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桜井市・纒向遺跡 宮殿エリアの東側に同時代の建物跡が見つかる

2014年02月08日 | Weblog
 桜井市教委が6日、邪馬台国の有力候補地とされる桜井市の纒向遺跡(国史跡、3世紀初め~4世紀初め)で、これまでの宮殿エリア(東西約150m、南北約100m)の東側に建物群(建物A~D)と同じ東西の同一軸線上(注1)に並ぶ新たな建物跡と南北の溝が見つかったと発表した。 これまでの宮殿エリア内の中央部分で出土していた卑弥呼の居館の可能性がある柵列に囲まれた大型建物跡・建物D(注2)に関連する宮殿施設とみられる。 エリア内の東側で建物跡が確認されたのは初めてで、宮殿エリアが東側に広がることが実証された。
(注1)東西軸は4~5度左に傾く。
(注2)桜井市の現地説明資料などで記されている建物名称。 東西4間(12.4m)、南北4間(19.2m)
■ 今回見つかった建物跡(3世紀前半)は建物D(同時期)の36.5m東側で見つかった。 規模は、東西2間(3.4m)、南北3間(6.7m)で、方形の柱穴(一辺40~60cm)が10個見つかり、直径15~20cmの柱が使われ、柱穴の1カ所には当時の柱が一部残っていた。
 建物跡の中央付近の穴からは4例目となる朝鮮半島製の陶質土器(壷)の破片(長さ約5cm)1点が出土した。 管玉などの石製品の材料となる北陸産の緑色凝灰岩の破片なども見つかった。
■ 3世紀後半から4世紀前半の南北溝(長さ20m以上、幅2・5m)と、平行する柱の列の跡5間分(約10m)も検出した。
 これらは、3年前に建物Dの東側で見つかった、3世紀後半以降の別の大型建物跡・建物E(注3)(南北9m以上)と方位が一致。溝や柱列が、この建物Dに関連する可能性が高まった。 付近では邪馬台国の女王卑弥呼の時代の後、4世紀代も、重要施設が建てられた様子が明らかになりつつある。 また、宮殿エリアからは昨年2月の調査で、4世紀後半の居館を囲む周濠跡が出土しているほか、5世紀末~6世紀初頭の居館の周濠と考えられる南北方向の石張溝(いしばりみぞ)も見つかっている。
 このため市教委は、宮殿エリアには3世紀前半~6世紀初頭の約300年間に、少なくとも4時期の首長の宮殿施設が存在した可能性があるみている。
 現地説明会は9日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:奈良新聞、読売新聞、朝日新聞、産経新聞、纒向考古学通信Vol.3 平成23.9.1桜井市立埋蔵文化財センター]

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