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彦根市・稲部遺跡・稲部西遺跡 2~4世紀の竪穴住居が100棟以上見つかる

2015年11月15日 | Weblog
 彦根市教委が12日、弥生時代後期~古墳時代前期(2~4世紀)の集落跡「稲部遺跡・稲部西遺跡」(同市稲部町、彦富町)で、竪穴建物100棟以上、掘立柱建物24棟などがみつかり、大規模な拠点集落だったことが確認されたと発表した。 住居、祭祀、生産の三つの場を持つ大規模集落だったことがわかったとしている。
 調査面積は、半径約400m(約50万㎡)と推測される集落全体のうち計約6500㎡。
 これまでに竪穴建物105棟、掘立柱建物24棟以上、周溝付建物13棟を確認した。区画を示す溝(幅約40cm)2本も見つかった。
 掘立柱建物の中には、祭祀や儀礼に使われる独立棟持柱(むなもちばしら)付建物3棟、倉庫などに使用される総柱建物2棟が含まれている。
 弥生時代後期後半~終末(2世紀後半~3世紀前半)の集落跡では、高密集度で竪穴建物を確認。方形のほか、5角形、6角形の建物もあった。
 弥生時代終末~古墳時代前期(3世紀前半~4世紀)の集落跡は掘立柱建物が主体で、祭祀のエリアが出現する。 住居も周溝付建物が多くなる。 青銅器鋳造の工房跡とみられる。
 炭を含む小穴の竪穴建物があり、付近で青銅器の鋳型の外枠とみられる棒状青銅製品などが見つかったことから、青銅器鋳造の工房跡とみられる。
 柱穴の直径が1・3~1・5mもある大規模建物(20~30㎡)とみられる柱跡の周囲からは桃の種12個が見つかった。桃は古代中国では魔よけや不老長寿の呪力を持つと信じられていたといい、建物は祭祀用とみられる。
 現地説明会が15日午後1時30分~3時に開かれる。
[参考:京都新聞、読売新聞、朝日新聞、産経新聞]




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