歴歩

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伊賀市・沖打越1号墳(全長23m)および沖打越中世墓(経塚)の発掘調査

2010年09月16日 | Weblog
 県埋蔵文化財センターは15日、沖打越中世墓(同市沖字打越)から鎌倉時代後期(13世紀末~14世紀初頭)の「礫石経(れきせききょう)」と5世紀初頭の1号墳(全長23m)が出土したと発表した。
 全長120mの前方後円墳・石山古墳(同市才良片岨、4世紀末)の西北1kmに位置する。また、北200mには不動寺(注1)がある。
 礫石経は、古墳の上に鎌倉時代に形成された経塚の遺構から出土した。小さな川原石(円礫)に「世」「阿」など1~2文字ずつ墨書されたものが11個、無銘の石を合わせると約200個が、陶器の甕の破片などとともに見つかった。
 県内では、江戸時代の出土例しかなく、今回の発掘が最古の出土となった。
 中世墓からは、ほかに縦8・2m、横3・2mの大きな墓穴を持った沖打越1号墳(5世紀初頭)を発掘した。5世紀初頭の古墳で、当時の埴輪や土器のほか、鉄鏃や鎌などが見つかった。古墳の形は造出し付きの円墳か小型の前方後円墳と考えられ、大きさは約23m。依那古(いなこ)地区ではじめて見つかった古墳で、全国的にも有名な石山古墳とほぼ同じ時期の古墳という。構築後に改葬されたとみられる。
 土地の豪族を弔ったとみられるが、古墳の規模が大きいことから、石山古墳との関連に注目している。
 現地説明会が、9月18日(土) 13時30分から15時まで開かれる。
[参考:産経新聞、伊賀市HP]

(注1) 不動寺
 宗派は真言律宗、山院寺号は引谷山(いんこくさん)利生院(りしょういん)不動寺。
寺伝によると、貞観年中(859~77)に智証大師が開創したという。
 嘉禎年中(1235~38)に、西大寺中興の祖・興正菩薩叡尊が当山の荒廃ぶりを歎かれ、再建したと伝える。
 明徳二年(1391)に書き改められたといわれる『西大寺末寺帳』にも記載されている。
沖打越中世墓は、不動寺に関連した沖集落の有力者が形作った「聖なる場」と考えられる。
[参考:「沖打越中世墓」2010.1.30三重県埋蔵文化財センターほか]





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