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桑下城跡/瀬戸市 15世紀後半に造られた曲輪を発見 現地説明会1/24に開催

2009年01月22日 | Weblog
 桑下城跡の今年度の調査で、多くの曲輪や、曲輪からは番小屋や庭園を確認した。
 その発掘調査で見つかった遺構の説明と見学、出土遺物の展示が1月24日に現地説明会として開催される。
 今回調査した部分は、丘陵を切り込んで造成された曲輪、防御を基本とする曲輪で在地領主の元々の城であったらしいみられ、その後大規模に改修して巨大な堀と土塁で防御を固めた本丸部分を造成したものと考えられるとする。
 本丸周辺は永禄元年(1558)以前に造成されたらしい。
現地説明会
 日時:1月24日(土)午前10時40分より正午まで、場所:桑下城跡発掘調査現場(瀬戸市上品野町地内)
[参考:1/16中日新聞、愛知県埋蔵文化財センター、愛知県記者発表資料]

桑下城
 瀬戸市の北東部、水野川と蟹川に挟まれた標高210mの丘陵に立地する平山城。規模は東西約220m、南北100m。
 南東約700mに品野城があり、品野城が詰めの城(戦闘時の城)であるのに対して、桑下城は館城(平時の城)といわれる。
 応仁の乱(1466-67)の際、東軍に属して敗れた美濃国異安八郡今須城主長江利景(永井民部少輔)が尾張国春日井郡科(品)野の地に逃れて落合城(瀬戸市落合)に入り、後に築いた城とされている。
 文明14年(1482) 長江利景は今村城主松原広長と戦い勝利を収め、瀬戸市一帯を手中にする。
 享禄2年(1529) 松平清康(1511-1535、徳川家康の祖父)によって品野郷が支配される。叔父の松平信定(?-1538)に与える。松平信定は品野城主となり、桑下城主永井民部は松平信定に服属する。
 天文4年(1535) 松平清康死に伴い内紛が起きる。松平清定(信定の子)、品野から引き上げる。
 弘治3年(1557) 今川氏が品野城を管轄する。
 永禄元年(1558) 松平家次(?-1563、信定の孫)が派遣され、織田氏との間で戦いが行われる。
 永禄3年(1560) 桶狭間の戦いの前哨戦として、落合城や品野城とともに織田信長81534-1582)の攻撃を受けて焼失し、廃城となる。

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