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佐賀市・三重津海軍所跡 船渠は修理が主目的か、遺構を報道人に公開

2009年09月11日 | Weblog
 佐賀市教委は10日、三重津海軍所跡で初めて確認された船渠(ドッグ)跡の遺構とみられる木杭護岸を報道陣に公開した。
 木杭護岸は直径15cm程度の杭を一列に並べ、壁の崩落を防ぐため横木を渡すほか、護岸の強度を上げるため捨て石替わりに石炭が置かれていた。胴木2本も護岸と直交する形で組み込まれていた。
 船渠跡は当初、蒸気船「凌風丸」建造の可能性も考慮されたが、船の建造には水を完全に取り除く必要がある。木杭では水の浸入が防げず、市教委は主に修理に使われたドックと推測した。
[参考:佐賀新聞]

2009年09月10日 三重津海軍所跡 ドック護岸跡を確認、蒸気船建造の遺構か 
 佐賀市教委は9日、新たにドック跡の遺構とみられる木杭護岸を確認した。ドック跡は国産初の実用蒸気船「凌風丸」を建造した遺構の可能性も高い。
 調査場所は早津江川河川敷の一角約400㎡。三重津海軍所絵図によると、一帯は船渠とされ、奥行き70m、幅は最大で50mと推定される。
 見つかった護岸跡は、その一部で、地表から約1・6m掘り下げた地点で確認。長さ約3mの間に、約20本の木杭(長さ約80cm、直径約15cm)が直線に並んでいた。護岸とともに、船を固定し作業のため橋をかける胴木2本も見つかった。木杭は横木を渡し縄で固定されていた。
 周辺では既に金属加工設備の存在が裏付けられている。
[参考:佐賀新聞]

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 三重津海軍所跡

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