 法住寺殿跡内の南側を発掘調査し、西に向かって傾斜する地面を平らにした工事跡が4カ所見つかった。 盛り土にこぶし大の石と粘土を交互に重ねる「石積み地業」と呼ばれる工法で、最大で6段(厚さ約65cm)あった。 同様の工法は、白河天皇発願による同市の鳥羽離宮などでも確認されているという。 一帯は建春門院の住居である最勝光院の「南御所」にあたる可能性があるという。
 法住寺殿は後白河法皇の院政の舞台となったことで知られる。東西600m、南北1.1kmの広大な敷地を有し、造営は1161年頃に始まり、御所や神社などが併存。平等院(京都府宇治市)をモデルに承安3年(1173)に建てたとされる最勝光院や、平清盛が建てた蓮華王院(本堂・三十三間堂)があったが、襲撃や火災によって現在は三十三間堂などしか遺構は残っておらず、最勝光院も鎌倉時代の正安3年(1301)の火災で焼失してから再建されていない。
 現地説明会は10日(土)午前10時から開かれる。
[参考:共同通信、朝日新聞、産経新聞]


最勝光院の土台と見られる遺構 法住寺殿跡から出土(朝日新聞) - goo ニュース
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