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白河市・野地久保古墳 全国5例目の上円下方墳

2008年12月08日 | Weblog
一般公開に考古ファン300人が詰めかけたと報道されました。
[参考:毎日新聞]

[2008.12.3掲載分]
福島県白河市・野地久保古墳 全国5例目の上円下方墳
 市教育委員会は2日、同市本沼野地久保の「野地久保古墳」が、7世紀中期~8世紀初頭に築造された「上円下方墳」と確認されたと発表した。
 上円下方墳の発掘は全国5例目で、東北地方では初めて。専門家は、東北地方と当時の中央政権とのつながりを示す貴重な古墳として注目する。
 一辺約16mの方形の上に、直径約10mの円形の土盛りが乗った形で、中心部から、石室の床石とみられる長さ約2mの石が見つかった。棺を入れるための「横口式石槨」があったと考えられる。石室の他の部分や遺物はなかった。石の加工技術の高さなどから、当時の有力者の墓とみられるという。古墳東側には石槨に使われたとみられる石材4個が残っている。
 市教委によると、野地久保古墳はJR白河駅から東約8kmの山の標高約340mの斜面にある。泉崎村との境界に近い白河市の丘陵地にあり、一帯は大和政権の白河郡衙が置かれた場所とされ、彩色壁画で有名な泉崎横穴などの古墳群が密集している。2004年に、棺を納めた石室の床石と環状の石組みが見つかっていた。
 野地久保古墳の周辺には、同じく横口式石槨を持つ谷地久保(やちくぼ)古墳や、6世紀後半~7世紀前半の豪族の館の跡とみられる「舟田中道遺跡」、古墳時代後期としては東北地方最大の前方後円墳・下総塚古墳がある。
 これまで、多摩川流域が上円下方墳の北限とされていたので、東北の古代史を考える上で重要な発見とする。
 同市教委は、一般向け現地説明会を、7日午前10時から行う。
[参考:毎日新聞、産経新聞、読売新聞、河北新報]
東北初の上円下方墳 白河・野地久保古墳 (河北新報) - goo ニュース

参考:上円下方墳
武蔵府中熊野神社古墳(府中市、7C中~後半) 
②石のカラト古墳(奈良と京都の県境、7C末~8C初頭) 
③清水柳北一号墳(沼津市、8C初頭)
三鷹市天文台構内古墳(三鷹市、7世紀)


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