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扶余 百済時代の「麻薬/仙薬」調達を示す「五石散」荷札木簡が出土

2010年04月14日 | Weblog
 東方文化財研究院13日、扶余郡が泗沘119安全センター建設予定地一帯を発掘調査した結果、墨書の文字5字が確認された百済時代木簡1点と、木製履物(下駄、나막신) 1組、木製漆器(목제 칠기)などを発掘したと13日発表した。
 国立扶余博物館に依頼した赤外線撮影写真などから、墨書文字は「五石○十斤」(○は未判読)と読め、それ以下の部分の木簡は磨り減っていた。木簡の頭の部分には溝が掘られていて典型的な物品荷札木簡とみられる。
 この墨書を肉眼判読した書道史家・孫煥一博士は「発掘団が未判読と処理した「○」は「九」と判断でき、最後斤が重さ単位であることは言うまでもない。したがってこの墨書からは『五石九十斤』と解釈することができる」という。
 五石は五種類の鉱物質薬を混ぜて作った仙薬(선약)の五石散(ごせきさん、오석산)であり、あるいは漢食散(한식산)ともいう麻薬の一種であり、道教では薬効が最も優れた仙薬中の仙薬であり、中国では特に魏晋南北朝時代に服用が流行した。今回の木簡が記録した五石散は重量が多量という点で、百済の人々もまた同時代中国人がそうしたように麻薬(仙薬)を楽しんで服用した可能性を裏付ける点で画期的な発見となる。百済時代に道教が強大な影響力があったという事実は、扶余陵山里寺の跡地で発掘された百済大香炉とか国宝に指定されたレンガの山水文塼などで如実に証明されている。
 一方、今回の調査では百済時代の下駄1組が収集された。三国時代の下駄は数ヶ所だけでしか見つかっていない。
 また、丸太を切って作った百済時代漆器杯が破損した状態で発見された。
[参考:聨合ニュース]

2011.1.11追記
2011.1.10 「五石九十斤」と書かれたとみられた木簡は、撮影写真を詳しく分析した結果、問題の「五石」は「玉石」である可能性が高く、「九」の字は「七」の可能性が高いとみられるという。[参考:国民日報]


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