歴歩

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江川酒 と 江川太郎左衛門

2011年01月01日 | Weblog
 三嶋大社<略史>(昭和60年 発行 三嶋大社)によると、嘉永七年(1854) 11月4日に東海地方を襲った大地震(注1)で倒壊した三嶋大社の再興には、代官江川太郎左衛門も協力した。安政五年(1858)には一部の祭祀が執行できるようになり、慶応2年(1866)に本殿他落成したとする。
 江川太郎左衛門とは江川家当主が代々名乗る通称であり、当時は江川担庵こと江川英龍(1801-1855)だが、大地震の翌年3月4日に亡くなっている。次の当主は英敏(1839-1863)。 ともに、本殿の落成には間に合わなかったようだ。
(注1)西暦1854年12月23日に起こった安政東海地震(M8.4)。その年11月27日に元号を嘉永から安政に改めた。


 昨年の初詣は三嶋大社へ行ったが、その足で韮山へ行き、江川担庵関連の史跡を見て回った。代官屋敷も兼ねた江川邸は富士山が見晴らせる風光明媚な場所にある。(左上写真の塀の右上に富士山が見える) 江川家の菩提寺は近くの日蓮宗大成山本立寺(注1)にあり、江川家代々の立派な墓が立ち並んでいる。江川担庵の墓には、「江川家三十六世源英龍墓」(注2)と刻まれている。また、その2km先には安政四年(1857) 6月に完成した韮山反射炉がある。 担庵により安政元年(1854)に築造開始されたが、その完成にも江川担庵は間に合わなかったようである。

(注1) 日蓮宗 大成山 本立寺 縁起
 当山は、比叡山で修行中の大檀那江川家十六代当主江川太郎左衛門英親が日蓮聖人を当地に招き、そのおり日蓮聖人より御自筆の火伏の曼荼羅を授与され、家門繁栄・子孫長久の祈願を奉行される。(略)
 後、永正三年六月(1506)江川家二十四代英盛公が邸内にあった大乗庵を当地に移し本立寺を建立す。(略) [参考:現地説明板より]
(注2)  江川家は清和源氏宇野氏流で、源満仲(912?-997)の2男・源頼親を家祖とし、6代親治が保元の乱(1156)に参戦して敗れ、その孫親信が伊豆のこの地に定住したと伝えられる。その後15世紀中頃に、当時この地を流れていた狩野川の支流の名にちなんで、姓を江川と改めた。 [参考:江川邸・史跡韮山役所跡パンフレット]

 江川家は、戦国時代から江戸初期にかけて酒を醸造していたという。その名は、江川酒。 北条早雲が命名し、上杉謙信、織田信長、徳川家康にも献上され、また、豊臣秀吉の醍醐の花見で飲まれたと伝わる。
 その江川酒を再現しようと、地元で醸造に取り組んでいる。実際に製造方法が分かっているわけではないので、地元で山田錦を栽培し、純米大吟醸は精米歩合50%まで磨きをかけて造っている。
 そんなことを知り、今年の元旦は江川酒を嗜むことにした。 下の写真は、江川酒・純米大吟醸と杉山茂氏著「外郎・透頂香と江川酒」(近代文芸社2007年発行)



■ 貝原益軒(篤信、1630-1714)編輯(編集)の『東路記/あづま路の記』に、
「にら山の辺、江河と云里あり。江河酒とて名物なり。」
と記されている。

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