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日立市・長者山遺跡 古代官道の「藻島駅家」の可能性

2013年08月02日 | Weblog
 日立市郷土博物館は7月10日、日立市十王町伊師じゅうおうちょういし)の長者山遺跡が1300年前奈良時代に編纂された常陸国風土記に記されている古代官道の「藻島駅家(めしまのうまや)」の可能性が高いと発表した。 駅家は、九州や近畿地方では数カ所確認されているが東日本では見つかっておらず、長者山遺跡が駅家と確認されれば初めてとなる。
 遺跡は愛宕神社裏(北側)の境内林などで、出土品から奈良、平安時代のものとされる。
 これまでの調査で掘立柱建物跡12棟、礎石建物跡8棟で構成されていることが判明。遺跡の周囲には幅3m、深さ2mに水が張られていたと思われる遺構跡と幅6mから最大18mの道路跡も見つかった。また、直径6・6cmの「高播満(たかはま)」と書かれた墨書土器片も出土している。
 掘立柱建物跡は8世紀後半~9世紀代の「藻島駅家」に関する建物で、礎石建物跡は駅家の廃止(812年)後、10世紀代の官衙別院の倉庫であったことが想定されるという。
(注)日本後紀巻二十二 弘仁三年(812)十月癸丑条 廃常陸国安侯。河内。石橋。助川。藻嶋。棚嶋六駅。

 常陸国風土記では、県北地域を治めた「多珂郡」の郡衙が現在の高萩市下手綱に置かれたとされ、「南へ30里(約16km)に駅家を設置」と記されている。 実際には長者山遺跡から郡衙までは8kmしか離れていないが、遺跡近くに現在も「目島(めじま)」という字名が残されていることなどから、藻島駅家の跡地だったとみられている。
 現地説明会は3日(土)午前10時から開かれる。 受付は9時30分より伊師町集落田園都市センターで、同センターは出土した須恵器などのうち、土器片など30点も公開する。
[参考:2013.8.1産経新聞、2013.7.12毎日新聞、茨城県教育委員会HP]
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