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岩手県金ケ崎町・鳥海柵遺跡 律令制下の末端行政組織「五保」を記した墨書土器が出土

2010年07月24日 | Weblog
 金ケ崎町教委は23日、鳥海柵(とのみのさく)遺跡(同町西根)から「五保(ごほ)」と書かれた墨書土器が出土したと発表した。
 墨書土器は6月上旬、豪族・安倍氏の軍事拠点だった鳥海柵遺跡の南東側にある竪穴住居跡で発見された。直径13.7cm、底径5.6cm、高さ4.3cmの土師器の杯で、外側に「五保」と墨で書かれていた。鳥海柵遺跡の年代は11世紀の初頭から半ばまでだが、土器は様式などから9世紀後半に作られたとみられる。
 五保は国―郡―里―保という、律令制下の末端の行政組織で、近隣の5家(戸)で組織され保長1人を置く。相互監視や徴税などの責任が負わされ、江戸時代に組織された五人組の起源ともいわれる。土器が作られた9世紀後半、東北地方に律令制が根付いていたことがあらためて確認された。
 鳥海柵遺跡は胆沢城(8世紀初め~10世紀半ば)の北西約1.5kmに位置することから、土器が見つかった竪穴住居跡には鳥海柵遺跡が築かれる前の胆沢城で働く役人が住んでいたのではないかとみている。
 これまで美濃国戸籍など8世紀前半の木簡6例が報告されているが、墨書土器に書かれたのが見つかったのは国内で初めてではないかとしている。ほかに、大仙市の払田柵(ほったのさく)跡から漆紙文書(9世紀)に五保を示す「保長」と書かれた遺物が出土している。
 現地説明会が8月1日(日)午前10時から開かれる。
[参考:共同通信、河北新報、岩手日報、毎日新聞]

墨書土器に「五保」の文字 岩手、安倍氏の鳥海柵遺跡(共同通信) - goo ニュース

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 2009.11.27 鳥海柵遺跡は安倍氏が前九年合戦で築いた柵

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