鯖江市教委が22日、同市東部の弁財天古墳群がある弁財天山(120m)の頂上で、弥生時代後期前半(1世紀~2世紀初頭)の「高地性環濠」が県内で初めて見つかったと発表した。
尾根状に盛り上がった頂上の約1800㎡を楕円形に囲む形で、V字の環濠(幅1・3~3・5m、深さ1・3~3m)が285mに亘り巡らせていた。一部は2重になっており、2重の環濠の間には土塁の跡も見つかった。
「高地性集落」の一部とみられ、2世紀後半の倭国大乱を前に、防御が必要な緊張状態にあったことを示す発見で、北陸の戦乱が福井から広がっていった証拠として、この地が後に邪馬台国を支える国になった可能性もあるとみている。
戦闘の形跡はなかったが、環濠から出土した土器は「近江系土器」と呼ばれる滋賀県特有の壺や甕、高杯など数百点で、市教委は畿内の勢力が集落を造ったか、その影響下で造営されたとみている。
環濠のある高地性集落は紀元前2世紀頃から瀬戸内海沿岸などで増え、2世紀後半頃には石川県や新潟県などに伝わっており、その初期段階とみられる。
現地説明会が26日に開かれる。午前10時に同市落合町の北中山公民館に集合。
[参考:福井新聞、産経新聞、読売新聞]
尾根状に盛り上がった頂上の約1800㎡を楕円形に囲む形で、V字の環濠(幅1・3~3・5m、深さ1・3~3m)が285mに亘り巡らせていた。一部は2重になっており、2重の環濠の間には土塁の跡も見つかった。
「高地性集落」の一部とみられ、2世紀後半の倭国大乱を前に、防御が必要な緊張状態にあったことを示す発見で、北陸の戦乱が福井から広がっていった証拠として、この地が後に邪馬台国を支える国になった可能性もあるとみている。
戦闘の形跡はなかったが、環濠から出土した土器は「近江系土器」と呼ばれる滋賀県特有の壺や甕、高杯など数百点で、市教委は畿内の勢力が集落を造ったか、その影響下で造営されたとみている。
環濠のある高地性集落は紀元前2世紀頃から瀬戸内海沿岸などで増え、2世紀後半頃には石川県や新潟県などに伝わっており、その初期段階とみられる。
現地説明会が26日に開かれる。午前10時に同市落合町の北中山公民館に集合。
[参考:福井新聞、産経新聞、読売新聞]
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