敦賀市教委は19日、市立敦賀西小学校校庭(同市結城町)で、敦賀城の一部とみられる16世紀末の建物跡を発掘したと発表した。
敦賀城は、関ヶ原の戦い(1600年)の戦国武将大谷吉継の居城だったが、江戸幕府の一国一城令により、築城から約30年で姿を消した。古地図などから同校周辺にあったことはわかっていたが、発掘調査で遺構が確認されるのは初めてという。
敦賀城のものとみられる建物跡は地下約2mの地層から出土。柱を置いた礎石が20個以上あったほか、同時代の陶磁器や瓦などが見つかった。
22日午後1時30分から、現地説明会が開かれる。
[参考:読売新聞]
「幻の城」敦賀城遺構、発掘調査で初めて確認(読売新聞) - goo ニュース
敦賀城は、関ヶ原の戦い(1600年)の戦国武将大谷吉継の居城だったが、江戸幕府の一国一城令により、築城から約30年で姿を消した。古地図などから同校周辺にあったことはわかっていたが、発掘調査で遺構が確認されるのは初めてという。
敦賀城のものとみられる建物跡は地下約2mの地層から出土。柱を置いた礎石が20個以上あったほか、同時代の陶磁器や瓦などが見つかった。
22日午後1時30分から、現地説明会が開かれる。
[参考:読売新聞]
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